126 将軍足利義昭の変心
「信長っ、帝から副将軍をすすめられたが、これを断ったそうだな。わしが菅領植、副将軍をすすめたのとは、訳が違うぞ。進めたのは帝だぞ、天皇だぞ。何故断ったのだ?」
「畏れ多いので、辞退申し上げただけで、他意はござりませぬ」
義昭は「わたし」から「わし」に呼び方を変えた。これは、変心の表れだ。
十月に入ってすぐ、ぼくは二条城に出向き義昭と面会している。表向きは伊勢平定の報告であったが、実のところは蜂須賀小六から知らせが届いたのだ。義昭が殿中御掟をないがしろにして、奉公衆らと密会している、と。
「わしが、嫌いか?」
「どちらかと、申せば」
「何故だ?」
「品がありませぬゆえ。将軍職はやくざの組長ではありませぬ」
「そうか」義昭は笑い出した。
「信長、つくずく、この頃思うのだ。死んでよかった、と。将軍というのは、武家の頭領というではないか。この世で、帝に次いで偉いのであろう。信長、わしに従ったほうがいいぞ。そうすれば、若くして死なずにすむからな」
ぼくは思わず唾を呑み込んだ。
この男、信長が四十八で死ぬこと知っているのか。そうか、信長は昭和の世でも有名だから、本能寺のことも知っていてもおかしくない。だが、義昭がこの先自分がどうなるのか、知っているのだろうか。
「人生五十年、死んでも何ら問題がない」
ぼくは無表情で答える。
「そうか、いいだろう。それまで、まだまだ先があるからな、そなたも、じっくり考えるがよい。ところで、信長、将軍は武家の頭領として各地の戦国大名に下知することができる、というではないか。じつに、面白い。武田信玄に会ってみたいものだ」義昭はそう言って、にやりと微笑んだ。
「実はな、今、わしは文の練習をしているのだ。まあ、ここに来る前にも、書道が好きでな。賞をとったこともあるのだ。だが、こちらの言葉は難しい。そう簡単にはいかんものだな」
「よしあきっ」ぼくは一喝した。
「殿中御掟に従わねば、おまえは痛い目にあうことになるぞ」
戦勝報告もほどほどに、ぼくはその場を後にした。
その年の暮れ、ぼくは五人の仲間を岐阜城の書院に集めた。
情報収集と、来年の戦略を練るためである。
「誰だ? 義昭を
ぼくは苛々した口調で一同に尋ねる。
「おそらく越前の朝倉義景にございましょう」間髪いれず、蜂須賀小六が答える。
「義昭さまを手放したことを、後悔しているのかもしれません」
二年前、義景は隣国の若狭の国に攻め込んだ。国主武田元明を傀儡政権にして、義景は事実上若狭の国を支配したのだ。だが国内には反朝倉派がおり、今は内乱状態になっている。反朝倉派が、ぼくに支援を求めてきていることから、これを口実に越前に攻め込むことも一つの策だ。
「帝と公方さまの名を用い、畿内、その周辺の大名を京に呼びつけることにする。皆の意見はどうだ」
「良きお考えだと思います」太田牛一が頷きながら言った。
「京では、禁裏が酷く荒れております。これを修理すれば、帝もお悦びになられることでしょう。さすれば、帝も殿のお考えに反対することはない、と思います」
「それは、良い策だ。そうだ二条城を普請した村井貞勝に命じることにしよう」
「ところで、義景は京に出向いて参りましょうか」
帰蝶が呟いた。
「チョウよ、義景で出てきてしまったら、われが越前に攻め込む口実がなくなってしまうではないか。それでは、困るのだ。皆、知恵を絞って、彼が京に来ないようにする策を考えるのだ」
「それなら、簡単でございます」木下秀吉が笑みを浮かべる。
「越前に、京の風聞をたてまする。殿が義景を招き忠誠を誓わせるとか、若狭への侵攻を糾弾するとか、あわよくば、亡き者にするとか……」
彼はそう言ってぼくの顔を窺う。
「相変わらず悪知恵が働くな、サルよ。いや褒めているのだ。面白いではないか。やって、みよ」
「はっ」
「もう一つ、気懸りなことがございます」帰蝶が腕を組んで言う。
「公方様をこのままにしておいては、面倒なことになりかねませぬ。少なくとも、諸国への御内書は禁じなければ……」
「ウム……」
「それは、われにご命じくだされ。早々に策を考え、殿の承諾を得て実行いたします」
太田牛一が提案する。
「ウム、よかろう」
ぼくは朝倉攻めが迫っていることを肌で感じていた。
金ヶ崎では、背後を浅井長政に突かれ、九死に一生を得た金ヶ崎の退き口が待っている。もし、信長が死んだら、ぼくは二度と令和の自分に戻れなくなるのだ。
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