125 南伊勢侵攻(3) 大河内城攻略戦

 

 天幕を覗き、そっと中に体を入れる。

 木台の上で、武具を脱ぎ捨てた武将がだらしなく寝ている。他に人はいない。

「サル」ぼくは声をかける。

「サル、大丈夫か」

 近づき顔を覗き込む。

 武将はいびきをかいていた。ぼくは苦笑いしてその男の肩を揺する。

「サル、大丈夫か」


「殿」

 甲冑姿の武将が立っていた。

「おまえは……」

「竹中半兵衛にございます」そう名を名乗って、彼は笑みを浮かべた。ぼくを散々手こずらせ、二年前に秀吉の与力になっていた、あの竹中半兵衛である。

「わが主は軽傷にございます」

「そうか……」

「殿の身代わりになって死ぬまで、命は捨てらぬれぬ、と申しておりました」

 ぼくは頷いた。

「この男、度胸も知恵もあるが、がむしゃらに動きすぎる。半兵衛、おまえはこの男を守るのだ、分かるか?」

「仰せの通りに。われが惚れ込んだ武将でございますゆえ」

「ウム……」


 八月二十五日、阿坂城に滝川一益の兵を入れ、六万の兵を率いて大河内城に直行し、北東にある桂瀬山に着陣する。城を包囲し、北畠具教、具房親子の出方を待った。彼らは籠城と決めたかのか、特段の動きを見せない。


 八月二十八日、池田恒興、磯野員昌いそのかずまさに命じ、正面攻撃を仕掛ける。半日かけた攻撃も功を奏せず、多くの犠牲を払うことになった。北畠が抵抗するならば、徹底的に兵糧攻めにするしかあるまい。城の周囲に二重、三重の鹿垣を張り巡らせ、降伏を待つことにする。


 九月八日になっても、敵側に変化が見られなかった。

 そこで、丹羽長秀の提案に応じ、池田恒興、稲葉良通らに夜討ちを命じた。揺さぶりをかけ、敵側の出方を見るためである。攻撃途中に雨が降り出し、鉄砲が使えなくなったので、撤退させる。


 翌九月九日、早朝から武将の面々を集め軍議を開いた。

「負けると分かっている戦に、北畠はなぜ、これほど抵抗するのだ」ぼくは問いかける。

「まさか、勝ち目があると思っているわけではあるまい」


 いつもなら、我先と囃し立てる面々も静まりかえった。

 暫くして、柴田勝家が声を上げた。

「われらの軍は総勢九万、畠山は一万八千。戦が長引けば長くなるほど、われらの威信は落ち、北畠の武勲が上がりましょう。北畠は平安京からの名のある家柄、勝利より名を重んじているのでは、ないか、と」

「ウム……」


 恐る恐る秀吉が手を上げた。

「サル、申してみよ」

 秀吉は床几から立ち上がり胸を張った。

「北畠は、われらの戦の仕様をずっと見ていたのでないかと思います。畠山一族は愚かではありませぬ。かれらのただ一つの望みは、北畠の名を遺す事、しかも名誉をもって。……それに尽きると思われます」

 彼はそこまで言うと、ぼくの顔をじっと窺った。

「もったいぶらずに、話を続けよ」


「われらの軍は、美濃斎藤家を最後まで追い詰め、当主龍興を追放いたしました。さらに近江路においても、六角家を滅ぼし追放いたしました。この二家の共通点は、最後までわれらの軍に戦いを挑んだことでございます。しかるに、北伊勢において、われらは、交渉において敵を屈服させました」

「分かった、サル、そなたの話をそれまでにしておけ」

 ぼうはゆっくりと立ち上がった。


 北伊勢において、長野家を滅ぼすことなくわが弟信包を長野家の養嗣子と認めさせ、われらは事実上の勝利を手にしていたのである。秀吉の言いたいことは、長野家と同様の条件で和睦せよと申し立てているのである。そこまで秀吉に言わせると、ほかの武将の面子が立たなくなる。


 はなから北畠は勝利など目的にしていなかったのではなにか。籠城し時間を稼ぎ、有利な条件で和議に持ち込もうとしているのではないか。少なくとも、北伊勢の長野氏よりも好条件で。

 北畠の名誉を傷つけず、北畠の名を残し、兵も領土も失わず、北畠家がこの南伊勢に存続させることを目的にしていると。

 そう考えれば、木造城が早々に降伏したことも納得がいく。


「一益、明日早朝から多芸城を焼き討ちにせよ。城内の兵どもを大河内城に追い込むのだ。恒興、良通、員昌、そなたらは城下一帯を焼き討ちにせよ。住民を小河内城へ追い込ませるのだ」

「はっ」


 十月に入って、大河内城に潜入させていた忍びから、城内の兵糧が途絶えたという知らせが入った。直ちに、木造城主の具政を陣屋に呼びつけた。


 十月三日、具政がわが陣屋を訪れ、畏まって床几に腰を落としている。ぼくが入って行くと、彼は立ち上がり一礼する。ぼくは座るように促して床几に座る。

「員政殿、そなたに頼みがある。大河内城の北畠殿との和議の仲介をしてほしいのだ」

「はっ」

「条件は、わが次男、茶筅丸ちゃせんまるを北畠家の養嗣子として迎えることと、北畠の本土安堵である。如何かな。詳しくは、この書面にしたためてある」

 ぼくは彼に書状を渡した。

 彼は一通り目を通すと、ぼくを見詰めた。

「信長どの、必ずや説得してみせまする」

「ウム」

 ぼくは大きく頷く。


 その日のうちに、大河内城城主北畠具房から承知の文が届いた。

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