124 南伊勢侵攻(2) 支城八田城、阿坂城攻略
五月の末、権蔵から滝川一益の密書が届いた。
木造城主木造具政が織田側に着いたという知らせである。木造具政は、前当主で今は隠居している畠山具教の実弟である。当主は畠山具房であったが、実権は具教が握っていた。
直ちに、一万の兵をもって孤立した木造城を支援せよと一益に命じる。
一益からの二報によると、弟の裏切りに怒り、具教は木造城を包囲し攻撃を開始したという。それを受け、ぼくは織田全軍が行くまで持ち堪えよ、と一益に伝える。
南伊勢の地域は、主要街道である伊勢本街道が険しい道で、しかも自然要害の活用しやすい地形であった。北畠はそこに十九の支城をつくり、主城大河内城を守る態勢を整えていた。
絵図面を見ながら、ぼくは二年前の近江路中山道における六角氏の戦術を考えていた。十七の支城のことである。南伊勢は、近江路の地形に比べ、特段に険しく思える。どうして、このような多くの支城を設置して主城を守ろうと考えたのか。おそらく、長年の戦の経験から得た、最善の方策だったのだろう。
敵も味方も、多くて数万の軍勢の戦いだったという畿内特有の状況があったのかもしれない。
だが、今は違う。織田軍は十万に近い軍勢を動員できる軍団なのである。圧倒的な軍勢の差があるのだ。北畠はいかなる戦を仕掛けてくるつもりなのか。
八月二十日、ぼくは八万の軍勢を従えて南伊勢に出陣した。
軍を桑名までの四十六キロの行程を進め、翌二十一日桑名で兵馬を休める。その間、鷹狩をしながら権蔵の知らせを待っことにした。
夕刻、権蔵が陣屋に駆け込んでくる。
「殿、一益さまの伝言にございます」彼は片膝をついてぼくを見上げた。
「北畠軍はすでに木造城の包囲を解き、今は一兵の姿もありませぬ。北畠の軍勢はおよそ一万六千、それを主城大河内城に半数の八千、残りの八千を阿坂城、高城、坂内城、田丸城などの支城に分散して配置、籠城しておりまする」
「一益に伝えよ、二十三日までには、そちらに着く、と」
「はっ」
翌二十二には白子観音寺(鈴鹿)に、二十三日には木造に到着した。
直ちに武将を集め軍議を行う。柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、池田恒興、稲葉良通、木下秀吉らの面々である。
「どう攻める。考えがあれば申してみよ」
「まず支城を叩き潰し、敵の戦意を崩すのが得策か、と」
筆頭の勝家が口を切る。
「長秀、そなたはどうだ」
「われの考えは、攻撃の鉾先を主城大河内城一点に絞り、これを潰すのが良策かと。近江中山道での戦いの再現であります」
「一益、そなたは、どうだ。永年伊勢で戦ってきたゆえ、何か気がつくことがあるのではないか」
「われらの軍勢は併せて九万、敵は主城に八千,支城に八千。敵は籠城戦に持ち込んでおります。これほどの戦力の差があっても、決死の覚悟を示している敵を、短期間に攻め落とすのか難しいと思われます。
「それでは、どうする?」
「まずは」そう言って、長秀はぼくを鋭く見つめる。
「構わぬ、申してみよ」
「近江路中山道同様、支城に千ずつ兵を配置、動きを止めます。それから、大河内城に兵を進め、包囲いたします」
「ウム」
「その際、八田城と阿坂城が邪魔になります。まず、この二つの支城を潰し、大河内城に軍を進めます」
秀吉が笑顔で言った。
「殿、われに先陣を申しつけくだされ」
「サル、そなたは戦が好きだな」ぼくは床几から立ち上がる。
「まず小手調べに、ここを落とす」ぼくは八田城を指で示した。そして、次に阿坂城に指先を滑らす。
「サルよ、そなたは、この阿坂城を任せる。存分に働くがよい」
「はっ。ありがたき幸せ」
陣屋を武将たちが出ていった。最後に一益が残る。
「一益、木造城主具政に会いに行くぞ」
「殿」一益が首を横に振った。
「まだ、木造具政は信頼できませぬ。兄の具教が木造城を包囲しましたが、形ばかりで本気で攻める気配がありませんでした」
「ウム……」
「大河内城を落とした後でよろしかろう、と」
「そうだな」
ぼくは頷いた。
八月二十五日、八田城を全軍を挙げて攻撃、これを攻め落とした。
翌二十六日、秀吉率いる五千の兵が阿坂城を攻撃、猛攻を加え同日陥落させた。
その日の夕刻、木下秀吉負傷の報告が入った。
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