111 三角承禎懐柔策と攻撃作戦


 八月七日、ぼくは五人の仲間と近江佐和山城に入った。

 佐和山城は小谷城の支城であり、城主は磯野員吉であった。この城の位置は戦術的に高い。六角の主城観音寺城、箕作城のほか十七の支城群の北にあり、攻撃拠点として申し分なかったのだ。


 徳川家康の援軍、松平信一率いる千人、浅井長政の援軍三千、これらに加えて尾張、美濃、北伊勢、北近江、三河からの義勇兵の参陣が相次ぐ。義昭を擁立した上洛軍は総勢六万に膨れ上がっていた。


 各軍の将の挨拶を受けた後、ぼくは書院に籠り五人の仲間と最終打ち合わせをした。

 議題は敵将六角承禎の懐柔策であった。

 明智光秀の提案した策は、すでに義昭の承認を得ている。義昭からの使者は和田惟政に決まっていた。ぼくは懐柔策を五人に説明した後、問いかける。

「わが軍からは、誰が随行する?」


「わたしが参ります」

 真っ先に木下藤吉郎が手を上げた。今までの経緯からして、そのようになるのは当然の成り行きか。

「後の二人はどうする」

「万が一のことを考えて、機転が利き、腕が立つ者がよろしいでしょう」

 帰蝶が口添えする。

「ウム……」

「機転がきくかどうか分かりませぬが、われと権六で行きましょう」蜂須賀小六が名のりを上げた。

「われとサル殿で、敵方の様子を探ってみましょう」

 ぼくは頷く。


「さて、懐柔策が整わなかったときは、如何なる策をとるか」ぼくは皆を見回す。

「結論はひとつ、近ずくで押し通すのみである」

 ぼくは近江路中山道の絵図面を車座の中に広げる。


「最終目的は、ここ、観音寺城だ」ぼくは扇子の先で指し示す。

「やつらの目論みは見え透いておる。我らの軍を中山道に誘い込み、包囲、四方から攻撃する算段であろう。ゆえに、真っ先に箕作城を除く十七の支城をすべて包囲し、一兵たりとも、城外に出さぬことだ。どんなに多く見積もっても、数万の兵で足りるであろう」

 仲間は異論を申し立てなかった。

 ぼくの次の言葉を待っている。


 次に、和田山城,箕作城、観音寺城の三角地帯の中山道に、浅井長政に布陣を命じる」

 ぼくは藤吉郎の提案を持ち出した。

 仲間は沈黙した。


「長政さまは、はたして、受けられますか?」

 暫くして、太田牛一がぼくを見詰めて言った。


「もし、長政さまが拒否するようなことあれば、われに箕作城を攻撃することを命じくだされ」

 藤吉郎が顔を赤く染めて声を張り上げた。

「よかろう」ぼくは間髪入れず言い放った。

「サルよ、必ず落とすのだ」

「はっ、命にかえて」


「箕作城を攻め落としたら、じっくりと観音寺城を締め上げる。他の支城にも一斉攻撃をしかける。皆の者、どうだ?」

あとは、京の三好三人衆の動きにございますな。観音寺城を落とすまでに、一か月はかかるでありましょうから」

「奴らが、京から動けぬようにするいい算段はないか?」

 ぼくは問いかける。


「三好と敵対する松永久秀殿を支援するのが、得作かと。久秀殿が大和で三好一族を引きつけておれば、六角を支援するゆとりがなくなります」


「ウム……。誰か行く者がおるか?」

「殿、それは、滝川一益殿にお任せになったらいかがです。彼ならうまくやるでしょう。松永殿の陣営に殿の旗印、木瓜を掲げればいいのですから」

 帰蝶が言った。

 ぼくは笑みを浮かべる。

「良い考えだ。そうしよう」


 その日のうちに、牛一に懐柔の文を作らせ、ぼくは足利義昭の花押を頂くために立政寺に向かった。

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