110 足利義昭という人物 美濃立政寺での会見


 1568(永禄11年)7月13日、足利義昭は細川藤孝、京極高成ら近臣と越前を出発した。浅井長政は兵2000と織田家の使者村井貞勝らと共に出迎える。

 7月16日、義昭、小谷の浅井館に入る。7月22日には小谷を出発、美濃に入り西庄に到着した。7月24日、ぼくは美濃立政寺に入り準備を整え義昭の到着を待つ。


 七月二十五日、立政寺本堂で配下の武将を従えてぼくは義昭の到着を待っていた。烏帽子。大紋直垂の正装で出迎える。末席に献上品の銅銭、太刀、鎧、武具を取り揃えてある。


「足利義昭さまが到着されました」

 近習の声が廊下から聞こえる。ぼくはこうべを垂れる。

 ずかずかと、直垂の者たちが入ってきた。そして一人の男がぼくの前に立った。

「織田信長にございます」

 目を伏せたまま言上する。


 その人物はぼくの前で片膝を立て、腰を屈めた。

「足利義昭じゃ」

「わざわざのお運び、ご苦労さまにございます」

「信長、大儀であった」


 ぼくは顔を上げ、義昭を見上げた。

 おむすびであった。三角形の顔に丸い目が二つ、唇は一文字に伸びている。

「織田信長、これより義昭さまにお仕えいたします。一刻も早く京に上り、義昭様の天下を世に知らしめる所存。お導き下さるよう願い申し上げます」

 ぼくは笑いを堪えて言上する。


「あれは、何だ」

 義昭は立ち上がると、末席の銅銭の山を見詰めて言った。

「公方さまとなられる方に相応しき品々にございます。忠義のあかしとして用意いたしました」

「銭は、いくらある?」

「一千貫にございます」

「わたしにくれるというのか」

「おおさめいただければ、嬉しく存じます」

「うむ……」

 一千貫とは、今の金額で一億数千万円ほどである。

「おつきの方々にも、用意しております」


 義昭の顔が崩れた。

 顔からぼろぼろと米粒が零れ落ちてくるようであった。

「信長殿、そなたの心遣い身に沁みるぞ」



 会見を終え、ぼくは義昭に同道してきた明智光秀を誘い別室で茶を飲んだ。

「光秀、義昭さまは兄の義輝さまには、似ていないな。兄弟とは思えぬ」

「はあ、長く僧侶をしていたため、風貌がお変わりになられたのです」

「僧侶になると、顔が変わるのか」

「はい。人柄も変わります」光秀は大真面目な顔で返答する。


「ところで、光秀、京に行くためには、六角をなんとかせねばならぬ。うまい手はあるか」

「調略でございますか」

「うん」

「義昭さまの使者を派遣し、相応の奉仕をせよ、と伝えたらいかがかと」

「ウム……」

「それに応じなければ、甘い餌で釣るしかありませぬ。たとえば、幕府の所司代に任命するとか」

「分かった。その旨、義昭さまに伝えておくのだ」

「畏まりました」


「殿」廊下から前田利家の声がした。

「義昭さまが、書院にてお呼びにございます」



「義昭さま、織田信長にございます」

「入れ」


 利家が襖を開ける。ぼくは書院に入り、胡坐をかく。利家が背後に控える。

 義昭は上座で胡坐をかいていた。

「信長殿、人払いを。内々の話である」

 ぼくは利家に座を立つように促す。彼は深く頭を垂れると書院を出ていった。


「信長どの~」

 義昭は立ち上がると、ぼくの目の先に近付いて胡坐をかいた。

「信長どの、そなたに聞いてもらいたいことがあるのだ。聞いてくれるか?」

「はあ」

「そうか、そうか。わたしはな、わたしの名は千歳丸ちとせまるというのだ。兄はすでにおり、跡目争いを避けるため、六歳のときに興福寺の僧侶にさせられたのだ。それから二十数年、一乗院門跡となり、興福寺で何事もなく過ごしてきたのだ。 興福寺別当となり、高僧として生涯を終えるつもりであったのだ」


 義昭は膝をにじり寄せ、ぼくの手を両手で握った。背筋が凍る。この人、もしかしてオカマさん?

「ところでな、ところでな、突然兄が殺されてしまったのよ。そして、わたしの所に荒武者が訪れて、連れ出され、閉じ込められてしまったのよ。耳を澄まして聞いていると、なんと、わたしを殺す算段をしているではないか。わたしを、次期将軍にしないためだと言う」

 彼は目に涙を浮かべている。


「信長どの、わたしは何度も将軍にはならぬと言っておるのに、誰も信じない。何が何でも、わたしを殺そうとするのだ。信長どの~、わたしの望みはただひとつ、死にたくないのだ。貧しくてもいい、僅かな銭があれば、貧しきものを救うことができる。それでいいのだ」


 ぼくは言葉を忘れて義昭を見詰めた。

「わたしはな、信長どの、将軍などになりたくないのだ。だが、将軍にならなければ、すぐにでも殺されてしまう。強き者に匿われて、将軍になるしか、生きる道がなかったのだ。だがな、わたしは武家のたしなみなど、何一つ知らぬ僧侶なのだ」


 ぼくは呆然と義昭を見詰めた。

「信長どの、わたしを守ってくれ。わたしの望みはそれだけだ。そなたは、天下を取るつもりであろう。そなたは、わたしを利用すればいい。自分の野望のために、わたしを利用すればいいのだ。わたしに利用価値がなくなれば、命を狙われることもなくなるであろう。それまでの間のことだ」


「承知いたしました。必ず、義昭さまのお命、お守りいたします」

 義昭は僕の両手を強く握りしめ、何度も頷いた。



 書院を出、本堂へ向かう廊下で帰蝶が待っていた。

「聞いておったか?」

「はい」

「どう思った?」

「不可解な話にございます」

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