101 北伊勢侵攻 明智光秀登場



 永禄十年(1567)一月二十日、越前から足利義秋の使者が来た。使者の名は明智十兵衛光秀。遂に来たか、光秀。


 ぼくは大広間に帰蝶をはじめ、五人の仲間を呼んだ。

 帰蝶の話によると、光秀は彼女の従兄弟に当たるという。

「チョウよ、光秀はそなたが男であることを知っておるのか」

「知っております。子供のころは、男でありましたので……」

「そうか、そうであるならば、話はしやすい」


 大広間には、ぼくの右手に四人の仲間が胡坐をかいている。帰蝶はぼくの後ろに控えた。


 光秀は一人の老僧を従えて現れた。

「明智十兵衛光秀にございます。足利義秋さまの命で参上いたしました。後ろに控えし僧は、われの付人の勝恵(しょうえ)にございます」

 彼は額を床に付けたまま声を張り上げた。

「織田信長である。良く参られた。義秋さまは、健やかに過ごしておられるか」

「はっ。意気軒昂にございます」


「十兵衛光秀、面を上げよ」

「はっ」

 彼は顔を上げ、ぼくを見詰める。

 ウム、なかなかの男前である。

「歳は、いくつであるか」

「三十九歳になります」

 ぼく信長は三十四歳である。五つ年上だ。


「医術の心得があると聞くが、まことであるか」

「多少で、ございますが」


「さて、義秋さまの用向きはなんであるか」

「実は、朝倉さまは、上洛に気が進まぬご様子で、義秋さまは、ご不満を隠しきれませぬ。尾張の信長さまは、いかがしておられるのか、見て参れと申されまして。義秋さまは、信長さまが、上洛の志を、今も変わらずお持ちなのか、知りたいのでございます」

「義秋さまは、われが河野島で散々な目にあったのを、ご存じであろう」

「戦は、勝つときもありますれば、負けるときもありましょう。時の運というものでございます」


「われに上洛の決意があるとすると、義秋さまはどうされる?」

「われが、信長さまの許にお連れいたします」

「ウム……」


「そのためには、美濃を倒さねばなりませぬ」

 そう言って、光秀はぼくを上目遣いに見る。

「美濃を倒す手段は、斎藤龍興さまを孤立させることが、最善の策と心得ます」

「……そなたに妙案があるのか」

「第一は、西美濃の三人衆を離反させることでございます。殿は安藤守統殿と懇意であると聞き及んでおりますが、いかがでございます」


 ぼくは頷いた。

「村木砦を攻撃したときだ。父上からの援軍としてきたのが、安藤殿だ。彼に城の防御を任せて出陣したことがある」

「その話、道三さまと共に、安藤殿から聞いたことがあります。信長さまは、器量の大きな人物だ、と」


 ぼくは笑った。

「そうではあるが、それは昔の話だ。そなたは、その安藤と、稲葉良通を口説いてみてははくれまいか。氏家直元は、六年前にサルを通じてわれに内通してきている」

「畏まりました。そのように……」


 ぼくは光秀の不敵な面構えを見詰めたまま頷いた。

「東の甲斐とは、縁組で同盟を結ばれたと仄聞しております。さすれば、残りは北伊勢にございます」

「そうだな」

「早々に、攻略するが、賢明と心得ます」

 光秀は、サラサラとまくし立てる。その流れに淀みがない。


「そなたに、良き策はあるのか」

「北伊勢は、南美濃と国境を接しております。この地には、北勢四十八家の豪族が割拠しております。これらの豪族は、互いに相手の隙をみて争いを繰り返しております。しかし、尾張が攻め込んでくるとなりますと、一丸となるやもしれませぬ」

「ウム……」

「そこで、一家ずつ調略していくのが得策と存じます。ここに控えおる勝恵は、浄土真宗の僧にございます。本願寺法王さまの信任厚く、伊勢、伊賀、大和の門徒に慕われております。この者を使者として、豪族らの説得に当たらせるのが良策と心得ます」


 勝恵は背筋を伸ばし、ぼくを真正面から見詰めている。

「勝恵どの、そなたの信念を聞かせてまらえるか」

「拙僧は、義秋さまと同様、仏の道に仕える身、殺生は好みませぬ」

「そうで、あるか。如何にして、説得するおつもりか」

「単純なことでございます。本領安堵と租税の免除にございます」

「ウム……。本領安堵はともかく、租税の免除は困る。他の者らに示しがつかぬ」

「五、六千の兵が、殿の傘下に組み込まれてもですか」


 皺を寄せる老僧の顔に笑みが零れた。

「もともと、織田家は越前織田剣神社の神主。信長さまは、平清盛の子孫と称していると聞き及んでおります。白旗は平家の旗印であり、伊勢は平家発祥の地にございます。いわば、伊勢は織田家のおひざ元にございます。ご尊父信秀さまは、天文九年に、多額の外宮仮殿造営費を寄進されておりますのが、その証拠」


 ぼくは勝恵の笑顔を見詰めて何度も頷いていた。

「殿」背後から帰蝶の声がした。

「ここは、勝恵殿の提案をお受けになられたら如何でありましょう。北伊勢豪族の武将たちが、織田家の家臣となった暁には、この小牧山城に呼び寄せ、織田家の伊勢に対する思い入れと、処遇について、お話になったらいかがでしょうか」


 ぼくは自然と笑みが零れた。河野島での苦難を忘れさせるに十分な言葉であった。

「よかろう。勝栄どの、伊勢への説得はそなたに任せる。準備が整い次第、伊勢に侵攻する。指揮官は滝川一益に委ねるつもりだ。それで、よろしいか、光秀殿」

「ははっ」

 光秀は額を床に擦りつけた、


「光秀殿に、われの腹心を紹介しておこう」

 ぼくは右手に並ぶ四人の武将を指さした。

「皆の者、名を名乗るがよい」

「太田牛一でござる」

「蜂須賀小六でござる」

「前田利家でござる」

「木下秀吉でござる」


「明智十兵衛光秀でござる。お見知りおきを」


「光秀殿、美濃三人衆を調略するにあたっては、秀吉と綿密な打ち合わせをしてもらいたい」

 光秀は秀吉を見詰めてから、ぼくに顔を向けた。

「そのように……いたします」

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