95 堂洞合戦(4) 斎藤龍興の逆襲
堂洞砦を攻め落とした夜、ぼくは前田利家はじめ近習たちと共に加治田城に一泊した。城主佐藤忠能に対しその労をねぎらい感謝の意を伝えると。彼はいたく感激し涙を流した。
翌八月二十九日、城下の広場で首実検を行った。その実態を綿密に記録にとどさせる。論功評価の資料とするためだ。
丹羽長秀、森可成ら織田軍の本隊は昨夜のうちに木曽川を越え、犬山城に帰還させている。利家から、長井道利軍は堂洞砦の陥落を見て、関城へ撤退していったという知らせが入ったからである。
今、ぼくの許にいるのは総勢八百ほどである。しかし戦闘能力を有する兵は五百程度にすぎない。残りは負傷兵、文官、荷役夫たちである。
加治田城を発ち、堂洞砦の東を通り一キロほど進んだころ、物見の兵が馬をとばしてきた。
「殿~。斎藤軍が押し寄せてまいります」
ぼくは馬上から西方向を眺めた。遥か彼方に砂ぼこりを上げて騎馬兵が向かってくる。その背後には、無数の歩兵が旗をたなびかせながら、蠢いているのが見えた。
「敵兵は、いかほどだ」
「稲葉山城軍五千、関城軍二千にございます」
「ウム……」
「そなたは、猿ばみ城に馬を走らせよ。ことの次第を知らせるのだ」
「はっ」
物見の兵は騎乗すると、南に向かって駆っていく。
「イヌよ、戦えぬ者どもを、一刻も早く猿ばみ城に引かせよ。われはここに留まり、敵を引きつける。よいか、武具を積んだ荷馬車はここに置いていけ。身軽になって負傷兵だけを運ぶのだ」
「殿、しんがりはわたしめに」
「命令である。急げ」
「はっ」
ぼくは下馬した。陣羽織を捨て、武具を外し、着物も脱いでフンドシ姿になった。頭髪を崩し、ばらばらにする。
「足軽の衣裳を、われに着せよ。急げ」
足軽姿になると、陣笠を被り草履を履き替えた。そして騎乗する。
「よいか、皆の者よく聞け。ここより五百メートル南に、開けた土地がある。そこまで、走りに走るのだ。その地で敵を向かい打つ。そこで、一時間持ち堪えるのだ。その後は自分の命は自分で守れ。一刻も早く、猿ばみ城に逃げ込むのだ。時間を稼げば、援軍がくる。それまで、死にもの狂いで頑張るのだ」
五百メートル、走りに走った。
敵の騎馬兵およそ五十が、背後に迫っていた。少なくとも、騎馬兵はここで止めおかなければならない。
西に向かって陣立てする。
長槍部隊三百を二列に配置い、その後ろに二百の弓隊を並べる。騎馬兵二十を左右に十ずつ配置する。残りの兵は左右に振り分けた。
騎馬兵は五十メートほど先で立ち止まった。
「織田の御大将、信長殿はおられるか。われは関城城主長井道利でござる。一騎討を所望いたす」
われの軍は沈黙する。
「われに続け」
長井はそう叫ぶと、左側に向かって馬を走らせた。その後を三十の騎馬兵が続く。左翼にいた十の騎馬兵が蹴散らされた。
長井はぼくが撤退軍の中にいると読んだようだ。彼の目的はぼくの首一つ。
「敵騎馬を追え、追え。追いつかせるな」
ぼくは馬上から叫んだ。
我軍の騎兵十数騎が追っていく。
隊列を乱された残りの騎馬も。少し遅れて追っていく。
敵の歩兵が二百メートル先に迫ってきた。
「その態勢で後退せよ」
ぼくは長槍を掲げて叫ぶ。
百メートル後退したところで、両軍は対峙した。五千対五百の戦いである。
ぼくは下馬した。
敵軍の矢攻めが始まる。
無数の矢が空に舞い上がる。我軍は防御板を掲げ、身構える。
無数の矢が防御板に唸りを上げて突き刺さる。
「矢を放て」
我軍からも、矢戦を仕掛ける。
十数分も経たぬうちに、両軍は肉弾戦に入ってしまった。これでは、三十分も持ち堪えられない。
「下がって、散れ」
ぼくは騎乗して叫んだ。
これ以上組織戦で戦っても無意味である。
次から次と、目の前で兵が殺されていく。
これまで、か。ぼくは兵を見捨てることにした。このまま、この場に留まっていると、わが命も危ない。今まで頑張ってきた努力が水泡に期してしまう。
「殿、お逃げくだされ」
近習の若武者が轡をとって言った。その若武者が背後から槍を突かれて崩れ落ちる。その瞬間、ぼくは脇腹に激痛が走った。敵歩兵の太刀先が切り裂いたのだ。ぼくは無我夢中で太刀を抜き、振り払った。首が一つ宙に舞った。
もはや、これまで……。ぼくは踵を返した。
その時、西南の方向から砂煙が上がってくるのが見えた。
大群である。砂煙の上から旗印が見えた。木瓜の旗印である。
サルめ、……来たか。
ぼくは馬を駆りながら呟いた。
ぼくは猿ばみ城に担ぎ込まれた。
木台の上に寝かされ、着ているものを脱がされる。脇腹が五センチほど裂かれていた。金創医(きんそうい・医者)が二人見下ろしている。
彼らは手分けして、傷口に蒲黄(ほこう・ガマの花粉)を塗り、止血する。それから洗浄して血留め薬を塗った。
「殿、傷口を縫いまする。我慢してくだされ」
「サルはおるか」
「はっ、ここに」
「加治田城はどうなっておる}
「長井軍に包囲されております」
「龍興は、どうした」
「稲葉山城に帰陣しました」
「ここには、誰がおる」
「河尻秀隆殿と、斎藤利治殿が守備のため残っております」
「両名とも、呼べ」
「はっ」
ぼくは頑強な武者たちに囲まれ、肩から足まで強く抑え込まれた。激痛の中、ぼくは善後策を考えた。
十分ほどで、縫合手術は終わった。
「殿、河尻殿と斎藤殿が参りました」
藤吉郎が大声で言った。
斎藤利治は義父道三の末子である。道三亡き後、ぼくを頼って身を寄せていたのだ。
「兵はいかほど残っておる」
「猿ばみに千、宇留摩に二千にございます」
「利治、千の兵を引き連れて、加治田城の後詰めに参れ」
「はっ」
「秀隆、五百の兵を引き連れて、長井軍の背後に布陣せよ。攻めてはならぬ。敵を牽制するのだ。残りの兵は、城の守備に配置せよ」
「はっ」
「サル、そなたは五百の兵を引き連れて、さらに西に布陣し、龍興軍と長井軍を牽制するのだ。三名ともよく聞け、目的は戦うことではない。敵を西に封じ込め、東美濃を制圧することだ」
「はっ」
「直ちに、かかれっ」
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