91 宇留摩城、猿ばみ城、金山城の三城同時攻撃(5)



 丹羽長秀軍は木曽川を渡り、猿ばみ城の北に布陣した。

 小競り合いがあったが、城主多治見修理は堅城の守りをさらに堅くし、籠城の構えに入る。斎藤方の援軍を待つ態勢をとった。

 猿ばみ城の対応を見るかぎりでは兵数六百ほどで、思いのほか少なかった。


 長秀はかつての計画どおり大ぼて山に兵を送り、数時間の小競り合いの後、猿ばみ城の水源を確保し、そのまま五百の兵を駐留させた。かりに、多治見が兵を向ければ、手薄となる正面を攻撃するだけである。

 

 長秀は、五百の兵をさらに西に向け、宇留摩城近くまで進めた。木下藤吉郎の伊木山砦建設への陽動作戦である。宇留摩城への行動は、ぼくからの指令を待ってから行うようにと伝える。ここは、木下軍との綿密なチームワークが必要だ。


 膠着状態が三週間ほど続いた。

 我軍も斎藤軍も、目立った行動は起こさなかった。

 斎藤方の堂洞砦の建設は遅々として進んでいなかった。斎藤龍興の決断が滞っているようである。そもそも、堂洞砦は、加治田城の付け城として企図されたものである。斎藤方は、加治田城主佐藤紀伊守の腹の内を探りかねていたのであろう。彼の愛する娘八重緑(やえりょく)を人質にとっていたからである。 


 七月に入るとすぐ、ぼくは長秀に宇留摩城攻撃の指令を出した。

 その足で、前田利家と共に、三十名の近習を率いて木曽川沿いの藤吉郎の陣屋に向かう。まだ、陽も昇りきらぬ早朝のことである。

 素っ破を伊木山に出し、敵方の動向を探らせる。


 その日は蒸し暑かった。汗が滴り落ちる。

 ぼくは天幕の中で、長秀からの報告を待っていた。

 宇留摩城主大沢次郎左衛門がどう出るかだった。今までの態勢を維持するか、変更するか。彼は宇留摩の虎と呼ばれている猛将である。これからのわれらの行動は、彼がどう情勢を捉え、どう行動するかにかかっていた。


 午後、陽も傾きかけた頃、長秀からの母衣武者が来た。

「昼前より、百の鉄砲をもって、宇留摩城に攻撃をしかけました。同時に火矢をもって、櫓を火責めにしております」

「長秀に伝えよ。陽暮れと共に、一旦兵を引け、と」

「はっ。畏まりました」


 真夜中になって、伊木山を探らせていた素っ破から吉報が届いた。宇留摩城の五百の兵が伊木山から撤退したという報告である。してやったり。ぼくは直ちに長秀の許に母衣武者を走らせる。宇留摩城に夜襲をしかけよ、と。


 満を持していた藤吉郎軍は、全軍あげて砦建設の部材を伊木山に運び上げる。

 ぼくは近習と共に伊木山に登った。

 眼下に宇留摩城、さらにその東に猿ばみ城を見渡せた。


 藤吉郎が息を切らせて上ってきた。

「サルよ、宇留摩城の東に、五百の兵を向かわせよ」

「はっ」

 その夜、僕は伊木山山頂で眠りについた。


 砦建設は、昼夜ぶっ通しで進められた。

 一週間後、山頂に高さ二十メートルにも及ぶ物見櫓が聳えたった。

 この櫓を宇留摩城から見ると、戦略的な脅威に感じるであろう。小牧山城で実証ずみである。しかも、西方面からは長秀軍、東からは藤吉郎軍でる。


 藤吉郎は宇留摩城主大沢次郎左衛門を調略したいと言う。ぼくは即座に同意する。斎藤龍興、その配下長井道利との全面対決に向けて、一兵たりとも失いたくなかったのである。


 次の狙いは、猿ばみ城攻略である。猿ばみ城を落とせば、藤吉郎の宇留摩城調略も容易くなるであろう。

 ぼくは前田利家に五百の兵を与え、共に猿ばみ城に向かった。


「殿、雨が降りまする。雲の色と流れで、わかります」長秀が笑顔で言った。

「雨がふれば、木曽川の水量が増え、激しくなります」

 ぼくは彼の意図しているところが、即座には分からなかった。だが、織田軍には桶狭間以来、雨は吉兆の象徴なのだ。


「その時をめがけて、総攻撃をかけます」

「ウム」

「木曽川の水嵩を見て、猿ばみ城側は、木曽川からの攻撃はないと考え、全軍を正面に向けてくるはずです。手薄になった木曽川側を河尻秀隆に攻めさせます」

「それは、見物だ。はたして渡れるか、あの激流を」

「河尻秀隆の、凄さをご覧くだされ、秀隆はすでに、対岸の岩に大綱を括り付けております」

「ウム……」


 夜半から雨になった。雨粒が大きく、地面に音をたてて降り注ぐ。

 翌日午後になって、長秀がぼくの陣屋を訪れた。

「殿、河尻から、伝令がまいりました。準備が整った、と」

「そうか、それでは、見物にまいろう」


 豪雨の中、総攻撃が始まった。

 猿ばみ城を、上方の大ぼて山からと、正面からの正規軍で攻めたてる。


 ぼくは木曽川沿いに向かい、戦況を眺めた。

 対岸から猿ばみ城まで五百メートルほどある。城下のいくつもの大岩に大繩が括り付けられており、フンドシ姿で背に太刀を括り付けた兵たちが、その大綱に掴まりながら木曽川を渡っていくのが見えた。その数、二百ほど。

 猿ばみ城の兵は一兵も現れない。


 対岸に辿り着いた兵たちは、フンドシを締め直し勢揃いすると、城への崖を上っていく。

 ぼくは笑みが零れた。

 何という鮮やかさ。


 秀隆軍の奇襲で、猿ばみ城は総崩れになった。

 城主多治見修理は降伏を申し出、城を明け渡した。


 翌日、猿ばみ城に千の兵を残し、残りの軍を率いて、宇留摩城に向かった。

 藤吉郎の調略を受けていた城主大沢次郎左衛門は、猿ばみ城の陥落を知って、あっさりと降伏した。

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