第七章 稲葉山城攻略戦
87 宇留摩城、猿ばみ城、金山城の三城同時攻撃(1)
その年永禄七年(1564)は、犬山城攻撃以外は目立った戦はなかったが、ぼくにとって転機となった年である。
新加納の戦い、黒田城、小口城攻略で大きな戦功を上げた木下藤吉郎に褒美を与えた。成果を挙げた者には、それ相応の処遇を与えるという見本を示したのである。
藤吉郎は俸禄五貫の組頭であったが、一挙に五十貫へ加増し、加えて足軽鉄砲隊百人の組頭に昇格させたのである。五十貫というと、六百石に相当する。馬廻り衆精鋭を率いる侍大将に抜擢したのである。
ぼくの決断に異を唱える者はいなかった。新加納の戦いで命を救われた武将が多かったからであろう。
またこの年は、美濃攻略の戦術に苦慮しながら、外交上の問題に追われた年でもあった。
太田信定の意見を入れて、六月には上杉輝虎(謙信)の重臣直江景綱に書状を渡し、越後との同盟を探り続けた。八月には輝虎に親書を渡し、その中で関東での勝利を祝すと共に、息子を養子に迎えるようにと、ぼくの願いを伝えた。
一方で、甲斐については、信玄の子勝頼との縁組を模索した。
九月に京から将軍足利義輝の御内書を持参し、立入宗継が下向してきた。この御内書に対し、ぼくは天下統一する旨の返書を送った。はっきり言って、ぼくは時の将軍に対し天下を統一すると宣言したのである。
八月には、竹中半兵衛が稲葉山城を出、斎藤龍興に城を返還したという情報が入った。斎藤龍興方の態勢が整わぬうちに、美濃侵攻の行動を起こさねばならない。
ぼくは書院に仲間を呼び、美濃攻略の作戦を練った。
まず信定に甲斐、越後の情報を説明させた。
藤吉郎が車座の中に、北尾張、東美濃の絵図面を広げる。
ぼくには腹案があった。
木曽川を挟んで犬山城の対岸にある宇留摩城、それから北東に三キロ行ったところにある猿ばみ城、さらに北東にある金山城、この三城の同時攻撃である。三城が連携して反撃してくるのを制し、東美濃方の戦闘意欲を削ぐためである。
ぼくは三つの城を扇子の先で示していった。
「これらの城を、どう攻める」
ぼくは五人に課題を投げかける。
「この戦、陣立てはいかほどに?」
信定が尋ねた。
「全軍である。今、美濃の他に尾張に攻め込む国はあるまい」
「しからば、一万数千というところでございますか」
「そうだな」
「ならば、三城同時攻撃ができますね」
前田利家が笑顔で言った。彼が意見を言うのは珍しい。
「たしかに」蜂須賀小六が同意した。
「三城の結束を阻止できます」
「三城を、同時に、どう攻撃する?」
ぼくはさらに問い続ける。
「宇留摩城は、見ての通り、力ずくで落とすのは,困難です。かりに落としたとしても、相当の犠牲者がでます。それに、城主の大沢次郎左衛門は、斎藤家の直属の家臣であります。主君の手前、自ら旗を降ろすことはありますまい。まずは、猿ばみ城からでございましょう」
小六が言った。
たしかに、宇留摩城は犬山城から木曽川を隔てた対岸に位置し、巨大な岩山に築かれた堅固な要塞である。
「しかしながら、宇留摩を放置して猿ばみ城を攻撃するのは、危険かもしれません」
信定が意見を挟む。
「猿ばみ城攻撃中、背後を宇留摩からの攻撃にさらされることになりましょう」
「サルよ、おまえなら、どうする」
藤吉郎は宇留摩城の西の地点に、人差し指を当てた。その地点は伊木山であった。
「ここに、砦を築きます。もし、宇留摩城から出撃することあらば、即座に背後を突くことができますゆえ」
「なるほど、面白い」
「猿ばみ城、金山城の攻撃が始まりましたら、城主大沢次郎左衛門への調略を図ります」
「どうだ、サルの作戦は?」
「よろしかろうと」
信定が同意すると、他の者も一様に同意した。
「サルよ、ただちに陣立てにかかれ、おまえの手勢の他に三千の兵、必要なだけの人夫を与える。心してかかれ」
「はっ」
四名が去った後、一言も話さなかった帰蝶が口を開いた。
「殿、吉乃さまが病に伏せておるようでございますな」
「うん……」
ぼくは頷いただけで返答をしなかった。
吉乃の病を知ってから、ぼくはずっと怯え続けてきた。吉乃にもしものことがあったら、彼女を溺愛しているぼくの体の中の信長が、悲しみのあまり発狂してしまうのではないか、と。
そう、ぼくは信長との二重人格者なのである。
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