86 犬山城陥落

 

 永禄七年(1564年)二月七日、蜂須賀小六と木下藤吉郎が小牧山城を訪れた。

「殿、稲葉山城で、とんでもないことが起こりました」小六が興奮した面持ちでまくしたてる。

「竹中半兵衛が義父安藤守就と共に、稲葉山城を乗っ取りました。しかも十八ほどの兵数ででございます」


 ぼくはその逸話を知っている。転生前の中学生時代に本で読んだことがある。それ以来、ぼくは竹中半兵衛のフアンになってしまったのだ。


 ぼくは試しに訊いてみる。

「どのような策略を行ったのだ?」

「聞くところによりますと、人質となっていた弟久作重矩の見舞いと称して城内に入ったそうでございます。宿直の大将斎藤飛騨守を自らの手で切り、城内を制圧したとのことです。その間、数時間」

「龍興はどうした。殺されたのか」

「いえ、敵の襲撃と勘違いして、城から逃げ出したそうにございます」


「斎藤方の将兵はどうしておるのだ」

「今のところ、静観しているもようにございます」

「青ひょうたん。なかなかやるではないか」

 ぼくは、新加納の戦いにおいて、十面埋伏の計によってコテンパンにやられた苦い経験を思い出していた。


「安藤守就も、稲葉山城に入っておるのか」

「いえ、居城の北方城に籠っているとか」

 安藤守就は、ぼくにとって忘れられない武将である。

 十年前、村木砦攻撃の際、義父斎藤利政(道三)の計らいで援軍として赴いてきた武将である。ぼくは彼に那古野城の守備を任せ出陣したのである(17話)。信頼できる武将である。


「サル、半兵衛に城を明け渡せと伝えよ。さすれば、美濃の半分を与える、と」

「はっ」

「そうだな、その前に北方城に出向き、安藤守就にわれからの文を渡し、半兵衛を説得するよう願いでるのだ」

「はっ」


 

 藤吉郎と小六が去った後、ぼくは丹羽長秀を呼んだ。彼は詰めている小口城から駆け付けた。書院に彼を迎える。

 長秀は天文四年(1535)の生まれだ。信長より一つ年下である。感が良く、つかえる人物である。


「長秀、竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取ったそうだ。詳しくは、小六に訊くがよい。竜興が城を抜け出しておると聞く。今がいい機会だ。犬山城を包囲するのだ。美濃は援軍を差し向ける余裕はあるまい」

「兵糧攻めにございますな」

「そうだ」

「陣立ては、いかほどに?」

「全軍だ。搔き集めれば、一万にはなるだろう。今三河では家康が一向一揆と和議を結び、東三河に侵攻しようとしておる。それに、武田、上杉とは縁組の交渉中だ。東からの脅威はないと考えてよい。今は、犬山城攻略に全力を挙げるのだ」

「殿は、その大役をわたしに任せていただけるのですか」

「そうだ」

「有難き、しあわせ」


 十日ほどして、藤吉郎と小六が戻ってきた。

 藤吉郎が半兵衛の文を持参した。

「竹中半兵衛からの返答にございます」


 ぼくは徐に文を広げた。

 その文は僅か二行の簡潔なものであった。

「稲葉山城はわが国の城であるゆえ、他国の者に与えて所領を賜るのは、われの本意ではございませぬ」


「ウム……」

 ぼくはますます半兵衛に惚れ込んだ。

「サルよ、いつか、機会があれば、ぜひとも家臣として迎えたい人物だな」

「ごもっともに、ございます」

「龍興、人をみる目がないな。哀れな男だ」

 ぼくは思わず笑みを零した。



 四か月が経過し、六月に入った。犬山城の兵糧攻めは佳境に入っていた。

 将兵たちは、次から次と投降してくる。犬山城はいつ陥落してもおかしくない状況になっていく。犬山城主織田信清にも面子があるのであろう。彼の宿老であった和田新介、中島左衛門の度重なる説得に対しても、頑として応じなかった。


 中旬に入って、ぼくは長秀に鉄砲隊千を用意させ、総攻撃の態勢をとらせた。

 力ずくで攻めるつもりはなかった。最後の脅しである。


 ぼくは総攻撃をかけ、信清を殺害してしまうことに躊躇していた。信清の正室犬山殿は信長の実の姉である。ここで、姉まで道づれにしてしまっては、母土田御前、妹市に顔向けができなくなる。


 ぼくは太田信定に命じ甲斐武田との同盟を図るため工作を続けさせていたが、そのおり信清の逃亡先と処遇について打診させていた。下旬に入って、信定から武田方から信清を受け入れ、相当の処遇をする旨の了解を得たという知らせが入った。


 ぼくは和田新介にその旨をしたためた書状を待たせ、犬山殿に渡すように命じた。総攻撃は二日後の日の出、と口頭で伝えるよう、併せて命じる。

 その翌日、信清の使者が訪れた。そして彼の言葉をぼくに伝えた。

 本日、犬山城を捨て、甲斐に向かう、と。

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