72 北尾張、美濃同時攻撃作戦 小口城の戦い

 

 墨俣砦に千五百の兵を残し、木下藤吉郎と前田利家に守備を委ねた。

 ぼくは残りの兵を引き連れて清州に戻った。直ちに林秀貞を呼び、ことの次第を尋ねる。


「殿の率いる軍が稲葉城に迫り、斎藤龍興が慌てたのでしょう。信清さまを調略し、背後から牽制しようとしたのでございます」

 信清を片付けなければ、美濃は落とせないということか……。ぼくは呟いた。

「殿が、信清さまの弟君広良殿を、むりやり戦場に駆り出し、故意に戦死させた、と信清さまに耳打ちした者がいるとのことでございます」


「それは、違う。広良は、自ら志願したのだぞ。やつは、謀反人の弟という汚名を晴らそうと、命がけの決意をしたのだ」

「犬山城は、怒りに燃えております。とくに支城小口城では、血気盛んであります」

 他人事のように淡々と話しを続ける秀貞に、ぼくは苛立ってくる。

「もうよい、さがれ」


 ぼくは寝間に引き籠った。

 大の字になつて天井を見上げる。


「殿、よろしいですか」

 帰蝶の声がした。廊下を見ると、彼女の後ろには太田信定と蜂須賀小六が控えている。

「はいれ」

 ぼくは起き上がり胡坐をかいた。

「殿、龍興は凡庸なれど、侮れず、若輩にもかかわらず、親に似て悪知恵が働きます」

 小六が苦笑いする。

「美濃の三人衆が、事実上の敵でございます。これらを懐柔しなければ、前に進むのは難しく思われます」

 帰蝶が口添えする。


 美濃三人衆。稲葉良通、安藤守就、氏家直元の三人である。

 ぼくは安藤守就を知っている。村木砦攻撃に際し、義父斎藤道三が遣わした武将である。ぼくは彼に那古野城の守備を委ね、村木砦に進軍したのだ(17話)。今は北方城主である。


「殿、焦る気持ちは分かりますが、急いてはことを仕損じます。一息つきましょう」

 信定がいつもの淡々とした口調で話す。

 

 だが、ぼくは怒りが治まらない。

「だが、このまま放置すれば、示しがつかぬ」

「対三河の兵を割くわけにはいきませぬ。かと言って、墨俣の兵を撤退させるのも、割に合いませぬ」

 小六が思案気に言う。


「では、どうする」

「とりあえず、殿の小姓衆や若衆で新たな軍団を編制いたしましょう。対三河との関係が穏やかになり、美濃との戦いが膠着状態になるまでの間、犬山城の動きを牽制する役割を担わせるためです」

 信定が提案した。

「よかろう。すぐさま編成に取りかかれ」

「はっ」


「殿、西美濃は、どうされます。このままでは、墨俣の兵が身動きできませぬ」

 小六が訊いた。

「このままでは、稲葉山城近くまで攻め込んだ意味がなくなってしまう。それに龍興のわが地に対する干渉にも我慢ができぬ。一挙に稲葉山城を攻撃して、うっぷんを晴らさねば、腹の虫が治まらぬ」


「ウシ殿、ハチ殿、稲葉城攻撃の軍の編制をなさいませ。殿のご命令として」

 信定と小六がぼくの顔を窺った。ぼくは大きく頷き、そして口を開く。

「とりあえず、五百の兵を編制して、犬山の支城、小口城を包囲する。信清の動きを見極めるのだ。同時に、美濃侵攻軍を編制する。墨俣の兵と併せて三千の規模にする」



 その年の六月十三日、ぼくは美濃攻撃軍千五百と小口城攻撃支援三百を引き連れて、小口城のある北尾張於久地域に出立した。

 

 この包囲作戦の指揮官に小姓岩室重休を抜擢した。赤母衣衆である。カナデや権蔵の推薦があって小姓に取りたてた甲賀衆の一員であった。桶狭間では、大いに働き武勇を高めた人物である。

 ぼくは重休に戦の趣旨を伝えた。目的は城を攻め落とすことではない。小口城を籠城に追い込み、犬山城を牽制することだと。決着は本隊が美濃から帰還してから一挙にかたを付ける、と。

 

 小口城に到着したぼくは、八百の兵を集めた。

 顔見知りの若い顔が多い。その時、村木砦攻略戦において、多くの若衆たちを失ったことを思い出した。若者が武将として成長していくための一里塚である。

「よいか、決して逸るな。冷静にことを運ぶのだ」

 ぼくはそう訓示して、血気に走ることを戒めた。

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