66 西三河侵攻(3)拳母城攻撃


 斎藤義龍が若くして死ぬことを、ぼくは知っている。いつ死んだのか、正確な月日は分からない。桶狭間の戦で知ったのだが、正確な日時は、手持ちの史料では分からないのだ。だから、一時も油断せず対応できるように準備しておかなければならない。


 一方、耳に入ってくる三河の情勢は、松平元康にとって好ましいものではなかった。元康とは、来年1562年に、同盟を結ばねばならないのだ。そのためには、三河から今川勢力を一掃しておかなければならない。

 今川義元亡きあと、武田信玄との軋轢が駿府遠江に及んでくることは、目に見えている。尾張が東と北と同時に戦えるほど、戦力に恵まれていない。


 四月下旬、沓掛城主簗田政綱から書状が届いた。

 西三河の拳母城が軍備の増強をしており、しかも三河守護吉良義昭と結託している疑いもある、というものだった。これに、今川勢が絡んでいるとは思えないが、放置することはできない。


 ぼくは大広間に仲間全員を集めた。

 ぼくの腹は決まっていた。拳母城攻撃である。田畑を焼き払い、薙ぎ払うだけでは、ことは済まない。武力で拳母城を攻め落とさなければならない。

「美濃の情勢は、どうだ」

「平穏でございます」藤吉郎が答えた。

「素っ破百ほど、商人の身なりで、城下に潜入させております。ことが起これば、直ちに知らせが参ります」


 藤吉郎の言う「こと」というのは、斎藤義龍の病状のことである。

 義龍が死ねば、間髪入れず美濃へ侵攻することにしている。勝っても、負けても美濃に動揺が走るであろう。


「殿は滝川一益をご存じでありますか」

 帰蝶が訊いた。

「鉄砲の名手であろう。桶狭間では、たいそう活躍したではないか」

「その一益、甲賀の者であることも、ご存じでありますか。カナデの話によりますと、毒殺の達人であるとのことでございます」

「毒殺……」

 ぼくが呟くと、帰蝶はにやりと笑った。


「そなたは、実の兄を毒殺してもいいというのか」

 帰蝶の耳元に囁く。

「兄は、父道三と弟二人を殺した張本人にございます」

 帰蝶は顔色を変えずにぼくの目を見詰めて言った。


「殿、犬山城の信清さまのこと、美濃の義龍さまの病状のこと、この情報をカナデやわれにもたらしたのは、一益殿でございます」

 藤吉郎が口を挟んだ。


「どう、されます? 一益にお会いになりますか、お止めになりますか」

「会ってもいいぞ、面白い話ができそうだ」


 四月中に、いつでも出撃できる千五百の精鋭部隊を、ぼくは清州城に配備した。同時に、鳴海城、沓掛城にも戦闘準備に入るように指示を出した。

 

 五月九日、滝川一正を同道させ、千の鉄砲隊を引き連れて三河の地に向かった。鳴海城からは六百、沓掛城からは八百の兵を動員した。併せて二千四百の兵が、一挙に三河に侵入、拳母城を包囲した。

 

 拳母城から出撃してくる気配はなく、籠城戦に持ち込む算段のようだ。

 ぼくは沓掛城主簗田政綱(やなだまさつな)に、城攻めの指揮を任せた。彼には沓掛城攻略の実績がある。手段を選ばず何が何でも、降伏させよ、というのがぼくの命令である。


 政綱は城下を焼き払った。黒い煙が立ち上がり、異臭が立ち込める。

 明日に向けての前哨戦である。


 その夜、ぼくは滝川一益を陣屋に呼んだ。

 帰蝶が書いてくれたメモ書きのよると、一益は大永五年(1525)の生まれである、ぼく信長より九つ年上の三十七歳である。

 

 現れた一益は下駄のように四角い顔した、厳つい武将であった。特徴のある顔である。幾度か戦場で顔を見かけた記憶がある。体は忍びの修行で鍛えぬいたのか、いかにも俊敏な風格を備えている。この男の働きぶりを身近に見たいものである。 


「帰蝶に聞いたのだが、桶狭間の戦では鉄砲で良き働きをしたそうだな」

「はっ、ありがたき幸せ」

「甲賀の出、というのは、まことか」

「若き頃より、甲賀で修行をしておりました」


「どうだ、餅を食うか。うまいぞ」

「はっ」

 ぼくは床几から立ち上がり、一益に餅を握らせた。

 床几に腰を落とし、目の前の餅を掴む。


「今の美濃、どう見る?」

「それは、斎藤義龍さま次第かと」

「義龍が、病で伏せているというのは、まことか」

「中風(脳卒中)にございます。半身不随状態であるようでございます」

「いかにして、そのことを、察知いたしたか」

「われらの仲間が、城内に忍び込んでおりますゆえ」


 ウム……。この男、使いようによっては恐ろしい人物である。

「それで、美濃の攻略はどうすべきであるか、申してみよ」

「義龍さま死去のあと、間髪入れず攻撃いたすのが、良策かと存じます。美濃の軍は、百姓町民が主体の軍でございます。軍備を整えるのに時間を要しますので」


 そのことは分かっている。

 ぼくは餅に食らいつき呑み込んだ

「一益、われが、この時期、わざわざ、この三河まで出向いてきたと思う。美濃を睨んでのことだ」

「殿、義龍さまの死期は、われらには、決められません。天の摂理にございますゆえ」

「われらが決めた日に、義龍は死んでもらわねばならないのだ。分かるか、一益。美濃勢を油断させるためだ。われが、ここ三河で戦をしていることを知っておれば、美濃勢は油断するであろう。それに、われがその日が分かっておれば、間髪入れず、美濃に攻め込むことができるではないか」


「殿は、まさか……」

「そのまさかだ」

 一益は餅に齧り付き、呑み込んだ。

「できるか、一益」

「殿の仰せでございますなら」

「すぐ、美濃に出立し、準備をいたせ。カナデを同行させよ。そなたとの繋ぎを行わせる」

「はっ」

 一益は立ち上がり、背を向けた。


「一益、そなたは、三河の松平元康に会ったことはあるか」

 一益は振り返り片膝をついた。

「いえ、ございませぬ」

「一度、会わせてやろう」

「はっ」


 翌朝早朝、拳母城総攻撃の準備が整った。

 簗田政綱が陣屋に顔を出した。

「これより、懸(かかり)太鼓を打ち鳴らします」

「力攻めをいたすのか」

「はっ。仕寄りを用い、城門を攻めまする。大手門前に薪を積み上げ油を注ぎ、火責めにいたします」

「ウム……」


 ぼくは陣幕を出て、大手門を眺めた。

 土塁に向かって、七千の鉄砲隊が三列に並んで対峙している。その銃口は櫓の狭間、城壁の狭間に向いている。

 大手門の前には、百ほどの兵が、竹を束にした防御壁(仕寄り)を二人がかりで持ち上げいる。その背後に薪の束を抱えた者、油壷を抱えた兵が待機している。


 突然懸太鼓が打ち鳴らされた。その音は大手門前に怒涛の如く鳴り響く。

 鉄砲の銃口が一斉に火を噴いた。弾丸は、櫓、城壁の狭間に吸い込まれていく。

 仕寄り部隊が城門に突撃する。その後ろから薪、油坪を抱えてた部隊が続く。時折、櫓の狭間から弾丸が飛んでくるが、長続きしない。


 城門前は見る間に薪の束が積み上がり、城門の殆どが隠れてしまうほどであった。

 ぼくは床几に腰を落とし、腕を組んだ。

 火矢が城門の薪に向かって放たれる。

 やがて、炎が城門を覆いつくした。


 ぼくには、城内の敵兵の動きがよく分かる。兵力を大手門に集中させているのだ。きっと裏門の搦め手門も、兵が集中しているであろう。その他の土塁の城壁は、手薄になっているはずだ。

 政綱の情報によると、拳母城には、千の兵がこもっているという。

 城内に兵を送りこめば、激しい肉弾戦になるであろう。わが軍の損傷もはかり知れない。


「ここは、力攻めを続行する所存であります。殿には、異存ありませぬか」

 政綱がぼくの前に片膝をついて言った。

「どうする、つもりだ」

「大手門は、破城槌をもって打ち砕きます。同時に兵には土塁を越えさせ、城内に潜り込ませます。鉄砲隊はこれらの部隊の援護を行います」


 ウム……。政綱の作戦に抜かりはない。だが……。

「様子を見よう」ぼくはぽつりと言った。

「敵側に、そなたの手の内を見せてやれ。それで、どうでるか」


「殿、敵の狙いは、後詰めに間違いありませぬ。時間稼ぎをしているのでございます」

「だれが、援軍を寄こすというのだ。吉良は元康と対峙しておるのだぞ。今川は武田の脅威に怯えておる。だれも、援軍などよこしやせん。一日、敵の出方を見てみようではないか」

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