65 西三河侵攻(2) 伊保城、八草城攻撃


 矢作川を渡り、清州城へ向かって北西に進み、尾張との国境の伊保城城下に辿りついた。

 空は黄昏色に染まっている。


 伊保城の兵は、籠城していた。

 われらの軍を迎えうつ様子はみられない。ぼくは布陣し、城下と近隣の田畑を焼き払うように命じた。目障りな城は、あと二つ。北に位置する八草城と、南の矢作川支流の巴川沿いに位置する拳母城である。

 ぼくは野営し、翌日八草城を攻撃することにした。


 夕食後、ぼくは梅ケ坪城攻撃に貢献した弓の名手平井久右衛門を呼び寄せた。彼の働き振りを称賛し、豹の皮の大靭と芦毛の馬を褒美として与えた。


 前田利家が素っ破の又造を伴って現れた。

「殿、松平元康さまと、吉良義昭さまの間柄が怪しくなっております」

 吉良義昭とは、三河の守護である。義昭とは荒川城攻撃において共に戦った仲である。その後尾張守護斯波義銀と共謀、ぼくに反逆した人物でもある。今は今川の庇護を受け、その勢力を維持し続けている。

 その義昭と敵対するということは、元康が今川からの支配から脱し、独立を宣言したのも同然である。


「詳しく申せ」

 ぼくは草団子を食いながら訪ねる。

「元康公は、吉良領地の牛久保城、東城攻撃を仕掛ける準備をしております。まもなく、戦が始まるものかと」

 又造が答えた。

「勝ち目はあるのか」

「それは、なんとも……。いまだ、松平勢の中には、今川に組する者がおりますゆえ」

「元康に伝えておけ。手助けすることがあらば申せ、とわれが言っていたと」

「はっ」


 翌朝、ぼくは北上し、八草城を攻撃した。

 目立った反撃もなく、なんなく周辺の田畑を薙ぎ払いつくした。


 あとは南に位置する拳母城のみである。

 それは、元康の戦いぶりをみてからにしよう。

 ぼくは兵を引き、清州城に戻った。美濃の動静が気懸りだったからだ。

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