61 西美濃に侵攻する(2)


 美濃軍の追撃はなかった。

 戦は惨敗であったが、深手を負うことはなかった。

 結果として、帰蝶の懸念が当たったことになる。西美濃の情勢については、今後とも帰蝶と小六の意見を聞かねばなるまい。


 清州城に戻ると、ぼくはすぐ林秀貞を呼んだ。

 秀貞は1513年生まれ、ぼくより二十一年上の四十八歳である。ぼくと秀貞の間には、深い因縁がある。村木砦の攻撃に当たっては参戦せず、撤退。弟信行との戦では敵側に回り、ぼくに歯向かった人物である。それでも、ぼくが彼を許したのは、彼は軍人ではなく、事務方であったこと、ぼくに詫び、忠誠を誓ったからだ。

 

 秀貞には桶狭間の戦の際、犬山城、美濃の動向に対処するように指示していた。

「犬山城は、どうなのだ。不穏な動きはないのか」

「ありませぬ。厳重に警戒、監視しておりましたゆえ、たしかでございます」

 ウム……。

 藤吉郎の情報とは、違うではないか。


「われらの行動を、よもや美濃方に流してはおるまいな」

「滅相もない、ことでございます」

「信清に伝えよ、この清州に出向いてまいれ、と」

「それは……」

「信清に、二心なければ、われを気にすることはあるまい。そうであろう、秀貞」

「そうでは、ありますが……」


「もう、よい」ぼくは立ち上がった。

「そなたを、犬山、美濃担当の役から除外いたす。清州内の事務に携わるがよい」

「はぁぁ」


 その翌日、ぼくは再び五人の仲間を集めた。この度の敗戦を検証するためだ。

 ぼくは、西美濃侵攻の軍事行動に、この五人を参加させなかった。戦の実態を客観的に検証するためだ。


「殿の作戦行動が、美濃に漏れているのは、明らかでございます」帰蝶が真っ先に口を開いた。

「情報を漏らしているのは、犬山城か、それとも、他に」


「たしかに、内通している者がおりますな」

 信定もその意見に同意した。

「一度、試してみる価値はある。その内通者が、信清であるか、どうか」

 ぼくは語気を強めて言った。


「もっと、大事なことがございます」藤吉郎が言った。

「兵も、武器も足りませぬ。いくら戦っても、このままでは勝ち目がありませぬ」

「今川との戦いで、ずいぶん消耗しましたからな」

 信定が相槌をうつ。

「そうだ、秀貞に、戦費の調達と、武器の補給を命じることにしよう。サルとハチは、生駒屋敷に行き、カネの工面を頼むのだ。火薬と玉の補給に全力を挙げるのだ」


「わたしは、鳴海城、沓掛城に出向き、兵士の調達をいたすように、殿の命令を伝えてまいりましょう」

「よかろう。準備が整いしだい、再び、西美濃に侵攻する。戦うためではない。信清が美濃に内通しているか、どうか、探るためだ。イヌよ、そなたは、われと共に戦陣に加われ」

「はっ」


 二か月後の八月、ぼくは千五百の兵を率いて、再び木曽川の岸辺に布陣した。前日、ぼくは信清に文をおくり、明日演習を名目に布陣し、機を見計らって、一挙に美濃に攻め込む。美濃の動向には注意を払うように、と伝えた。


 木曽川を渡り、長良川を望むと、美濃の大軍がひしめいていた。その数、およそ五千。

「退却せよ」

 ぼくは即座に全軍に命じた。

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