56 善照寺砦に義元の首を掲げる



 ぼくは物見櫓に向かって走った。

 防御板に体を隠しながら梯子を上る。矢が唸り音を上げながら、次から次と防御板に突き刺さり、弦の響きのごとく震える。


 兵士がぼくを物見台に引き上げた。

 防御板の隙間から、南の方角、中島砦方面を見下ろす。

 砦の防護柵を乗越えて、今川軍歩兵数百が砦内に侵入、白兵戦になっていた。しかも、次から次と、新手が防護柵を越えて、砦内に入ってくる。


 今川義元の首を刺し,その下に陣羽織を掛けた竹竿を、ぼくは兵士と共に引き上げた。それを物見櫓の上に掲げる。そして、大声を上げる。

「この首は、御大将、今川義元公の首であるぞ」

 しかし、その声は乱戦の怒号の中に吸い込まれていく。


 反対側に回り、ぼくを見上げている佐久間盛重に大声で下知する。

「長槍隊を二百、二列に並べよ。その背後に鉄砲隊三百を三列に構えさせよ」

 盛重は体全体を使って、大声で陣立てを指示する。

 砦の南に、ばらばらに散っていた兵が集まり、槍と鉄砲の防護壁を作っていく。


「兵を引かせよ、防護壁の後ろに引かせよ」

 ぼくは叫び続ける。

 劣勢だった最前線の兵たちは、徐々に後退し、長槍隊の背後まで下がる。

 今川兵はここぞとばかりに押し寄せてくる。


「撃て、撃ち続けよ」

 ぼくは絶叫する。

 百の銃口が火を噴いた。休む間もなく二列目の百の銃口が火を噴く。三列目の銃口が火を噴いた時、攻撃の最前線にいた今川兵は、突如静まり返った。今川軍の歩兵は身を屈め、鉄砲隊の動向を窺っている。新手の砦への進入も止まった。


 ぼくは物見櫓の防御板から体を出した。

「われは、信長である」

 大声で名乗りを上げる。

 矢が一本飛んで来て、顔の横の防御板に突き刺さった。もう一本、反対側の防御板に突き刺さる。二本の矢は、弦のごとく震え、悲鳴を上げる。


「これを見よ、今川の総大将、義元公の首と陣羽織であるぞっ」

 ぼくの金切り声が、戦場に鳴り響く。

 矢が一本、ぼくの顔めがけて飛んできた。ぼくは辛うじて、かわしたが、矢先が頬をかすめた。

 だが、矢はそれが最後だった。

 今川の兵士たちは、一様に竹竿の先にある義元の首と陣羽織を見上げている。


 今川の歩兵は少しずつ後退を始めた。

 半信半疑なのであろう。その動きは緩やかだ。


「撃て。撃ち続けよ」

 ぼくは声を振り絞って金切り声を上げる。


 今川軍は砦から撤退し、中島砦に向かって坂道を下りていく。

 ぼくは物見櫓から降り、防御柵の後ろに立った。眼下の戦場は静まり返っている。

 ことの真偽を確認しているのであろう。


 ぼくは床几に腰かけて、今川の次の動きを待った。


「義元公が、討たれた」

 南側の遠く、大高城の方角から微かに声が聞こえた。その声が次から次と中嶋砦の方角まで広がってくる。

「何処からだ?」

 ぼくは後ろに立っている小六に訊いた。

「旗印は、黒い点としか見えませんが、おそらく葵紋では……」

「ウム……。元康、やっと、動いたか」


 ぼくは腕を組んで立ち上がった。そして待ち続ける。

 十五分経った。


 南側、最後方にいた一軍が一斉に後退を始めた。それは、おそらく松平軍。

 眼下の南軍、東の桶狭間前軍に動揺が広がった。

 おそらく、義元討死の報が伝わったのであろう。南軍は大高城の方向に退いていく。桶狭間の前軍は、南軍に加わって退く者と、桶狭間の道筋を退こうとする者の二派に分かれた。


「北の軍はどうなっておる」

 ぼくは物見の兵に尋ねる。

「既に、多くの兵は、退却しております」


「殿、大勝利でございます。おめでとうございます」

 信盛が笑顔で言った。

「いや、戦はこれからだ」

 ぼくは呟く。

 

 急に睡魔が襲った。

 まだ眠るわけにはいかない。

「直ちに、武将と馬廻りを集めよ。軍議を開く」

 ぼくは信盛に下知する。

「はっ」


「イヌはおるか」

 ぼくは大声を上げた。

 血しぶきで体を染めた兵たちが、幾重にもなってぼくを見詰めている

「前田利家はおるか」

 再び大声を上げる。


 兵の壁をこじ開けて、顔を血で染めた武将が現れた。

「ここに」

 片膝をついてぼくを見上げる。

「このたわけが、生きておったか」

「はっ」


「殿、利家は、桶狭間攻めで、敵の兜武者の首を二つ、上げたのでございますぞ」

 信盛が取りなした。

 利家が無事だった。ぼくは目頭が熱くなった。


「イヌよ、そなたも、軍議に加われ」

「はっ」


 ぼくは陣屋に向かって歩いていく。

 史実によると、利家を赦免するのは、来年の美濃攻略戦の最中だ。ぼくは、そのことを承知の上で赦免した。時空がどう処断するか、どうでもよかった。

 ぼくは覚悟していた。時空との対決も辞さない、と。

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