49 信長の首を取った者には、城一つ与える 元康との最後の打ち合わせ

 


「今川義元公は、戦の準備を進めております」駿府の町外れの茶屋の小部屋で、松平元康が言った。

「われも、戦支度をするように命じられております」


「駿府を出るのは、いつごろになるか」

 ぼくは尋ねる。

「後、三日か、四日。軍備が整い次第、かと」

「向かう先は、沓掛城?」

「おそらく」

 そうすると、義元が沓掛城に入るのは、おそらく十六日か、十七日になるであろう。


「義元公はかんかんでござる。信長の首を討った者には、城一つ与えると息巻いております」

 ぼくは俯いて笑いを堪えた。


「信長殿、足軽の具足、装束を五つ用意いたした。丸根砦で、落ち合うときに必要でありましょう」

 元康は気が利く。さすが逸材である。

 続けて、元康が言う。

「甲冑は、合流してからで、よろしかろうと思います」

 ぼくは、大きく頷いた。


「先日、話したとおり、元康殿が丸根砦に攻め込んできたときは、われらの兵は抵抗せず、撤退いたします。しんがりを置きませぬゆえ、追い討ちをかけないでいただきたい」

「心得ております」元康は即答した。

「もし、われが、鷲津砦を攻めることになったら、どうされる」

「そのときは、鷲津も、丸根と同じ行動をとらせます。どちらにせよ、元康殿には、旗印を立てていただきたい」

「承知、いたした」


「丸根砦が陥落したのを確認して、われら五名は松平軍に紛れ込みます。この槍の穂先に赤い布を巻いておきます。声をかけてくだされ」

「承知いたした」

「勝利を義元本陣に伝えるのは、誰でござる」

 ぼくは問いかける。

「まだ決めておりませぬ。母衣武者を使うことは、間違いありませぬが」

「その母衣武者に、われらのことを、伝えておいてくだされるか」

「勿論」


「これより、丸根、鷲津砦に参り、段取りを命じてまいる」

「遠路、ご苦労でございます」

 ぼくは茶屋を出、馬に跨った。藤吉郎とカナデは手分けして足軽の装束具足を麻袋に入れ、馬具に括り付けた。


 丸根砦に着いたときは、真夜中だった。

 佐久間盛重が待っていた。ぼくはまっすぐ作戦指令室である陣屋に入る。

 ぼくは床几(しょうぎ・折畳椅子)に腰を下ろす。

 慌ただしく、差し出された熱い粥を喉に流し込む。


「盛重、今川軍は十七、八日にも、大高城に兵糧を運び込む。そして、その翌日には、ここ丸根砦に攻め込んでくるであろう」

「はっ」

「おそらく、ここには松平元康の軍、千。それから鷲津砦には、おそらく大高城の朝比奈輝勝の軍二千が攻め込んでくる」

「はっ」

「どちらも、勝ち目がないのは明らかである。そうであろう、盛重」

 盛重は歯を食いしばってぼくを見詰める。


「粥を、もう一杯」

 ぼくは茶碗を差し出した。


「恐れながら、申し上げます。われらは、この砦を死守するためにまいりました。命をかけて守り抜く所存」

「ウム……」

 ぼくは腕を組んだ。


「盛重、すでに、われは元康と話をつけたのだ。分かるか、盛重、われは、一兵たりとも失いたくないのだ。そなたを失いたくないのだ。敵軍が攻め込んできたら、すぐ中島砦に退却するのだ。相手が松平軍なら、しんがりを残す必要はない。話をつけておる」

「ならば、殿、何故ここに砦を築かれましたか」


「ウム……」

 小六と同じことを訊く。

「今川義元を、ここに誘き寄せるためだ。戦うためではない」

 盛重は俯いた。


 長い沈黙の間、ぼくは粥を啜り続けた。

 そして、徐に立ち上がった。

「信重、これは命令である。逆らうことは、断じて許さぬ」


 ぼくは重い気持ちのまま、鷲津砦に向かった。

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