48 善照寺近くの荒家で、五人の仲間、喜八と共に戦略を練る



 今川軍がいつ兵を上げるか。そして今川義元が出張ってくるかが問題だった。

 時空の定めが必然だったら、必ず義元は沓掛城にやってくるはずだ。だが、油断できない。初陣の帰り、信長が突然死したように、時空が狂うこともあるのだ。時空は、時に気まぐれである。


 吉良の地攻撃から三日後の五月八日、ぼくは密かに五人の仲間と影武者喜八を善照寺砦近くの荒家に呼び寄せた。ぼくの考えた戦略を伝え、仲間の考えを聞くためだ。

 荒家の周りに、カナデら素っ破に監視させている、密談の内容が漏れては、すべてがお終いになる。


 いつものように、ぼくたちは車座になる。その真ん中に絵地図を置く。

 ぼくの作戦は、一部を除いて信長公記の記述通りである。それは、信長すなわち影武者喜八の行動計画でもある。ぼくは一介の武将として戦に臨むのだ。


「われの計画は、正確な状況の把握がなければ、成り立たない。まず第一に、今川義元の行動である。そして総兵力の数とその位置である。この二つの要件を正確に逐一把握していくことが肝要である」


「駿府、遠江、三河に、二百を超える農民に身を変えた素っ破を配置しております。ただ、会戦となりますと、今川方の間者が沓掛城から、桶狭間周辺、大高城、鳴海城まで入ってくるでありましょう」小六は絵地図に指で示しながら言った。

「だが、われらの素っ破は、一年かけて、地元に馴染んでおります。見抜かれることはありますまい。覚悟しなければならないのは、われらの軍本隊の動向は、敵の間者によって、筒抜けになることを覚悟しなければなりませぬ」


 それは承知している。ぼくは絵地図を見下ろしたまま頷いた。

「戦の火蓋は、義元が駿府の今川屋敷を出立したところから始まる。もし、義元が出張ってこないときは、別の策を考えねばなるまい」

 車座の中にため息が漏れる。

「だが、われは、義元本人が出張ってくるほうに賭ける。そうであろう。今川軍は義元の命令がなければ、何もできないのだ。義元本人も、そのことは、十分承知しておるであろう。今度の戦は、今までの局地的な小競り合いではなく、大規模な軍事衝突にならざるをえないからだ」


「殿、義元が今川屋敷を出て沓掛城に入るまで輿を使いますので、五日は掛かるでありましょう。その情報を、われらのすっ破は、一日で殿に伝えることができます」

 藤吉郎が説明する。

 たしかに、四日の余裕が生まれる。貴重な四日間である。


「義元が沓掛城に入ったら、今後の策を各軍団に命じるであろう。義元はどう動く?」

「それは、大高城への兵糧の搬入でございましょう」

 小六が真っ先に言った。これには誰も異存が無いようであった。

「この搬入を阻止すべきか、どうか。第一の問題ですな」

 信定が呟く。

「何もしない」ぼくは言い切った。

「おそらく、その任務は元康に命じられるであろう。序戦であるし、われらがどう動くか、案じているからだ。そんな危険な任務を今川本隊に命じるとは思えない」


「その次は明らかでございます。鷲津、丸根両砦の攻撃です」

 再び小六が言った。

「丸根に兵三百、鷲津には兵二百を配置する、と伝えたうえで、われは元康に丸根を攻めるように進言しておる。丸根の方が鷲津より兵の数が多ければ、大高城内部の合議でも、元康の具申は認められるであろう」

 

「なにゆえ、元康殿を丸根に」

 小六が問う。

「先の見えておる戦いで、われは兵を失いたくない。元康も同じであろう。丸根も鷲津も、今川方の攻撃があらば、戦わずに中島砦まで撤退させる。中島砦こそが、勝敗を決める闘いになるからだ。その段取りは、元康と取り決めておる」

「それでは、丸根、鷲津の砦を構えたことが、無駄になるのでは、ありませぬか」

「無駄にはならぬ。今川方は大高城に兵糧を入れることに成功し、さらに丸根、鷲津砦を陥落すれば、戦いの隙間に、緩みが生じるやもしれぬ」

 ぼくは、そう一気にまくし立てると、さらに言葉を続けた。


「われは、遊撃隊の編成を考えておる。それには、元康の協力が絶対必要だ。元康は丸根砦陥落の報告を今川本陣に遣わせるであろう。その遣いの中に、われらも加わるのだ。今川本陣の実態をこの目で見、その弱点を探り、その中に、われは死活を見出す。このことは、元康は承知しておる。敵陣の状況は、素っ破によって、素早く、善照寺の本陣に伝えることにしておる」


「して、その遊撃部隊の編制は、いかがいたします」

 信定が訊いた。

「多くて、われも含めて五人。一人はもう決めておる。甲賀の腕よりの素っ破で。名は権蔵。後三人、強者を揃えなければならぬ。一人で、同時に数人と渡り合える技量の持ち主でなければならぬ。心当たりはあるか」

「殿、われをお加えくだされ」

 利家が言った。

「おまえは、駄目だ。敵に面が割れておる」

「それならば、われを」

 小六が言った。

 ぼくは無言で頷いた。


「殿、馬廻りに毛利良勝、服部一忠なる強者がおります。共に黒母衣衆であります。信頼してもよろしいかと」

 信定が提案する。

「われも、同意でござる」

 小六が言った。

「明日にでも、会っておこう」

 ぼくは信定の提案に同意する。


「さて、次は、喜八、おまえの番だ。これは、チョウよ、そなたと喜八による、織田軍の運命を決める作戦行動である」

「何なりと」

 帰蝶が答える。


「丸根砦と鷲津砦が陥落したら、素っ破が清州にその情報を届ける。直ちに兵を引き連れて、この善照寺砦に来るのだ。それまでに、軍備を抜かりなく整えておかなければならぬ。怠るではないぞ」

「お任せくだされ」

 帰蝶が言う。

「殿、何故、そのように遅れて来なければならないのですか」

 初めて喜八が口を開いた。

「その答えは、帰蝶に訊くがいい」


「次に、今川方は、東の桶狭間と、南の大高城からの街道を、兵を中嶋砦に進めてくるであろう。その情報が入ったら、千の兵を善照寺砦に残し、二千の兵を中嶋砦に進め、本陣を築き、敵の攻撃に備えるのだ」

「承知」

 今度は喜八が言った。


「敵の数はいかほど」

 帰蝶が訊く。

「おそらく、南からの軍は、五千。東からの桶狭間前軍も、五千」

「あわせて、一万でございますな」

 帰蝶はそう言って笑みを浮かべた。

「その時は、われは皆とここで合流しておるであろう。死ぬときは、皆と一緒だ」そう言って、ぼくは全員を見回した。そして笑みを浮かべる。


「もうひとつ、大事なことがある。いいか、われらの本軍が善照寺に辿り着いたときは、既に、今川軍は、桶狭間の道を通って、中島砦に迫っておるであろう。ここで、二百の兵をもって、先制攻撃を仕掛けねばならない。おそらく全滅するであろう。しかし、この攻撃は、後々、われらに、大きな力を与えることになる。この突撃隊を組織しなければならない」

 信定の提言である。ぼくはその提言にのった。正直言って、そのことが戦況に、どのような結果をもたらすのか、分からなかった。しかし、何故か信長公記に、このことが記されているのだ。


「殿、その役目、われに命じくだされ。われらは、無駄死にいたしませぬ。今川軍に痛手を与えてみせます」

 利家が身を乗り出してぼくを見詰めた。

 ぼくは無言で頷いた。

「ウシよ、そなたは、中島砦で、この作戦の指揮をとるのだ」

「承知」


 ぼくは立ちあがった。

「奇襲攻撃を提案する者もいると聞く。しかし、奇襲攻撃は、絶対無理だ。正面からぶつかっていくしかないのだ。そうだ、喜八、ここに来る前に、熱田神宮に勝利の祈願をしてまいれ。神が手助けしてくれるやもしれぬ」


「殿、元康さまの命を受けて、又造が来ております」

 木戸の隙間からカナデの声がした。

 ぼくは木戸を開けて外に出る。又造が控えていた。

「信長さま、主からの文にございます」

 折りたたんだ紙片をぼくに手渡す。ぼくは文を広げた。

 今夕例の場所で待つ 元康、と、それだけが書かれていた。


「明日、早朝から、今川の間者五百ほどが、尾張に侵入してまいります。会えるのは、今夜が最後であると。荷物がありますゆえ、馬の用意をされてこられるように、と申しておりました」

「承知したと。元康どの伝えよ」

 ぼくが言い終わらぬうちに、又造の姿は消えていた。


「サル、中島砦で馬の用意をいたし、われを待て。すぐ三河に出立する」

「承知」

 

 ぼくは中島砦を見下ろす坂上まで歩いた。

「いよいよ、ですね」

 後ろに帰蝶がいた。

「チョウ、あそこに見えるのが、桶狭間山だ。東と南の軍、あわせて一万の軍を破り、義元のいるであろう、あの山の本陣に辿り着いたとしても、やつの周りには、まだ旗本精鋭一万が待ち受けておる」

 ぼくは呟いた。

「それは、まことに、楽しみでございますな」


 帰蝶はことこと笑った。

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