47 三河吉良の地に侵攻する 桶狭間前哨戦

 

 五月五日の昼過ぎ、千の兵を引き連れて、ぼくは矢作川を渡った。まっすぐ南下し、荒川城下に辿り着く。ことは迅速に進めなければならない。利家には三百の兵を与え西条城に、小六にも三百の兵を与え東条城に向かわせる。

 

 三城同時に攻撃する作戦である。

 作戦は至極簡単、城下に火を放ち、撤退するのみである。敵兵と交戦する必要はない。時間が勝負の攻略戦である。



 城下に火を放つ、と松明を持った足軽がふれまわる。次から次と、侍屋敷に火をつけていく。その火が周囲の家屋に広がっていく。至る所で、小競合いが始まった。火の回りが早い。瞬く間に、城下は炎に包まれた。


 兵を引け。ぼくは叫ぶ。


 四百の兵を、荒川城下から一キロほど北に撤退させた。

 南の空に火の手が上がらない。どうしたのだ。ぼくは不安になった。

 伝令が馬をとばしてきた。


「殿、西城城、東城城共に、吉良の軍勢千に包囲され、苦戦しております。われらの作戦が、吉良方に漏れていたようです」

 

 参謀としてぼくの傍にいた信定が言った。

「殿、われは、東条城に行きます。殿は西条城に行かれませ」

「わかった。ウシよ、城下に火を放つのだ。そのうえで、ハチの軍勢の退路を確保せよ」

「承知」

 信定は二百の兵を引き連れて、東条城に向かった。


 ぼくは二百の兵を引き連れて、南下する。

 西条城の城下では、肉弾戦の真最中であつた。火をつける間もなく、敵軍に包囲されてしまったのか。

「戦いに巻き込まれるな。城下に火を放て」

 ぼくは馬上から叫ぶ。


 火の手が上がる。炎が広がっていく。

 ぼくは北側の退路に兵を集めた。そして一斉に攻撃を開始する。敵軍の包囲に綻びができる。その綻びを大きくしていく。


「イヌよ、後ろに下がれ、下がり続けるのだ」ぼくは大声で叫ぶ。

「われが、しんがりを務める。後ろに下がって、態勢を立て直すのだ」


 利家の軍三百は、一旦退却し陣を立て直した。

 城下の炎は一帯に広がっていく。敵軍は追ってこなかった。東の空に煙が上がった。東条城下に火の手が回ったのだ。

 ぼくは退却を命じた。

 

 退却の道すがら、ぼくは苦々しい思いに捉われ続けた。

 今は亡き家老の平手政秀の話によると、信長の初陣の時も、攻撃の情報は敵方に知られていたのだという。知られていなければ、信長は退路で雷にうたれて死ぬこともなかったかもしれないのだ。


 荒川城の北、三キロの地点で、信定、小六の軍と落ち合った。

 この戦いで、我が軍は貴重な兵を失った。じくじたる思いである。


「サル、ふれ看板は用意しておるな」

「はあぁ」

「街道筋に立てていくのだ。義元を侮辱することなら、何を書いてもよい。好きに書き加えるのだ」

 ぼくは全軍に聞こえるように大声を上げた。

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