13 斎藤利政(道三)からの会見の申し込み 政秀自刃



「殿、美濃の斎藤山城守様から、会見の申し込みがきておりますが、いかがなされますか」

 平手政秀が書状をぼくの前に広げて言った。

 天文二十二年(1553)一月のことである。

 会見場所は尾張と美濃の国境の富田、正徳寺と記されてある。富田は美濃尾張両者から許可状を取って、税が免除されていた特別な土地である。会見場所としては、誰が考えても最適な場所と言える。


「しゅうと殿は、われに確かめたきことがあるのだ」ぼくは笑みを浮かべて言った。

「何故、われらに子ができぬかと」

「たしかに」

「いや、本当は、われが何を考えておるか、知りたいのであろう。率直に言えば、帰蝶がどうなっておるか、知りたいのであろう」


「何故で、ございます」

「知らなかったのか、帰蝶は男であるぞ」

「お~と~こ~、でございますか」

 政秀はそう呻くと、絶句した。

「そうだ、帰蝶に訊いてみたらどうだ。だが、爺、誰にも話してはならぬぞ。美濃と戦になるやもしれぬ」

「平手政秀、一生の不覚。先代の殿に申し開きもたちませぬ。帰蝶さまとの縁組をまとめましたのは、わたしでございますゆえ」

「そう深刻になるな。帰蝶は、婚儀の夜、われの寝首を掻こうとしただけだ」

「ああ……」

 政秀は額を板の間に擦りつけた。

「政秀、一生の不覚……」


「この申し出、お断りいたします。殿の命を取る算段でございましょう」

「いや、会おう。帰蝶を連れて」

「ああ……」


 その夜、平手政秀は切腹した。

 どうして……?

 

 ぼくは後悔した。

 だが、ぼくは政秀とのやりとりを誰にも話さなかった。

 ぼくにとっては、取るに足らない戯言だったが、政秀にとっては、家臣として武士として、面目にかかる重大事だったのであろう。戦国時代というのは、厳しく悲しいものだと、つくづく思う。


 信長は宿老の言うことに耳をかしたことがない。自分の思ったことを、その通りやるだけだ。彼の史料を調べればすぐ分かる。

 一方ぼくと言えば、何事にも無頓着だ。よく分からないから、無視しているだけだ。結果。信長と同じ結果を招いてしまっている。


 筆頭家老の林秀貞しかり、二番家老政秀しかり、その他の宿老たちも、今川義元との全面対決を望んでいなかった。父信秀も晩年今川と和睦をしている。その理由は歴然としている。今川は織田に比べ兵力も石高も十倍近いのだ。なんとかして、今川と折り合いをつけていこうというのが、宿老たちの共通した考えだった。


 ただその中で政秀だけは、面と向かって信長のやりように反対しなかった。ぼくにとっても、政秀は実の父のような存在だつたのである。政秀の死後、政秀は信長に愛想が尽き見放した、という噂が立った。利家も藤吉郎も小六も心配した。

 その日から暫く、ぼくは孤独と喪失感に悩まされ続けた。帰蝶のことは、利家と藤吉郎と小六以外の者とは、決して語らないと心に決めた。



 美濃へは、四月になってから会見に応ずると返答した。遅れるのは、家老平手政秀の喪に服すためだと書き添えた。

 遅れる理由はもう一つあった。鉄砲が堺から届かないのだ、まだ百丁ほどしか揃っていない。

 ぼくは家老の林秀貞を呼んだ。

「秀貞、政秀は何故自刃したのだ」

「さて、皆目、見当がつきませぬ」

「われを、諫めるためか」

「とんでも、ございませぬ。そのようなことは……」


「殿、山城守にお会いするのは、お止めになったほうがよろしかろう思います」

「何故だ」

「山城守は、娘婿を闇討ちにした、美濃のマムシでございますぞ」


「貞秀、鉄砲を二百丁ほど作ってくれ」

「はああ、なんと……」

 彼は途方に暮れてぼくを見詰める。

「本物の鉄砲ではない。木で作れ、細工して、鉄砲らしく見せるのだ」

「なんと……」

「まだ分からぬか。美濃のマムシに見せるためだ」


 ぼくには、美濃のマムシに会わなければならない理由がもう一つあった。

 今川義元が尾張に侵攻しようと、同盟関係にある水野家緒川城の隣村木村に砦を築こうとしていたのだ。だが、今は織田大和守家、清州側と敵対関係にあり、兵を長期間動かすことができない。どうしてもマムシの支援が必要だった。



 正徳寺の広い本堂の廊下で、ぼくは一人で柱に寄りかかって美濃のマムシを待っていた。

 腕を組み、柱に体をまかせ目を閉じていた。

 信長になって以来、初めて髪を折り曲げに結い、褐色の長袴をはき、小刀を差した。格式高い正装を纏い、ぼくは別人になっている。



 正徳寺は那古屋城から北西に二十キロほど行ったところにある。その道すがら、ぼくは信長公記に書かれている恰好で馬上で揺れてきた。

 その時の出で立ちは、信長公記に書かれていたそのままの姿である。


 髪は茶筅髷を萌黄色の平打ち紐で巻立てて、湯帷子を袖脱ぎにし、金銀飾りの太刀・脇差二つとも長い柄を藁縄で巻き、太い麻紐を腕輪にし、腰の周りには猿回しのように火打ち袋、瓢箪七つ八つほどぶら下げ、寅皮と豹皮を四色に染め分けた半袴を穿いている。


 その姿は、今でいうヤンキー。それもとんでもないヤンキーである。

 


 襖が開き、斎藤利政が配下の将兵十名と共に姿をあらわした。

 ぼくは薄目を開けて、その動向を探った。利政はその場に立ち尽くし、暫くぼくを見詰めていた。やがて、配下の将兵を全員廊下に出し、一人対面の畳の座を前にして立った。

 それでもぼくは目を閉じ眠ったふりをしていた。


 突然大きな咳払いが聞こえた。


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