源氏名
定食亭定吉
1
山田一は通勤列車に揺られている毎日だった。しかし、ふと会社をサボりたいと思うようになった。
どうにも気力アップしない。眠りつきたいような感じだった。ワークライフバランスが推進されている時代に逆行しているように束の間の日曜日休みも、肉体のケアのみで終了してしまう。
会社には適当な理由で休む事にした。事務員が電話に出たので、何も言われる事はなかった。
今から帰宅したからといって、やる事もない。そこでそのまま、ぶらり途中下車で、普段、下車しないようなA駅で下車するようにした。取り合えず、駅前の蕎麦屋で、たぬきそばを食す。ささやかな贅沢のつもりであった。
これから、会社へ出勤するであろうサラリーマン。ふと一人一人には名前はあるのに、みんながサラリーマンということになってしまう。束の間の自分の時間を満喫しているのだろう。まもなく、たぬき蕎麦は出てきた。カウンター席で食べる事にした。隣の席の中年男が、迷惑省みず、スポーツ紙を広げる。
エロ記事を盗み見してしまう一。何か最近、淋しくなってきた。たぬきそばを食べ終え、蕎麦屋を出るもまだ午前八時半。駅前の喫煙所でタバコを吸っている連中の煙にむせる一。彼はタバコ嫌い。外をぶらついてみる。平日の朝らしく、人も車も急かされるように動く。
せっかく髪もセットし、歯磨きし、一通りの身だしなみはしてきたのだが会う相手はいない。ふと行き先を考える事にした。携帯電話のアドレスを探してみる。誰かに会いたくなって来たのだろう。
最近、行った風俗店員の源治名だった。どうせ出ないだろうと思って電話した。案の定、出なかったが、直ぐ様、メールが来た。金を払うから会おうということになった。A駅付近に住むつくし。彼女の住所がメールで受信され、それを地図アプリで検索する一。わかりやすい駅前通りにある、オートロックのマンションであった。つくしが暮らす101号室に到着。〈鈴木〉という表札。一般じみていて、偽名かとも疑う一。呼び鈴を鳴らす。すぐさま、つくしは出て来た。
「どうぞ、ホテル代はいらないから一万円ちょうだい!」
露骨に金を求めて来るつくし。一万円払う一。別に痛くもなかった。
「さあ、どうぞ!ある程度はキレイにしたから」
たまっていたゴミはゴミ袋にびっしりと詰められていた。
「お邪魔します」
自分から誘って上がり込んだのに緊張の一。
外観からは想像出来ぬほど、質素で古いマンションの構造。意外と潤っていないつくし。
「取り合えず、シャワー浴びる?」
「うん」
バスタオルを渡される一。
「ありがとう❗」
全裸になり、シャワーを出す。しばらくしても、お湯にならず。
「あれ、お湯でないの?」
ユニットバスから悲痛な声を出す一。
「あっ、ごめん。ガス代払っていなかったから」
「そうか」
自分にもそういう経験があったので怒りはしなかった一。
「待っててね。あなたからもらったお金でガス代払うから。それまでは、ケトルで沸騰したお湯で何とかして」
そこまで貧しいと思えなかった一。
「頭は洗わないから、体だけなら何とかなるから」
「悪いはね」
ここまでくると人助けのつもりをしたような気がした。数分でシャワーを出た。
「ごめん、一万円ももらっておいて、お湯も出ないなんて。やっぱり私は、つくしだは」
「どういう事?」
「線路脇に健気に咲いているような花という事よ。そのうち、誰にも気付かれず、死んでいくのよ」
「そんなものでしょう?世の中の人の大半は?」
源氏名 定食亭定吉 @TeisyokuteiSadakichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます