第365話 懐かしい顔、帰りの足


 王宮を後にして。

 宿に戻る道すがら、俺は「旦那!」と声をかけられた。

 俺を旦那呼ばわりする奴に心当たりは――無いな?


「誰だ?」


 振り返りざま問うと、


「うわひでえ」


 と声の主は大袈裟にのけぞって見せた。


「あっしですよ! 忘れちまいましたか?」

「……む」


 見覚えのある顔と、聞き覚えのある声、口調。

 思い出すからちょっと待ってろ。

 俺は自身の記憶を辿り、手繰る。


「……あー、あー、はいはい。あの馬車のオヤジだな」


 思い出した。

 名前は確か、


「ブルーノだったか」 

「へへっ、覚えていただけて恐悦至極でさぁ」

「久しぶりだな」


 破顔する商人の男に笑みを返しながら、俺は内心でなまったものだと反省していた。かつてホテルのフロントに立ってた頃は客の顔と名前何ぞ一回覚えたら絶対に忘れなかったのに。現場感覚が薄れてるな。


「……」

「どうかしやしたか? 難しい顔をされてやすが」

「気にするな。で、俺に用事か?」

「いえいえ。お見かけしたんでついお声がけした次第で」

「そりゃまた酔狂な」

「旦那がお急ぎでなければ商売の話なんぞさせていただきたく」


 以前にそんな話をしたような気もするな。


「……そうだな。まあ急ぎと言えば急ぎだ。ブルーノ、明日の朝ムラノヴォルタに向かって発ちたい。急で悪いが馬車の都合はつくだろうか」

「問題ありやせんよ。今回も三名様で?」

「俺一人だよ。馬車の隙間には向こうで人気のある商品でも積んでくれればいい」

「承知しやした!」


 とりあえず、帰りの足は確保できたな。


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