第110話 哀しみの過去から歓喜の未来へと

 隣国の侵略?

 急に話がキナ臭くなってきた。

 パンはどうなったパンは。


「宣戦布告も無い突然の襲撃に、我が国の対応は遅きに失した。結果、王都に多数の敵軍の侵入を許した。だが兄上たちは寡兵でも戦上手であった。それでも敵の一次侵攻を退けた時には残らず勇者の回廊ヴァルホーラに召されていた。…………栄栄誉なことだ」


 栄誉、か。全くそう思ってない表情のノヴァは一度下唇を噛んだ。

 俺は何も言えず、ただ小さく頷くばかりだった。


「あの日から、私はステルファン家の世継ぎになった。家を絶やさぬために、家の伝統を護るために騎士になり、魔剣に選ばれたおかげで生きながらにして勇者の名を持つ栄に浴している」


 家は人を縛る。

 人は家に縛られる。

 望むと望まぬに関わらず。

 そのことを俺もよく知っている。

 俺は生まれた時から親父の後を継ぐことが決められていた。

 まあ、騎士とかじゃなくホテル業だけど、本質は同じことだ。


「王都復興の中で、さっき話したパンの店の石窯を作るのを手伝ったのだ。その時あの店主は私に『パンさえあれば大抵の悲しみには耐えられる』と言って笑っていたよ。剣ではなくパンでも人は救える、と」

「ドン・キホーテだな」

「なんだそれは?」

「いやなんでもない」


 元の世界あっちにはそういう言葉があるのさ。

 俺はノヴァに先を促した。 


「勘違いしないで欲しいのだが、私は現状に不満を持っているわけではないのだ。赤の勇者であることは私の誉れだ。――ただ、目の前に機会がある。私が憧れたパン屋になれるかも、と愚かにも思ってしまったのだ」

「機会があるならなさっては如何でしょうか、ノヴァさん」


 ずっと黙っていたアイが、俺の代わりに淡々と述べた。

 だな。

 それがすべてだ。


「じゃ、パンはノヴァに任せるわ。手が必要ならアイに言いつけてくれ」

「い、いいのか?」

「いいもわるいも、お前パン屋やってみたいんだろ? じゃあ頼むわ」

「……」


 ぽかん、と口を開けるノヴァ。何を呆けてるんだかな。お前がやりたいっていったんだろうが。


「やったぞアイ! 一個問題が片付いたな!!」

「いえーい」


 俺はセリフ棒読みのアイとハイタッチをする。


「……本当に、いいんだな」

「いいよ。ってかノヴァよ。お前、顔が滅茶苦茶になってるぞ」


 泣いているような笑っているような、ぐちゃぐちゃの表情で赤の勇者は涙と鼻水を流していた。アイがポケットからそっとハンカチを差し出した。

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