第108話 パンを落とすと大体バター塗った面が下になりがち
ウェントリアスは「パンが出来上がったら供物として参じよ」と言い残し、祠に帰っていった。俺はノヴァ、アイと並んでそれを見送った。
「次はパン作りだな」
「左様でございますね、ユーマ様」
「ユーマ殿、その、ひとつ、相談したいことがあるのだが」
泥と煤だらけになったノヴァは両の手指をせわしなく動かしながらモジモジしている。顔を伏せてその両手をずっと見ている。普段の、赤の勇者の振る舞いとはかけ離れた仕草。耳どころか首まで真っ赤だ。
「相談っていうのは赤の勇者としてか? それとも監察官として?」
「どちらでもないのだ」
どちらでもない?
俺が何か考えるより先にアイが一歩距離を取った。
「ノヴァさん個人としてユーマ様へのご相談でしたら、アイは席を外します」
「いや、アイも同席してくれないか」
ノヴァはアイにもいて欲しいと言う。
アイは一歩前に出て元の定位置に。
「左様ですか」
「う、うむ」
「じゃ、聞こうか。ノヴァの個人的な相談事ってやつを」
さて、何を言ってくるのやら。
意を決したノヴァが、がばっと顔を上げて半泣きの顔で叫んだ。
「あの! パンを! この石窯で! パンを私に焼かせてもらえないだろうか?」
「……自分で作った窯だから試運転をしてみたいってこと?」
「違うのだ!」
違うのか。
「私を、このホテルのパン焼き係にしてくれ……!」
「は?」
「私は! パンを! 焼きたいのだ!!」
監察官殿が壊れてしまった。
「おやまあ」
と、アイは棒読みで驚いたポーズ。心なしか面白そうにしている。ような気がする。
このお願いは俺にとっていい話なのかよくない話なのか。
正直、判断しかねる。
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