第七章 闇の案内人(三)
「で、何でこんなことになったか、分かってるの?」
大雑把に傷の手当をしてから、弓削がこう仁に切り出した。非っ情に機嫌が悪い。まぁ仁の勘違いのせいで大嫌いな京都まで来るはめになって、おまけに危険な目にあったのだから当然だろう。もちろん、俺もそこんところは同感で掴みかかっても問い質したい。が、実は今はそれよりも。
「これぐらいできつくないですか?」
「うーん、もうちょっときつくお願いします」
湿布薬をもらってさっき思い切り打った肩の手当てを史香さんにしてもらっている。幸せですよ、何か悪いですか?
「ちょっと、こっちややこしい話してんだから、いちゃいちゃするならよそでやってくれよ」
弓削が冷ややかにこちらを一瞥して、うっとおしそうに言ってくる。
「いちゃいちゃなんてしてねー!」
「いちゃいちゃなんてしてません!」
図らずも、同じことを同時に言ってしまい、思わず顔に血が上り赤面してしまう。
「仲のよろしいことで」
弓削は後で散々からかってやろう、というように人の悪い笑みを浮かべて肩をすくめると、仁との喧嘩腰の話に戻ってしまう。
「分かってたらこんなことはしてなかった」
仁も苦りきった表情で答える。その表情を見るに本当に分からないらしい。しかしその一方で稔の方はチラチラと兄のほうを窺っていていかにも挙動不審だ。
「じゃあ、心当たりは? 何か悪いことしたんだろ?」
相変わらず弓削は弓削で仁を尋問中。その隙に俺は静かに稔に近づく。兄貴に気付かれると止められるのが必須だからだ。
「…………お前、何か気付いてんだろ」
すると思い切り分かりやすく、目を逸らせて首を振ってきた。……もしかしたら俺も弓削の目から見たらこれくらい分かりやすいのかもしれない。
「そのわりに挙動不審なんだけど。ほら、早く言ってくれないとあっちももう一戦始めるぞ」
俺の言葉に嘘はなくすでに弓削と仁は立ち上がって、言い争いに拍車がかかっている。既に二人共体力の限界が近いはずだ。稔もそれが分かっているのか一瞬迷うように沈黙したすえ、
「本当に何にも知らないんです」
と、あからさまに嘘臭くしらを切った。あくまでも丁寧語。まさかこれが育ちの違いってやつか。……そのわりに仁の方はかなりぞんざいな口調だが。………というかよく考えたら、俺ってこの人らより年下なんだな。こっちが敬語を使うべきだったか。今更使うのも馬鹿らしいから使わないけど。
「嘘だろ。こっちだって何も調べてないわけじゃないんだから。……そう、例えば……国に神社の土地売るんだろ?」
俺はちゃんと調べてきたフリをして揺さぶるために、唯一知っている情報を口にした。するとこちらが驚いたことに稔の顔がみるみる蒼白になっていく。
「え、まさか……?」
あたりかよ⁈
稔は慌てて兄の方を振り仰ぐ。口論をしていた二人もこちらの雰囲気の変化に気付いたのかこちらを注視していた。仁は今にも舌打ちしそうな表情で、弓削はにやにやと勝ち誇った笑みを浮かべて。
「よくやった、神崎」
「……何かお前、腹立たしいぐらい偉そう」
「まぁまぁ。で、もう大方バレてることだし潔く話してみたら? 安くで解決してあげるよ」
「誰がお前なんかに!」
間髪いれずに仁が叫ぶが、弓削が相手では怒っても体力を使うのがオチである。
「でも自分ひとりで解決できないから人殺しなんてしようとしたんだろ?」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべたままそんなことを言ってくる。また『生け贄』と言わずに『人殺し』というあたり、言葉選びに余念がない。…………弓削、昔からこんな嫌味な口のきき方してたから嫌がらせされたり殺されかけたりしたんだろ。
「神崎、そろばん」
そう手を出されて、意味も分からずに携帯用のそろばんを渡す。
「いいかな? 大嫌いな義弟に頼みごとをするわけじゃない。商売だ。ただ客として在野の陰陽師に解決を依頼するだけだ」
その言葉は仁が依頼しやすくするためのものであり、同時に『自分は榊原の家の者ではなく弓削の者になる』と言う宣言だった。
「そうだね、初回割引を入れてこんなもんで。神崎、相場ってこんなもんだよね?」
「………祓い屋の相場なんて知ってるわけないだろ」
しばらく使っていないせいかぎこちない手つきでそろばんの玉を動かしてあくまでも商売として仁に提示した。彼はそのそろばんを見つめてようやく
「……それじゃあ依頼しよう」
と、こちらも客として答えた。
「が、説明しろと言われてもこちらとしては今言った以上のことは知らない」
つまり『神社の土地の一部を国に引渡すと約束し、それと時を同じくして神隠し事件が勃発した』と言うわけだ。
「原因が分かっているなら、その土地の引渡しをやめればいいんじゃないですか?」
史香さんがもっともなことを言う。彼女も稔と同じであくまでも丁寧語。あぁ、やっぱり育ちの違いなんだろうなぁ。
「そうもいかんのだ」
……何で?
思ったことが顔に出たのだろう。弓削が仁の言葉に補足する。
「国からの『依頼』じゃなくて『命令』なんだよ。もともと神社って言うのは国の附属機関だからその辺の命令を逆らえないんだ」
「え? 神社って独立してないのか?」
寺とかそういう宗教機関は国から独立していると思っていた。
「江戸時代まではね。明治になると仏教中心の政治じゃなくて神道中心の政治になるようになった。それと同時に、明治政府というのは西洋型の政治体制を整えようとしたんだ。つまりは宗教、一神教による支配。そうなると神社を管理しなくてはならなくなり、多神教である神道のあちこちをいじらなきゃならなくなる」
宗教って結構政治が絡んでるんだ。やだねー。
「そいつらへの説明も大概にしてこっちの話に戻ってくれ」
「あー、はいはい。正直なとこ、国へは『この土地を売ろうとしたから神の祟りで神隠しが多発した』って言えばいいんだろ? そうすればとりあえず、収まるんじゃ……」
「明確な証拠……というのを求められた」
「証拠―? 無茶だよそれ。心霊現象とかに科学的な思考を持ち出さないでもらいたいよね」
弓削はとんでもないと言う様に語気を強めるが、それが一般人の考え方だろう。見えないものは信じられないから、見える形にして欲しい。
「まぁ、証拠を求められたという理由もあるが、強く言い張れなかったのには俺自身、本当にそのせいか自信がなくってな」
「…………確かに、今のところ状況証拠だけだからね。で、それを神自身に尋ねようと四苦八苦してるうちに、大げさななってこうなっちゃったわけか。さて、どうしたもんかな。やっぱり本人に尋ねるのが一番早いわけど」
それができないのだから。
「連続して起こる神隠し。呼び出しに応じない神。神社という一種の結界の中に現れた妖怪。どうにもこうにも、奇妙できな臭いことばっかりだね。よくここまで放っておいたもんだ」
弓削は口の中で小さく現状を箇条書きにして、考え込む。しばらく俺のそろばんをいじりながら考えていたのだが、急に顔を上げて仁に言い切る。
「やっぱり、神域に行くしかないんじゃない?」
ようやく出したらしい結論は、俺にはさっぱり分からないものだった。神域って……どこだよ。
「あそこにか……?」
「うん。呼び出すのにことごとく失敗してるんだったら、こちらから出向くしかない。かなりの手間だし成功率も低いけど、他に穏便な手も思いつかないし。それにあの方法って、非常事態のときとかは、成功率少しはあがらなかったっけ?」
「まぁ、そうだが……」
あ、何だか俺だけ話しに加われてなくてちょっと腹立たしいぞ。
「神域とか、あの方法とかっていったい何だよ?」
「また、お前か」
話に口を挟まれて、うんざりした顔で仁が言ってきた。こ、こいつむかつく。
「神域ってのは神の領域」
「んなことは分かってんだよ」
「話は最後まで聞けよ。神域ってのは普通は神社の境内を指すけど、この場合はちょっと違ってね。文字通り、人間が行くべき場所ではなく、神がいる場所ってことさ。前に言ったよな? この神社のご神体が山の奥のほうにある湖って。その周辺は普通は人が立ち入ってはならない、神域とされている。入る時はどうしても神に伺いを立てなければならないような時に限り、相応の面倒くさい手続きを必要とする」
で、そこに行こうとしてるわけね。弓削はあんまり物事にこだわらないから、本当は弓削が認識しているよりもさらに面倒で、仰々しい儀式とやらが必要なのだろう。
「とりあえず、行ってみて損はないと思う。もしも失敗しても、一晩歩き損になるだけなんだから」
「だけど……」
どうやら仁の方は乗り気ではない様子。弓削はその様子にイライラしたように爪で床をトントンと叩いている。
「まだ、代替わりしてないの? 実質的に祭りの運行とかはもうやってるけど、肩書きはそのままなんだって? どうしてさ」
それに仁は答えない。稔がちろりと弓削のほうを窺った。代替わりというのは、神主のことだろうか?
「……関係ないだろ?」
代替わりしていない。……汽車でちらりと聞いた話によると、ここの神は神主の前にしか姿を現さないらしい。逆に言うと、神に会うことが神主の資格となる。ここまでやっても会うことができなかったらという恐怖が、仁を行動に移せなくする。
「そうだね。関係ない。今まで神との邂逅を果たしてないからといって、この方法が失敗するわけでもないし、この方法が失敗したからと言って、神主になる資格がなくなるわけでもない」
この言葉選びは明らかに挑戦。そんな勇気もないのかというなじりを言外に含んでいる。ぴっと空気が張り詰めた。いつもと違いからかうような笑みは見せず、どこまでも真剣な顔をしている弓削と、既に感情を隠すような余裕もないのか内心の葛藤をあらわにしている仁。そこには部外者の俺の口出す余裕はなく、ただ重苦しい雰囲気に息が苦しくなる。
「……兄さん」
先程からただ両者の様子を俺達と同じような目線で窺っていた稔が唐突に口を挟んだ。この場に口を出すのに酷く緊張しているらしく、ただでさえさっきのごたごたで全身濡れたために、良くはなかった顔色が、蒼白に近くなっている。
「僕は……行ったほうがいいと思います」
その言葉に仁はピクリと眉を動かした。それは稔の言葉が気に障ったためか、それとも稔が意見したこと自体に驚いたのか。少なくとも稔は前者だと受け取ったらしく、それを見て手が白くなるほど強く拳を握った。
「やっぱり、ここまでして神様が降りて来て下さらないのは、そうする気がないからだと思うんです」
それは会う気がないからか、ただ来る気がないからか。その両者には大きな隔たりがある。後者だったら……それはつまり会いに来いということ。
「それに………兄さんがどこまで本気で神様を求めているのか。そのあたりが知りたいのかもしれません」
「………………つまりこちらを試している?」
「はい。そういうことです」
答える稔の声はほんの少し震えているような気がした。
全員がどのような結論を出す気かと見守る中、仁は眼鏡を外して目元を強くもんだ。そうしてもう一度眼鏡をかけなおし、溜息をつく。
「今晩でいいな?」
最初はその言葉の意味が分からなかった。しかし弓削が小さく笑ったのでやっと意味を悟る。
神域に、行くと決めたのだ。
「正直なところ、大祓の準備で本格的に忙しくなる前に、すましてしまいたい」
そう、さも不本意だというように憮然とした表情でぼそりと言う。
「罰当たりだねぇ。本当は信仰心なんていまいちないでしょ?」
弓削は呆れたように呟いて、指を折って占った。
「まぁ、日付的には悪くないと思うよ。ただ、さっきので少なからず穢れを被ったはずだから、本格的に禊をしなきゃいけないね。行くのは……次期神主と僕と……」
「俺も行く」
パッと素早く手を上げた。だってさ、神様って一回見てみたいだろ? 神隠しの真相も知りたいし。
「……ちょっとは大人しくしてたら?」
「やだ、行きたい」
「まぁ、僕はいいけど」
弓削は俺がうきうきと言うのを聞いて、匙を投げたようだが、
「来るな」
仁はそう簡単には頷いてくれなかった。
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