第七章 闇の案内人(一)

 ほんの五十年前まで、一二〇〇年もの間王都であった、古の都。だからその名も京の都。東京なんて東の京でしかないと言わんばかりだ。


 冬の古都には、空を重く覆いつくした厚い雲から、白い花のような雪が降っていた。


「うぅ……。何かすげぇ寒くね?」


 首をしっかり覆うように襟巻きを巻きなおす。長時間座って汽車に揺られていたので、腰が痛い。冷やすと余計痛くなりそう。


「京都は底冷えするからね。夏は暑いし、冬は寒い。最低の土地柄だよ」


 弓削はこの地を故郷として、大嫌いな故郷としてそう吐き捨てた。しかし俺はこの土地は嫌いになれそうにない。一目見たときから、この地に降り立った時からそう悟った。文明開化、西洋化に加速的に過去を失う江戸――東京とは異なり、ここにはまだ古の空気が残っている。古いものが無条件に好きなわけじゃないけれど、なくなってしまうとやはり淋しく、こういうところは不思議と懐かしい。


「寒いし、眠い。ちょっとその辺の店入って暖まらない?」


 そう言って駅前の店に吸い込まれてしまおうとする弓削の、マントを掴んで止めた。


「さて、行くか。榊之原神社ってどこだ?」


「別にいいじゃんか、ちょっと位」


「駄目! 史香さんのとこ行くの」


 俺もほとんど寝てないし、汽車に乗っていただけなのにかなり疲れているから弓削の気持ちは分かるが、そんなことは無視だ。今は史香さんが一番大事なの。いくら十中八九無事とは言われていても、やっぱり心配だし。


「あっ、神崎そこまっすぐじゃなくて、カフェのところ左曲がって。というか、手離して。ちゃんと案内するから」


 ようやく協力する気になったらしい弓削から手を離し、大人しく後ろからついていく。道はすぐに駅前の商店がいっぱいある通りや、住宅街とは趣を別にしたところになった。寺社がとりあえず驚くほど多い。ちらちらと雪が舞う中に、見上げなければ視界に納まらない寺がある。まだ十二月なので、全く積もってはいないから想像でしかないのだが、白い雪の積もった寺というものはまたかなり趣が違うのだろう。


 狭く入り組んだ道に入り、坂を上る。京の街は碁盤目状とはよく言うが、どうも大通り以外はそうでもないような気がする。


 坂を上りきったところで、弓削が足を止めた。そこには石造りの大きな鳥居がある。その先が神社であるという証明。その鳥居の横には「榊之原神社」と書いた石碑が建っていた。


「ここが……」


 鳥居を入ったところに手水場があり、その向こうに長い石段がある。恐らくその奥に神殿があるのだろう。……年の瀬だから人こそ少ないものの、どうやら、家の近所の神社とは比べ物にならないほど大きいらしい。きっと正月にはかなりの数の人々がこの神社に参拝しに来るのだろう。


「……入るよ」


「あぁ」


 弓削はマントの下に手を入れて、何か――恐らく札などだろう――を確認してから、一歩踏み出した。鳥居をくぐり、さっさと歩いていこうとしたが、弓削は何故か立ち止まって厳しい表情をしていた。


「どうした?」


「いや…………なんか変な感じがしたんだけど……そんなわけないか。うん、何でもない」


 弓削は無理矢理自分を納得させるように言って一人頷いた。


「で、どこに史香さんがいるか分かるのか?」


「ん、多分本殿の裏だと思うよ。あそこには祭壇がある。神様に一番近い場所だから」


「と、いうか、こんな堂々と歩いてていいわけ?」


「大丈夫、大丈夫。年の瀬だから大祓の準備で忙しいし、誰も僕たちのこと気にかけたりしないよ。見たとしても参拝者だと思うだけ」


 ほんとかよ。お前ここで住んでたってことは、面が割れてんじゃないのか? と、思わなくもなかったが、あえてつっこまないことにした。


 石段を上ったところは広く開けていて、建物がいっぱいあった。名前まではよく分からないが、左手は受付のようになっていて巫女さんがいる建物があり、右の手前には鳥居が立ってその先に道が続いていて、右手奥には舞台の様の所がある。神楽を奉納するところだろうか。俺がたっているすぐ左には倉庫のような、それにしてはしっかりとした作りの建物がある。そして正面には本殿があり、賽銭箱がある。


 本殿の裏にまわると茂みになっていた。しかし全く人が通っていないというわけじゃない証拠に、獣道が通っている。最近人が通ったらしく、邪魔な枝などは折られていて歩きやすかった。


「……川?」


 しばらく行くと水音がしてきたので弓削にそう尋ねると


「いやそれもあるけど、この音は滝だよ。もう少しだから。……やっぱり妙に雑多な気配がするんだよなー。でも神社でそんな気配がするわけないし」


 弓削の言ったとおりすぐに茂みは開けて、滝の見えるところに出た。その滝壷のすぐそばの水の上に祭壇が建っている。祭壇とは言っても簡易なものではなく、かなり大きくて屋根までついている。弓削は着物の裾を持ち上げてざぶざぶと水に入り、祭壇に向かう。おい。雪降ってんだけど。


 弓削が俺が呼び止めるのも無視して歩いていくので、仕方なく身を切るように冷たい水の中に足を入れた。徐々に深くなっていって、祭壇の辺りでは膝ぐらいまでの深さになっていた。水底から祭壇にかかっている階段を弓削が先にのぼる。


「岸からここまで、橋でもかけときなよ。寒くってしょうがない」


 続いてのぼりかけていた俺が顔を上げると、祭壇の向こうの端に榊原仁が立っていた。


「それじゃあ。禊の効果が出ないだろ。……よく帰ってきたな。逃げるかと思ったぞ」


 弓削と榊原家、この神社の長男である仁が言葉を交わす間に、素早く祭壇の上に視線を走らせる。仁の後ろで柱にもたれるようにして史香さんが座っていた。眠っているように目は閉じられているが、頬はほんのり赤みがあり生きているのが確認できた。外傷も見える範囲にはない。そして史香さんの隣には、恐らく次男の稔だろう人物が座っていた。オドオドと弓削と長男の間に視線を往復させている。普通の神官の浅葱色の袴をつけて、手にはよく巫女さんとか神主さんが持ってる白いビラビラのついた棒を持っている。昔何かの文献で見たところによると御幣ごへいというらしい。


「僕は逃げたかったんだけど、神崎が許してくれなかったんでね。さて、そこの彼女を返してもらいたいんだけど」


「貴様が身代わりになるなら」


「それは無理な相談さ。まだ、死にたくないんでね」


 弓削は軽い調子で肩を竦めてみせた。あきらかに仁を挑発しているように見えるんだけど……。後ろからそのことについて囁く。


「おい、挑発してどうすんだよ。穏便にできねぇのか?」


 弓削も振り返らないまま仁には聞こえないように声を潜めて答えた。


「できるわけないだろ。できたらあっちだって誘拐してないよ。いい? ちゃんと状況見ときなよ。ああ見えて結構すぐに頭に血がのぼる人だから、早々に術を使ってくる。僕はできるだけ派手にそれに対応するから……」


「その隙に俺が、史香さんを助ける」


「なんだわかってんじゃん。それでとにかく遠くに逃げろ。どうせいたって役にたちゃしないんだから」


 そう言って口元だけで小さく笑った。……ちょっとグサッときたぞ。そこまで言わなくてもいいじゃんか。


「なにをごちゃごちゃ言ってる」


「ただの状況説明だよ。部外者みたいなのもいるからね。……どうせ交渉なんか成立しないんだ。力ずくでも返してもらおう」


 弓削が札を数枚右手で取り出し、投げようとする。


「そうはいかない。これが最後の手段なんだから失敗するわけにはいかない」


 仁が印を結んだ。同時に弓削の指から符が放たれた。


「え、何で?!」


 思わず声を上げる。符が、ハラリハラリと揺れながら床に落ちたのだ。まるで、普通の紙のように。


「やられた……特殊結界か。神崎、その辺に貼ってある札全部はがして」


「全部って……凄い数貼ってあるんだけど」


 柱という柱、しかも一本辺り四五枚貼ってある。これを全部はがすとなるとかなりの時間がかかるはずだ。


「それでもいいからとりあえず剥がせ。結界破らないと、術が使えない」


 弓削は珍しく声を荒げて言って、白墨を取り出し床に何か描き出した。円と……その周りに見たことのない文字のようなものを。


「ふん、遅いな。稔、呼び出せ」


「え、でも………」


 俺は札をはがすのに必死で見ることはできなかったが、稔は戸惑った声をあげる。兄に心酔している弟、でも、今回のことには全面的には賛成できていないらしい。


「稔」


 仁はただ、低く強い声で名を呼んだ。威圧的で有無を言わさない……支配者の声だった。


「…………分かった」


 答える声には多分に迷いが含まれているものの、稔は了承した。


「ちょっと待った。さっきから気になってるんだけど、この辺りの空気が変に澱んで流れが滞ってる。呼び出すのはやめたほうがいい」


 カツカツという白墨の立てる音が止まり、弓削が焦った声で早口に言う。しかし仁は全く取り合わず、口の端で笑い


「時間稼ぎか」


 と、嘲るように言っただけだった。


「あんの馬鹿!」


 弓削は悪態をつき、再び白墨を床に叩きつけるようにして再び、さらに速く文字を書きだした。


 六枚目を剥がし終えたところで、後ろからシュッと衣擦れの音がした。何かが始まったのかと思わず振り返ると、小さな榊の葉をつけた烏帽子を被り、手に御幣を持った稔が立っていた。先程の自信のなさそうな表情から一転して、凛とした様子でそこに立っている。御幣を持った手がゆっくりと挙がり、それと同時に一歩踏み出す。


 シャン。


 どこにもないはずの、鈴の音が聞こえた気がした。一気に空気が張り詰め、澄み渡る。思わず手を止めて辺りを見回してしまった。


「神崎、ぼやっとすんな」


 叱咤されて、やっと手を動かし始めた。稔が天才的な神楽の舞い手で、神さえ呼び出せるだろうというのは分かった気がする。あんなの人間業じゃない。こんなところで、本当に生け贄を捧げるという目的で神を呼び出されちゃまずいのだ。その前に何とか止めないと……。


 焦ったために爪の先が割れた。鈍い痛みに舌打ちして、別の指で再び剥がし始める。なんでこんなにしっかり貼ってやがんだよ、暇人。焦れば焦るほど、途中で破けたりして上手く剥がせない。


 あと三枚。


 最後の柱に取り掛かったところで、ふっと聞こえてくる鈴の音が大きくなり、水面が波立った。


「できた」


 俺が札を剥がしきるより先に、弓削がなにやら解決法を完成させたらしい。


「おい、こっちは?」


「続けて」


 弓削はマントの下から取り出した札を、稔に向かって投げる。しかし、その軌道上に立ち塞がった仁が瓶に入った液体を札に向かってかける。


「……お神酒ね。やけに準備がいいじゃないか」


 どうやらあの弓削の描いた円の中にいると術自体は発動できるが、効果は薄れてしまうらしい。


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