第六章 車窓に流れる細雪(三)

 雪が散らつきそうな曇天の新橋駅で生まれて初めて汽車に乗った。小さな風呂敷包みと刀の入った袋だけを持った俺達は酷く場違いで、思わずこそこそしたくなってしまう。こんな時には弓削の常識すら持ち合わせていないぶっとい神経が羨ましい。席は四席がむかいあうように並んでいる。ぼっくす席と言うそうだ。弓削は通路側に座り、俺はその斜め向かいの窓側に座った。


「でさ、いいかげん説明しろよ。生贄って何のために。いくらなんでもそれって非常識すぎるだろ、それから今んところ史香さんは無事なわけ?」


 俺がやっと今日一番聞きたかったことを口にする。すると予想に反して弓削は渋ることなくいつも通り答えた。


「おそらく、あの誘拐事件をどうにかしてくれって国に頼まれたんだと思うんだ」 


 いつも通り、しかたないなぁといった気だるげな感じで、淡々と説明する。


「神隠しなんだったら神社の領域だろって押し付けられたと思うんだ。僕だって全然そんなことは知らないから憶測でしかないけど、多分もうすでに祈祷も神降しも、神楽もってあらゆる手を打ったんだと思う。けど、どれも効果がなかったんだね。仁、焦ってるみたいだったろ? 多分かなり追い詰められてて、それで生贄って方法を試してみる気になったんだ」


 肘掛に肘をついて、頬杖をついてとやたらとくつろいでいる。なんだかこの場に馴染みすぎだ。


「ってかさ、それって合法なの?」


「そんなわけないじゃん。流石に人を殺しちゃうわけだから合法にならないよ。ただ……例えば僕だったら、誰も騒ぎ立てないからさ。だから多分史香さんに関しては僕に対するただの餌だと思うから、特に心配しなくてもいいと思う。何せ一般人だからね。騒がれると厄介だ」


 とりあえず、史香さんが無事だろうと聞いて一安心する。が、その後にようやく別の疑問が生まれた。


「なぁ、普通身内でも殺そうと思わねぇだろうが。というより身内ならなおさらだろ。大体、お前さぁ、兄貴だって言ってた奴とは苗字は違うしやたらと仲は悪いし、家出してきたって説明のときは何か物騒な言葉多発するし、昔徴兵のこと聞いた時は上に二人も兄貴がいるくせに大丈夫かも知んないとか訳の分からないこと言うし。大体、よく考えたら実家京都なのに中学校だけわざわざ東京で通うことにしたんだよ。正直そこんとこ説明して欲しいんだけど」


 前々から気になってたけど、まぁ関係ないかと気にしなかったこと。でも、今回のことに全く関係ないとは思えないので、できれば知っておきたい。弓削は答えたくないのか、斜め前に座っている俺からふっと視線を外した。そして視線を外したまま別のことを喋る。


「結局汽車代貰えたんだ。神崎のおじいさんって気前いいねぇ」


「まぁ、出張費だけどな」


 結果、じいさんは何と俺の汽車代を出してくれて、弓削のは貸しにしてくれました。金貸してくれと単刀直入に言うと、俺のことじーっと見た後唐突に「女か?」と言ってきた。何故かどんぴしゃりだったので、唖然としてると「まさか商売女じゃないだろな?」とか心配そうに聞いてきて、「違うわい」と答えたら、「若いとはいいのう」とか言いながらぽんと金をくれた。そしてここからが問題なのである。


「女を追い掛け回してる暇があるってことは、そこそこ腕が上がったと見てもいいわけじゃな? だから京都までの出張費じゃ。現地でいいものが見つかったら、自分の判断で買ってきなさい」


 こ、これはもしや、試験なのか? 試験なんだな? とりあえずそれは一人で買わせてみて実力を見るのもいいだろうという基準に達したってことで……。わーっ、どうしよう、どうしよう。渡された金とそんなことを言ってくるじいさんをあわあわしながら見たら、何もかもお見通しみたいな顔をして、


「帰ってきたら、その子を紹介するんじゃぞ」


 なんて言ってきて。……まったく、くえない人だ。


 がたん、と汽車が動き出した。京都に向かって出発した。俺は子供のように興味津々で窓に張り付いて景色を見る。景色はどんどんと後方に流れていき、町を抜け、すぐに稲刈りの終わった田園風景になった。


 いまにも降りそうだった雪がとうとう降ってきて、細かな白い粒が次々と後ろに流れていく。


「…………本当に、知りたい?」


 じっと俺の目を見て聞いてきた。その鳶色の瞳が珍しく迷いで揺らいでいるように見えた。


「聞きたいよ」


 当然だろ、こっちだって巻き込まれてんだから。と答えた。そうするとまた弓削はふっと視線を外し、自分の膝の上で組んでいる指の先を見つめた。そうしてしばらく黙っている。緊張した空気に気圧されて俺も黙っていた。


 カタンカタンと汽車の車輪がレールとぶつかり合う音だけが響いている。


 カタンカタン、カタンカタン……規則正しい音にかき消されそうな本当に小さな声で最初の言葉が語られた。


「今まで説明するのも何だか嫌だったから言わなかったけど、厳密に言うと僕は神社の息子ってわけじゃない」


 そこで一度言葉を切り、それから息を詰めて再び黙る。詰めていた息を吐き出すように苦しげに続きを言った。


「僕と、さっき来た榊原仁は……異母兄弟なんだ」


 ガタンッ。


 線路は曲がりに差し掛かり、軋むような音を立てて車体を少し傾かせる。俺は弓削の言葉のほうに気を取られていたので、車体につられて隣の席に倒れこみそうになった。しかし弓削は微動だにせずに平静に話を続ける。


「つまり僕の生みの父は弓削の家から榊原の家に婿入りした人間で、僕の母はその父が外に作った女だった。だから神社の、榊原の血は継いでいない。…………まぁ、こんな端的な説明だと分かり辛いだろうね。順を追って説明していこう。途中聞くのが嫌になったら言ってくれ。はしょるなりやめるなりするから」


 感情を押し込めるようにして、淡々と弓削はそう言う。


「前にも説明したかもしれないけど、明治時代に陰陽道禁止令があって陰陽道を家業としてきた家はその技術を普通には伝えることができなくなった。そこで多くの家が取ったのが、神社というものを頼ると言う方法。陰陽道は元々仏教から生まれたけど、神道の考え方も多く含んでいるから移行がしやすかったわけ。そして弓削の家もその方法を取り、僕の父が神社の榊原家に婿入りすることになった。神社にしても霊力のある家柄の血が入ってくるのだから、おいしい話だ。………それが決まったのは、父がまだ物心のつかなかった頃らしい」


 まるで華族のように恐ろしく早い婚約だ。本人たちの意思などまったく考慮されていない。


「父が結婚したとき、もう既に義母は家を継いで神主になり神社を仕切っていた。そこには今までに受け継がれてきた独特の風習があり、神主の一存で物事を決められることも多い、一種の閉鎖世界だったんだ。せめて義母が父を受け入れていたら話は変わってたんだろうけど、あの人もやたらと自尊心の高い人だから、親の決めた結婚に散々反抗して引っ込みのつかない状況になってたんだと思う。その中で父もかなり精神的に負担だったらしいね。僕は知ったこっちゃないけど」


 それで、息苦しい家を出て、外に居場所を求めたのだろうか。そしてそのせいで弓削は生まれたのだろうか。


「僕は母が死ぬまで父が存在するなんてことも知らなくてね。それまでは母が下働きをしていた家で子守みたいなことをしていた。子守って言っても同い年くらいだったから、遊び相手みたいなもんだね。そこの雇い主と子供には気に入られてたおかげで学校には行けたから、その点では凄くありがたかった」


 義務教育とは言うものの決して全ての子供が学校に行けるわけじゃない。貧しい家にとっては学費は大きな負担だし、子供でも貴重な働き手なのだ。だから弓削は自分で恵まれていたと言うつもりなんだろう。


「昔からどの人間を味方につければいいか、とか、愛想の振りまき方みたいなものはやたらと分かってるかわいげのない子供だったから、同級生には嫌われてたね。まぁ僕も嫌いだったけど。私生児とか父なし子だとか、意味も知らずに親が言っていた通り繰り返す馬鹿ばっかり。腹が立ってよく喧嘩した。その度に母に怒られていたよ」


 そこで弓削はふっと何かを思い出したように柔らかく微笑んだ。それは女の子をたらしこむときのような計算しつくした笑みではなく、何か大切なものを見たときに思わず零れたような笑みだった。


「こんなこと言ったら神崎は変だと思うかもしれないけど、そのころはまだ幸せだったんだ。喧嘩をすれば必ず叱り、ごはんを食べて物足りなそうにしていたら自分の少ないおかずから少しだけ分けてくれる母が、家に帰れば必ずいたから。そこには必ず自分を受け入れてくれる、小さいけれど揺るぎない絶対的な世界があった」


 そう話す時には口元に淡く笑みの名残があったのだが、次に言葉を継ぐときには、そんなものは完全に消えて元の無表情に、事務的な口調に戻っていた。


「…………母が亡くなったのは九つの雪の日だった。全ての音がなくなるような雪の日だった。流行病であっけなく。悲しいと言うよりはびっくりした。そう思った僕は冷たいのかな? 泣くでもなく呆然としていたらいきなり父と名乗る人物がやって来た。母が病床で書いたらしい手紙を持っていた。それでいつの間にかその人が僕を引き取ることになったらしくって……その時のことはやたらと記憶が曖昧なんだよね……言われたとおり、風呂敷に必要なものだけ詰めてついて行った。その日のことで一番よく覚えているのが父の背中。寒いせいかやたらと背を丸めて歩いていてね、凄く貧相だったのを覚えてる」


 世界でたった一人の味方を失って、初めて会った人を頼らなければいけない子供にとって、その背中がいかに不安を煽ったか、弓削の鮮明な記憶が証明している。


「僕もやっぱり神社には馴染めなかった。それは風習がどうとかそういう問題じゃなくて単純に人間関係。義母はできた人だったよ。厳格だけど公正なんだ。いや……榊原姓の誇りが僕を排除するのを止めただけかもしれない。その証拠に僕は決して榊原の籍には入れなかった。できる限り自分の息子たちと同じように扱おうとしているようだった。別に不当に多くの雑用をさせられるわけでも折檻を受けるわけでもなく、学校にまで通わせてもらった。恐らく彼女の恨みが僕と言うよりは父に向かっていたからだと思う。でも、息子はそうは行かないよね。特に長男は」


 ゴーっと大きな音を立てて汽車がトンネルに入っていった。窓の外に黒い煙が流れる。弓削が変な顔をして口を噤んだ。おそらく耳がツンとしているのだろう。……俺もしてる。


「飴ならあるけどいるか?」


「………何で飴なんて持ってんの? 甘い物嫌いだろ?」


「あぁ、トンネルに入ると耳がツンとするから持って行った方がいいらしいとか言って無理矢理。薄荷ハッカ味だからあんま甘くないぞ」


 そう言って袋を差し出すと、弓削は苦笑して受け取った。


「じゃあもらう。………神崎のおじいさんって本当にいい人だよね」


 そう言ってから飴を口に含んだ。頬が不細工に膨れる。しかし俺はそれにつっこむでもなくちょっと落ち込んでいた。弓削は他意があって言ったことではないのだろうが、今の言葉に後ろめたい思いをさせられた。今まで聞いた話が衝撃的だっただけに、その思いは重くのしかかる。弓削はずっと大変な思いをしてきたのに……俺はすごくすごく恵まれてて、孫思いのいいじいさんがそばにいるという罪悪感。


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