第六章 車窓に流れる細雪(二)

 一回帰ってから、京都の地図を探したのだが見当たらなかったので、与吉に尋ねることにした。やたら情報通だしあいつは大店おおだなで働いているから京都出身者ぐらいいるだろうと見込んでだ。


 予想通り京都出身者がいたのでその人に駅から榊之原神社までの地図を描いてもらう。


「やっぱ京都までだと一番早いのは汽車だよな?」


「ま、当然だな。けど何の用で行くかは知らないけど片道四円弱も払えないだろ?」


「うぅ……」


 給料前借しても……無理かも。この際出世払いという手もあるけど、あんまり使いたくねぇよな。


「ほんと何の用で行くんだよ? 神社なんかで。その辺の神社じゃ駄目なのか? その榊之原神社が大きいって言っても遠すぎだろ」


「うん、まぁ、色々とな」


 いくらなんでも好きな人が誘拐されたからなんてわけの分からない説明をするわけにはいかないので、適当に言葉を濁した。


「そういや、榊之原神社って聞いたことあんな。何だったか……?」


「がんばって思い出してくれ」


 どんな下らない情報でも欲しいような状況だったので与吉を急かす。いくら店の裏手でこそこそ会ってるとは言っても、仕事中なのでこちらも与吉を長い間拘束しておくことが出来ない。早く早くと急かしていたら、そこに声がかけられた。


「……何してんだ? こんなところで」


 振り向くと、そこには……


「げっ」


 思わず呻く。ここがどこだろうが会いたくない相手がそこにいた。じいさんの代からの犬猿の仲で、嫌味な坂田だ。与吉のところの店に用事があって来たらしい。


「相変わらず、間抜けな面をしてるな。どうだ? 君のところそろそろ潰れるんじゃないのか? 馬鹿な君が商売に手を出し始めたんだから」


 相変わらず嫌味な坂田は出会い頭にそんなことを言ってくる。カチンときた。


「お前なぁ。そう簡単に潰れてたまるか。っつーか俺が学生だった頃より営業状態いいしさ。お前こそ学校で勉強ついていけてんのか?」


「幸いにも、高校進学を諦めた君より圧倒的に頭がいいもんでね。全く困ってはいないよ」


「俺は卓上論理に頼るよりも実践で身に着けたほうが早く上達するの。お前頭固いからな。机上の空論がお似合いだ」


 与吉を間に挟んで火花を散らしていたので辟易したのか割って入ってきた。


「で、何の用? 油売ってる暇なんてないだろ?」


「あぁ、そうだったな。ちょっと水墨画でいい物件が入ったのだが、入江教授知ってるか?」


 二人の会話に聞き覚えのある人名が出て来た。入江教授ってのは確か……そう、水墨画の蒐集家で、大学で日本画を教えている教授だった。ん? 待てよ……。


「まぁ知ってるけど、それこそ神崎んとこの方によく出入りしてたんじゃないのか?」


 それを聞いて坂田はあからさまに嫌そうな顔をする。俺はともかくじいさんがやたら値段交渉が上手くて負け知らずなのだ。いまいち利益が出ない。本人に直接売ったほうが利益になる。駄目で元々と言う調子で坂田は言う。


「入江教授、紹介してくれ」


 が、俺は別のことに気を取られていてろくに聞いてはいなかった。日本画の教授。俺はよく考えたら日本画の教授と知り合いなのだ。弓削も確か描きたいのは日本画とか言っていた。そして奴にはそういう人物には人脈がない。と、いうことは………


「こら、返事しろ」


「はいはい、分かったけど、また今度な」


 そのおざなりな返事に与吉と坂田は呆気にとらわれ、次いで坂田は珍しく喜色を現した。


「おい神崎、何紹介するなんて約束してんだ」


「え、嘘だろ?」


 与吉に揺すぶられてようやく自分がやらかしたことに気付いた。が、既に後の祭り。


「覚えておけよ。もしも約束破れば契約不履行で訴えるからな」


 自信満々で言い放って高笑いでもしそうな雰囲気で立ち去った。


 あぁ、やっちまった。じいさんに知れたらまた怒られる。うぅ……頭を抱えて蹲っていると、与吉が


「あ」


 と、声を上げた。聞き返せば先程の情報を思い出したらしい。


「なんでも榊之原神社は国からの命令で敷地の一部を工場に売り渡すとかって話だった」


 ……なんかあんまりにも関係なさそう。こんなしょうもない情報のために長居したからじいさんに怒られる羽目になったのかと思うと、かなりへこむ。


 とりあえず与吉に礼を言い、外套の襟をかき合わせて歩き出す。そして早足で人通りの多い通りを歩きながら、計画を練った。弓削を、巻き込むための計略を。



    * * * *



 俺が練りに練った作戦を携えて弓削んちを訪れた時、既に荷造りが終わっていた。まぁもとから物の少ない部屋だったので、掃除に時間がかかっていると言うところだろう。今は雑巾で畳を乾拭きしている。意外と律儀だな。


「何の用? 刀返しに来たの?」


 覚悟してた通り冷たく弓削が言う。


「いんや。そんなつもりは毛頭ない。それよりさ。入江教授って知ってる?」


「……それってもしかして」


「大学で日本画教えてる先生」


 一心に雑巾を動かしていた弓削の手がピクリと止まる。掴みは上々。自分を落ち着かせるために乾燥した唇を舐めた。


「お前、絵学びたいんだろ? 日本画したいんだろ?」


「だから?」


 話が大体飲み込めたのだろう。弓削が目だけこちらに向けてくる。


「俺は知ってる。しかもそこそこ親しい。取引しないか? もしも今回のことで一緒に京都に行ってくれるなら、教授に紹介する」


 弓削は何も答えない。だが、心が揺らいでいるのはこちらを無視していないことからも分かる。ここは押すべし。


「お前にそんな芸術関係の人脈がないのは分かってる。だからこれは千載一遇の好機だろ? まさかそれをみすみす逃す気か? 学校に行くには金がかかるって逃げるつもりなら、出世払いで貸してもいい。まぁ所謂、芸術家への投資だな。金持ちがよくやってるやつ」


 自信を持てと自分に言い聞かせる。自分の方が有利な手札をそろえていると錯覚させた方が、こういう交渉はやりやすい。


 それに今回はよく知ってる相手だ。弓削は決して榊原のほうができると認めていなかったので、いざとなれば自分だけでも逃げればいいと考えるだろう。


「……卑怯だ」


 弓削が俯いたまま低く呻く。そしてばっと勢いよく顔を上げてわめいた。


「神崎のくせに卑怯だ。あぁっ、もう、馬鹿正直でお人よしなくせに何でこんな時ばっかりずるいんだよ。そんなこと言われたら断れないじゃないか」


 やはり天秤は危険よりも好機に偏ったらしい。


「自分の命が危険になったら、僕は神崎置いて逃げるからね。必要経費は払ってもらうからね」


「それは覚悟の上。汽車だぜ汽車。お前乗ったことないだろ。俺もないけど」


「どうやって払う気?」


「…………出世払い」


 いまからじいさんと交渉しに行きます。相手は手ごわいです。なんで俺の周りにはこう一筋縄でいかない捻くれた奴が多いんだ。



    * * * *

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