第六章 車窓に流れる細雪(一)

「でよ、結局あの刀、本当にお前ん家のだったの?」


 向かいに座る弓削に聞いてから、そうめんを音を立ててすすった。


「十中八九ね。聞いてないけど」


 弓削も同じようにそうめんをすすって答える。


「いや、聞けよ」


「だから僕、家出中だって」


 俺は今何の因果か弓削の家でそうめんを食っている。外では木枯らしが吹いているこの季節にだ。


「っつーか、何でこの季節にそうめんなんだよ」


「仕方ないじゃん。大家さんに夏に分けてもらったのが残ってるんだから。お中元でいっぱいもらったんだって。おすそ分けくれた」


「おい、お前がこの前の事件でちょっとばかし危ない目にあわせちまったから奢るって言うから来たのに、残り物の処分かよ」


「残り物とは失礼な。僕の貴重な非常食だし」


 何が悲しくて男二人で狭い長屋の一室で冬にそうめんをすすらにゃいかんのだ。しかも弓削の部屋は暖房器具というものがないので二人共外套を羽織ったままだ。……虚しい。


「と、いうかさ、本当にお前んとこの御神刀だったら返さなきゃいけないんじゃないのか?」


「んー……そうなんだけど……ああしてもらったのは悪いんだけど、あの刀はそれほど重要なものではない。神道においての御神体って何だと思う?」


 そう、結局あの後売るために刀を盗もうとする弓削を宥めすかして、妖刀と御神刀だけ警察を誤魔化して持って帰ってきたのだ。


「だからあの刀じゃねーの?」


 弓削の言ってる意味が分からない。あの刀の事を御神刀だって言い出したのは弓削だ。そして御神刀ってことは御神体のはずなのに。


「違う。御神体は別にある。確かうちは水神で御神体は山の奥のほうにある湖とその中央の岩じゃなかったかな。だから刀は御神体ではなくただの祭具。つまり祈祷とか禊祓いとか神楽とか、お祭りの際に使うちょっとだけ特別な道具ってこと。面倒だけどそれなりの時間と手間をかければ新たに作ることもできる」


「ふーん」


「ただ……何で兄が気付かなかったかが分かんないんだけどね。あの人は霊感があるからこういう祭具がなくなったら気付くんだろうけど………」


「ふーん」


 霊感兄弟………濃いなぁ。そういやこいつは陰陽師と神社の家系だ。やっぱり霊感って血筋が関係するのかな?


「すみませーん。弓削さんいらっしゃいますか?」


 小さく戸を叩く音と、声を潜めた呼び声が聞こえてきた。間違いなく、史香さんの声だ。慌てふためく俺をにやっと笑って見てから、弓削は俺が落ち着くのを待たずに返事をした。


「はい、どうぞ」


「失礼します」


 史香さんはそう告げて戸を開け、中に入ってきた。切羽詰った表情をしている。


「あの、榊原さかきばらひとしさんって知ってらっしゃいますか?」


 その名前を聞いたとたん、弓削の表情がさっとこわばった。


「兄貴だ……」


「苗字違うじゃん」


 俺のもっともなツッコミは即座に無視された。


「じゃあ、本当だったんだ……。いらしてます。つい十分ほど前。今は母と話しこんでいますけど、断片的に聞いたところによると、どうやら意気投合しちゃっているみたいなんで、きっと数分も経たないうちに通しちゃいますよ」


「逃げる」


 弓削は即座に言い放って、窓を開け裸足のまま外に出ようとする。


「おいこら待て。せめて何か履物はけ」


 土間から草履を投げてよこしたが、


「そんな時間ないんだよ」


 とか、切って捨てられた。人が親切で言ってるのに。


「ちょっとは落ち着けよ。そんな慌てて逃げなくったって……せめて金目の物とか持って逃げなくていいのかよ」


「う……そうだった」


 珍しく本気で動転していたらしく、金銭のことも考えていなかったようだ。片方だけ窓枠から出した足を戻して、押入れを漁って薄っぺら財布とさっき話題になっていて御神刀と、未だお祓いを済ませていなかった妖刀村正を取り出した。いざとなったら売っ払う気だろう。


 俺と史香さんはその様子を唖然として眺めている。そこまで必死で急がなきゃいけないほどのことか?


 弓削が再度窓からの脱出を試みようとすると、からりと戸が開いた。部屋の中にいた三人が一斉に振り返る。それだけ唐突な出現だった。長屋の周辺は玉砂利になっているので、人が通ると分かるはずだ。なのに何の音もしなかった。


 立っていたのは痩身の男で、眼鏡をかけている。弓削や俺より三、四つ上ぐらい。史香さんの話によると恐らく榊原と言う人物なのだろう。嫌に、目が鋭い人だった。弓削が驚いたのはほんの一瞬で、すぐにその男を睨みつけた。


「どうも、久しぶり。こんな所まで何の用かな?」


 弓削がやたらと茶化すような口調で、唇の端を持ち上げるように笑いながら言った。それを見て榊原は不機嫌そうに


「用は分かっているはずだろ? まったく、ふざけたことばかり言って、だらしがない」


 ……弓削は兄貴だと言っていたが全く似てはいない。顔もそうだが、やけに厳格そうな性格も。弓削を見ても榊原を見ても一向に兄弟らしい友好が見て取れない。全くなんだって言うんだ? 榊原はただただ無表情でそしてやけに冷たい目で弓削を見ており、弓削は指が白くなるほど強く窓枠をつかんで唇だけを笑みの形に歪めて榊原を睨んでいる。


「帰って来い、弓削司」


 地を這うような低い声で、まごうことなき命令口調で言い切った。どこか尋常でない声の響きに、弓削は唇を引き結びマントの中で結んでいた印を外に出す。


「いきなり言霊ってのは反則じゃないかな? お兄ちゃん?」


 印を解くと弓削はにやにやと笑った。少しいつもの調子に戻ってきたらしい。一方今度は榊原の顔色が怒気に赤黒く染まる。


「あれほど……兄と呼ぶなと言っただろう」


「それじゃあ、こちらの書き残したことも覚えておいて貰いたい。僕は、二度と榊原の家には戻らないって言っただろ? それとも僕とまた一緒に暮らしたくなったかい?」


「馬鹿なことばかりを。俺だって迎えに来たくて迎えに来たわけではないっ」


 バンっと平手で壁を叩いた。その音に、近くにいた史香さんがびくりと震える。


「京都で誘拐事件が流行ってるんだって? 神隠しって評判の」


 弓削が唐突に脈略のない話を始めた。この辺りで辻斬りが横行していたのと同時期に始まった事件だ。確かもう二ヶ月ほども続いているはずだ。だがそう思ったのは俺や史香さんだけで、あとの二人はつながりが見えているらしい。


「あれで僕を呼ぶのかい?」


「分かっているなら話が早い」


「お断りだよ。僕はまだ死にたくないんでね」


 ようやく弓削は窓枠から手を離し、部屋の中央よりに立って、腕組みをした。両手共にマントの中に入っている。恐らく中では札なり何なり持っているのだろう。言ってみれば戦闘体勢に近いものだった。


「だいたいさ、あんたがあの役をしたところで僕とはなんら遜色がないと思うけど? 一回試してみたら? もっとも万が一にも成功しちゃったら取り返しがつかないけどさ」


「……交渉決裂か……なら……力ずくでも連れて帰る」


 懐から符が取り出される。同時に弓削は符を貼った小刀を自分を中心に三本投げて印を結ぶ。結界を張る気だろうと予想をつけて、範囲外で呆気にとらわれている史香さんを引っ張り込もうとする。しかしその途中で互いの術が発動した。もう少しで史香さんの手が届くというところで、襟首をつかまれて後ろに引っ張られて尻餅をついた。立ち上がってもう一度手を伸ばそうとするが、今度は結界に阻まれた。


「弓削っ、結界解け」


「煩い。黙ってて」


 結界の外で閃光が起こった。目が光に焼かれ、鋭い痛みと共に見えなくなる。目を擦るがそんなことをしても、全然元に戻らない。


 しばらくして、視界にチラチラと変なものが映るものの見えるようになっても、史香さんの姿も、榊原の姿も見えなかった。


 状況が飲み込めずに座り込んでいる俺を見向きもせずに、弓削は改めて押入れの中のものを取り出し、風呂敷に包みだした。


「何してんだ?」


「逃げる準備。場所バレちゃったから引っ越さないと」


「っつーか、状況説明しろ。史香さんは? あの陰険そうなお前の兄貴は?」


 俺が弓削に詰め寄っていると、開けっ放しにしていた窓から鳩が飛び込んできた。俺の頭の上に降りてこようとするので追い払おうとしたが、弓削が止めた。


「式神だ」


 そう呟いて、素早い手つきで鳩を捕まえようとする。するとさっきまで本物にしか見えなかった鳩が紙に変わる。そこには短く文が書かれていた。


 曰く。


    ここの大家の娘はこちらで預かった。

    お前が帰ってこなければ、この娘が贄になると思え。



 まがうことなき脅し文句。一瞬頭の中が真っ白になった。


「弓削、史香さんが誘拐された」


「んなことはそれ見れば分かるよ」


 弓削はあからさまに鬱陶しそうに、その紙を丸めてそこらに放り捨てた。


「この贄ってまさか……」


 生贄のことじゃあ……?


「思ってるので多分正解。生贄のことだね」


 さらりと述べてくれるがとんでもないことじゃないか。平安とか鎌倉とかならともかく、大正の世にまさか人間を生贄に捧げるなんて……あ、何かの比喩かな?


「別に現代になって生贄と言う風習が全くなくなったわけじゃない。瓦斯ガス灯が、夜の闇を照らし出すようになった今でも、真の闇まで祓われたわけじゃない。やはり人間にとって不可解なことは起こるし、最近流行の科学なんかでは説明できないこともある。そういうとき人間が頼るのはどういう方法だと思う?…………今まで行ってきた、闇の手法さ」


 弓削は淡々と語りながらも、部屋の隅に乾かすために吊っていた絵筆を全てまとめて、筆巻きに巻く。


「じゃあ、お前が帰らなきゃ、史香さんは死ぬ?」


 口に出して、音にして聞いてみて、ようやく俺自身にも『死』の重さが伝わってきた。


「あぁ、そういうことだね」


「じゃあっ……」


 こう言うのは酷かもしれない。分かってはいる。でも言わずにはおれなかった。


「お前が帰れよ。史香さんを助けに行けよ」


 そう、俺が言ってようやく、目を合わせた。どこか哀しむような、憐れむような目で。


「僕が言ったことちゃんと分かってる? あいつが何のために僕を連れ戻しに来たか分かってないの? 僕は戻ったら死ぬよ。神に捧げられて死ぬことになる」


 そのとき吸った息が喉に詰まり、ひゅっと奇妙な音を立てた。こんな、非現実的なことがあるだろうか? 遠く離れた神社の人間が弓削の兄貴で、その兄貴は弓削を殺すためにやって来ていて、弓削を連れ戻すのに失敗して今は史香さんを誘拐している。動悸がした。こめかみで血が流れる音やけに大きく聞こえた。


 気がついたら弓削の胸倉を掴んでいた。


「どうにかしろよ。お前が関係してることだろ」


「関係してるって言っても、誘拐をしたのは兄だし、僕と兄は絶縁状態だよ………殴りたければ殴ればいい。僕は死にたくないから、京に行くつもりは毛頭ない」


 弓削はさっき榊原にしていたように、嘲笑うように唇を歪めた。それで一気に冷めてしまった。弓削を突き放すように手を離す。畳の上に落ちていた妖刀村正を拾い上げた。


「……榊之原神社ってどこだ?」


「……何するつもり?」


 弓削を見返して、今ほんの一瞬で考えたことを口にする。


「助けに行く。力が必要になるって言うなら、これと契約してでも助ける。だから場所を教えろ」


 この妖刀と契約を交わせば、ただではすまないことは重々承知だ。現に前の契約者である長瀬は、警察に捕まったものの、取調べにもまともに応じられないような廃人になったと聞く。それでも、彼女が殺されるのをみすみす待っている様な真似だけは我慢ならなかった。


「ちょっ……馬鹿なこと言ってないでそれを返せ」


 弓削は焦って取り返そうとしてくる。それを避けてそのまま外に駆け出した。


「教えてくれないならそれでいい。自分で調べる」


 走っていると、初冬の空気が頬を切り裂くような気がした。



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