第五章 白刃一閃の怪(二)

「っつーか、相談来たくせにどの刀が原因か分からないとかふざけてるよな」


 とか、文句は一応言っておくものの俺はかなり機嫌がよかったりする。長瀬の日本刀のコレクションはなかなかの物だったからだ。層は広く厚く、手入れもよし、配置もまずまず。いかんせん量が多いので多少ごちゃごちゃした感じになっているのが玉に瑕だが、俺はあんまりそんなことは気にしない。流石に馬鹿でかい洋館に住んでることはある。金がうなってるんだなぁ。


「よくあることでしょ。大体霊感ない人には原因なんか見えなくて、結果だけ見えて相談に来るんだから。神崎だって『多分』とか『きっと』とか言いながら、自信なげに持ってくるだろ?」


 言いながら弓削はドアの上のほうと下のほうに二箇所、人払いの札を貼り付けた。……そんなにいい加減に貼って効き目があるのか?


「まぁそうだけどさ。こん中から原因なんて分かんのか?」


「舐めてもらっちゃ困るね」


 弓削は自信ありげに笑って、部屋を見渡した。中央から舐めるようにゆっくりと部屋中に視線を這わせていく。とりあえず一通り見回してから、自信満々で部屋の一隅を指差した。


「あの辺」


「……どれかまでは分かってねーんじゃん」


「だって密集しすぎててどれがどの気配なのか。もともと刀なんて人を殺すための道具だからね。多かれ少なかれ憑きやすいし。一本ずつ場所をずらせば分かるんだろうけど、めんどくさいなぁ」


 弓削のさした一隅には悠に二十振り以上の刀が置いてある。そりゃあ面倒だろう。


「老舗古道具屋、跡取りとしては怪しい物ない?」


 弓削が茶化すように言うので少しむっとしてその一角を真剣に見た。くどいようだが、刀は得意だ。そこそこ名の通った名刀が多い。流石にパッと見では自信がないのだが、これはあれかな、これはあれっぽいな、と名前を思い浮かべながら一振りずつ見ていると、いかにもな品が見つかった。


「村正だ………と思う」


 室町時代の作である。かなり古いものなので値段は張るが、問題はそういうことではなく。


「妖刀村正、ねぇ? なんかいかにもすぎてひねりがないよ」


 いや、怪奇現象にひねりを求めんな。


 妖刀村正というと、徳川家康の祖父がこの刀で殺害され、嫡子がこの刀で介錯されたなどの伝えから、幕末には討幕派の志士たちが好んで使ったらしい。その他にも色々胡散臭い噂がある。曰く、刀自身が血を求めるとか。まぁ、妖刀とは言うものの名刀には違いないので、こう何と言うか手がムズムズする。


「………触ってもいいと思う?」


「はぁ?」


 俺が思わず呟くと、弓削は何を言い出すんだとばかりに怪訝な顔をして聞き返した。


「俺まだ村正は見たことなかったんだよね。あー、じっくり見たい、愛でたい、触れたい、撫で回したい」


「いや、その発言すっごく変態みたいだから大声でわめくのはよしなさい。べつにいいんじゃない? どうせ触らないことには祓えないわけだし」


 うんうん、面倒だけど手伝いに来てよかった。やっぱこんぐらい役得ないとやってらんないよな。


 いそいそと近付いて行って、刀の前に跪く。懐から懐紙を取り出し口にくわえて、刀を手に取った。鑑賞用に置かれているわけだから、当然鞘からは抜かれている。右手で柄を握り、左手を刀身に添えて、まずじっくりと心行くまで鑑賞する。戦国時代より前の作品なので、比較的反りが深く、その無駄なく描く曲線は美しい。


 中子なかごの銘を確かめようと、手をずらそうとするが、不思議と左手が動かない。代わりに刀身をたどって柄のほうに動いていく。意志とまったく逆のほうに動く手をギョッとして見つめていると、柄頭のところで勝手に握り込んでしまった。まるで、剣道の基本的な竹刀の握り方のように……。


「……刀見る時ってそんな風に見んの? それじゃ見にくいんじゃ……」


 俺の手元を覗き込んだ弓削が不審そうに聞いてくる。


「えーっと、すっごく言いにくいんだけど、俺も好きでこういう風に持ったわけじゃないんだよね」


「じゃあ、まさか……」


 後ろを振り向かないまでも弓削が顔を引きつらせたのは感じ取れた。弓削が後ろから手を伸ばして俺の手を刀から引き剥がそうとするが、異常なほどの力で握り込まれていて、指一本すら離れない。


「何で一回手を取っただけで憑かれるんだ。信じられない。あー、連れてくるんじゃなかった」


「俺だって、お前が言い出さなきゃ来なかった。それよりこれどうにかして……いや、逃げろ」


 視界が上昇する。つまり俺の意思に関係なく、勝手に立ち上がったのだ。そして弓削のほうに向き直ると刀を正眼に構えた。それは学校に通っていた頃何度も体育の授業の時とった姿勢だったが、手にある物が竹刀とは全く違った重さを伝えていた。それは本物の重さ。そして、人を傷つける力を持っているという重さ。じとっと掌が汗で濡れた。


「冗談きついよ。神崎って体育だけは得意だったじゃん、僕が敵うわけないって」


 弓削は俺から視線を外さずにじりじりと後ずさった。手はマントの内側に入っている。


「いや、俺が身体動かしてるわけじゃないから関係ないだろ?」


「やっぱり基本的な動作が身体に叩き込まれていないと動かしにくいだろ」


 そんな軽口を叩いていると、不意に身体が動いた。止まるように力を込めたにもかかわらず、躊躇いもなく足は踏み出し、腕は上がる。そして真正面から弓削に向かって斬りかかっていた。思わず目を閉じる。刀は手ごたえもなく振り切られた。ほっとして目を開けると、弓削は上手く避けたようで、俺の横で符を構えていた。二枚ほどの符を一度に投げる。符は意思を持っているかのようにまっすぐ俺のほうに飛んできたが、途中で刀によって簡単に切られてしまった。


「やっぱりそう簡単には終わらせてくれないか」


 弓削は呟き、次に来た突きを横にそれて避ける。


 俺が力を込めれば多少は剣速が押さえられるので、最初は弓削も余裕を持って避けていたのだが、段々そうもいかなくなる。弓削が紙一重で避けるようになる頃には互いに息が上がっていた。


「神崎のせいで本気で攻撃できないし。でも埒明かないから、しちゃおうかな」


「いやいやいや、何するつもりだよ⁈ 攻撃⁈ 頼むからやめてくれ!」


「や、する」


 座った目が本気だと告げていた。弓削は不穏なことを言い切ると、こちらの攻撃が一瞬やむのを待って、


「ちょ、ちょっと待て!」


「悪霊妖気退散、妖魔邪気退散、悪鬼調伏、万魔挟服、急々如律令」


 両手で剣印を組んで、呪言を唱える。そのとたん、視界が真っ暗になり、感覚だけが身体から吹き飛ばされるような感じがした。




 腹の中のものがひっくり返るような感覚。奇妙な浮遊感。暗闇をどこまでも落ちていくような感覚。


 何も見えない闇の中で、俺はそれだけを感じていた。


 ――力が欲しくはないか。


 ……力?


 耳から聞こえるというより、脳に直接響くような声。低くて、耳馴染みのいい声だった。何故だかこれが刀か、刀に取り憑いたものの声だと分かった。


 ――どんなことでも解決できる力だ。悩みの一つや二つあるだろう?


 そういわれていくつかの悩みが思いついた。目利きのこととか。史香さんのこととか。でも。


 ――力が欲しければ、悩みをなくしたければ、我を受け入れろ。


 ……いらない。


 ――何故。


 ……だって、俺の悩みの中に力で解決できるものなんてないから。


 答えた瞬間、目の前で光がはじけた。





「あ、帰ってきた。お帰りー。思ってたより早かったね」


 倒れた俺を、弓削が上から見下ろしていた。……前にもこんなことがあったぞ。


「あ、そーいや刀」


 慌てて飛び起きたら、思い切り弓削と頭をぶつけてしまった。思わず両手で額を押さえる。痛すぎて声も出ない。弓削って石頭だ……。


「……神崎の石頭。刀ならほら」


 やっぱり向こうの方が先に立ち直りやがった。


 弓削はドアの近くを指差す。そこに例の刀が転がっていた。自由になった自分の手を見て、ほっと吐息をもらした。


「無理矢理、神崎と刀を引き剥がしたのが上手くいったらしいね。何か変なことあった?」


 そう訊く弓削に変な声のことをその通りに話すと、弓削はふんふんと頷きながら驚くでもなく聞いていた。


「なるほど。いざという時は身体を乗っ取って好き勝手動かせるけど、契約を結ぶことにより力を完全に開放することができるわけか」


「で、この刀、例の辻斬りに結局関係あんのか?」


「関係あるところは間違いないだろうけど、悩むとこなんだよねぇ。その言葉から察するに、この妖刀は人にとり憑かないと、動くことすらできないらしい」


「つまり……人間で、憑かれた人物がいて、それが実行犯……?」


「その通り……そして、十中八九この妖刀村正の持ち主、長瀬八郎」


 弓削がその名前を小さく囁いたとたん、入り口からベリッと嫌な音が聞こえた。長瀬が入り口に立ち、村正を拾いあげていた。


「おい、弓削、あの札は?」


「人避けにと思ってたから、そんな大層なものは貼ってないよ」


「役にたたねぇじゃねえか」


 わめきたくなるのも当然で、妖刀の力を受け入れ契約しているため力が完全に発揮されるうえに、あちらは現役軍人なのだ。ただの古道具屋と、祓い屋が叶うわけがない。


 完全に正気を失っている長瀬の目を見て、俺達は後退する。しかしそんなに広くもない部屋のこと。すぐに行き止まりになってしまった。刀が振り上げられる。咄嗟に近くにあったものを拾い上げ、刀と自分の軌道上にかざした。


 高い金属音が響く。


「あーっ、刃こぼれするっ」


 俺が掴んだのは展示してあった刀の一つだというのに気付いて、思わず叫んだ。


「んなこと言ってる場合か。次来るよ」


 そんなこと言ったって、さっきだってまぐれなのに今度まで受けられるわけがない。みっともなく叫び声をあげて、目をつぶったが今度の斬撃も受け止めていた。……腕が勝手に動いて。またかよ⁈ と、思わないでもなかったが、好都合だ。力を抜くとその刀は滑らかに動き、長瀬の攻撃を掻い潜って、反撃に動く。だが、相手も手練なので、籠手を打とうとしたら刀に受けられ、胴を払おうとしたら防がれる。


 焦れて力任せに鍔迫り合いをしていると、後ろから俺を避けるようにして符が飛んできた。そしてふわりと羽を休める蝶のように優雅に、長瀬の目を塞ぐように貼りついた。


「縛」


 長瀬は左手を刀から離し、符を剥がそうとするがどうやって貼りついているのか剥がない。その隙に俺の刀の切っ先が綺麗に弧を描いて刀を払い、長瀬の懐に入る。そして、袈裟懸けに振り下ろした。


 存外ゆっくりと長瀬の身体が倒れていくのが目に入った。それが何を意味してるのか一瞬分からなかったが、


「神崎、上手い」


 と、弓削に言われてようやく我に返った。


「ぎゃーっ、弓削っ、人斬っちまった!」


 刀を放り出して弓削に泣きつくと


「落ち着けって。殺してないよ。ほら、刀見てみなよ。血、ついてる?」


「ついてないけど……」


 だけど斬っちまったぞ。


「刃が潰してあったんだよ。ほら」


 弓削の視線の先で長瀬は刀を床に突き、立ち上がろうとしていた。


 弓削は刀印を構えた。


「臨める兵、闘う者、皆陣列れて前にあり」


 縦に四回、横に五回、格子状に刀印を振り切る。そして反対の手に持っていた三枚の符を投げる。一枚が長瀬に、もう二枚が刀に貼りつき、今度こそ長瀬は倒れた。


「終わった……?」


「うん。しかし、神崎珍しく役に立ったね。多少弱らせないと上手く札が効かなくて面倒そうだなぁと思ってたんだ。神崎ってここまで剣道強かったっけ?」


「珍しくは余計だ。というか、実はその刀に振り回されてた」


「ふぅん?」


 弓削はそんな気配なかったけど……とか言いながら、刀を無造作に拾い上げる。特に行動に支障は出なかったらしく、普通に眺め回し、やがて


「あ」


 とか、間抜けな声を上げた。


「これうちのだ」


「うちの?」


「うん、うちの神社の御神刀。ほらここに書いてある」


 弓削は刀身の柄近くを指差した。確かに『榊之原神社』と、書いてある。実に分かりやすいことで。


「…………こんなとこにあっていいのかよ」


 この部屋には妖刀と御神刀が同居していたらしい。何て恐ろしい部屋なんだ。


「しかし神崎、お前霊的なものに影響受けやすいよね。今度霊媒やってみない?」


「霊媒?」


「うん、幽霊を神崎に取り付かせると簡単に喋れる。別の言い方にすると依代とか」


「……やめてくれ。それより、ここどうやって片付けるんだ? このまま警察呼んじゃまずいだろ?」


 なにせここには辻斬り犯と、妖刀と御神刀が転がっているのだ。多少誤魔化さないといけないだろう。


「うーん。まずこの妖刀村正は持って帰ってゆっくり処理するよ」


「うんうん」


「それから、この御神刀はどういう経路でここに来たか分からないけど、とりあえず持って帰るね」


「ふんふん」


「それから値が張りそうな刀を二、三本選んで持って帰って。それから警察を呼ぼう」


「うん……? ちょっと待て。なんで刀持って帰んだよ」


 あまりにも自然な調子で言うので思わず頷きかけてしまったではないか。


「だってさぁ、前金しか貰ってないのに、この人逮捕されるんだよ。成功報酬が支払われない。割に合わないじゃんか。今回、危険だったのに」


 弓削はあっけらかんと、まるで「太陽は東から昇るんだよ」とでも言うぐらい当然そうに言うのだが、どう考えても、


「それは泥棒……」


「いいじゃんか、一本や二本。神崎だって欲しいだろ」


 ちなみに弓削が欲しいのは金で、俺が欲しいのは刀なのだが。


「そりゃほしいけど」


「じゃあさっさと選んで。とっとと、ずらかるよ」


「お前、それは犯罪者の台詞だろ。ちょっとは罪悪感がないのか?」


 誰か、この馬鹿に常識を教えてやってくれ!




      「第五章 白刃一閃の怪」了

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