第五章 白刃一閃の怪(一)

 じいさんから呼ばれた時俺――神崎直人は一面の見出しで『令嬢、神隠し、二件目か?』と、書かれた今日の東京日日新聞を見ていた。これは京都の事件で、どうやら成金の娘の誘拐が続いているらしい。犯人の手がかりが全くつかめていないことから、新聞社がこぞって『神隠し』といって警察を揶揄っているのだ。しかし正直なところそんな遠くでの俺に全く関係のない事件よりも、二面に載っている事件のほうが気になった。


『大正の辻斬り、被害ついに二桁に乗る』


 この事件は見出し通りで、この近辺で夜中に刀で斬り殺される事件が多発している。しかもこれが怨恨ではなく老若男女、容赦なしなのだ。全員一太刀で殺されてるところから、かなりの剣術の腕前だと予想されているらしいけど……。全くふざけている。きっと犯人は生まれる時代を間違ったのだ。もっと前、江戸時代末ぐらいにでも生きていれば非常に役に立っただろうに。


 そんなことを取り留めなく考えながら、新聞を読んでいるとじいさんに声をかけられたのだ。


「なんじゃ、珍しく静かに勉強しているかと思えば、さぼりか」


 …………まずいところを見られた。


 凄く言い訳めいて聞こえるが、ほんの数分前までは本当に勉強していたのだ。ただ、目の前にある壺と照らし合わせるためにある本を机から取ったら、一緒に今日の新聞も落ちてきてしまったのがまずかった。そういや今日はまだ読んでなかったなぁ、と思って目を通し始めてしまったら、最後まで読まないと気がすまなくなったのである。


「勉強だったら邪魔しちゃいかんと思って、そうっと来たのにの」


 わざとらしく溜息をついている。ぜってえ嘘だ。ちゃんと俺が勉強しているか確認するために足音を忍ばせて来たに決まっている。


 勉強というのはもちろん目利きのことで。せっかく今日は真面目に苦手な陶磁器の勉強をしてたのにな。


 ちなみに、比較的得意なのが刀及びその装飾品(鍔とか鞘とか)。可もなく不可もなくが輸入品の類……というか、これはじいさんがあまり詳しくないから採点が甘いともいう。絵はこの春ぐらいから弓削を巻き込んで勉強しているのでめきめき上達中……だと願う。苦手なのが……一番よく来る陶磁器。


 まぁ理由はよく言われるとおりである。やっぱり、つい最近まで地で腕白坊主をやってたんだから、刀はときめく。あの、唯一つの手段を極めていったがために得られた実用の美というのがすごく惹かれる。対して陶磁器なんてじじくさい物はよく分からんのだ。


「お前……怪奇現象について詳しいか?」


「はぁ?」


 唐突に何を……もう少し説明が欲しい……。


「うちが売った物で怪奇現象があったらしい。確か友達がそのあたりのことについて詳しいとか言っとらんかったか?」


 弓削のことについて話したことなんかあったかなぁ? と思いながらも事実なので頷いた。


「じゃあ呼んで来い。至急じゃ。得意の客なんで、機嫌を損ねたくはない」


「つっても、あいつ依頼受けないかもしんないし、今家にいないかもしんねぇじゃん」


 まだ真っ昼間だ。俺はたいてい朝か夕方に弓削の家に行く。昼間はスケッチや占いに出ていることが多いからだ。


「とりあえず行って来い。いなかったらいなかったでどうにかする」


 と、裏口から押し出された。事情も詳しく聞かないで、俺にどうやって弓削に説明しろというのだ? と、いうかそんな大変な客なのか?


 とりあえず、追い出された俺は仕方なしに弓削の家に向かう。あいつは外出好きだから昼間に家にいたためしがないのに。


「あ、神崎だ」


 が、今日は家に行くまでもなかった。暇して俺をからかいに来たであろう弓削と、大通りに出るまでもなく遭遇したからだ。


「よう。暇か?」


 念のためそう訊いてみると、


「うん。暇で死ぬ」


 と、即答された。どうやら予測は正しかったらしい。入れ違いにならずにすんでよかった。


「っつーか、働けよ」


「……面倒くさい」


 根性が腐ってやがる。


「よし、好都合だ。ちょーっと、何かよくわかんねぇけど、ややこしいことになってるらしくってな。俺は会ってすらいないんだけど、得意の客がうちで買ったものに関して怪奇現象があったとか言ってて」


「それじゃ、帰ろっかな」


 弓削は話を途中まで聞くと、踵を返して本当に帰ろうとした。咄嗟に襟首を掴んでそれを阻止すると、首が絞まったらしく眉をしかめて振り向いてきた。


「何で帰る? 暇なんだろ?」


「だって、そんな大切にしてる得意の客ってどうせ名士とか金持ちとか、財閥とか、華族だろ? ……いや、それは言い過ぎか。とりあえず、そういうのに会うのはちょっと避けたいんだよね」


「別にいいじゃねーか。顔売っとけば儲かるぞ。あーいう連中ってあんまり綺麗なことしてねぇから怪奇現象とか弱いし」


「そりゃそうだけどさ」


 分かってるなら何故? 確かにいけ好かない奴が多いけど、儲かることにはかわりあるまい。俺……というかうちの店からふんだくって辻占いしていてもそんなものは高が知れている。せいぜい家賃と生活費がぎりぎりだろう。絵を本格的に勉強したいんなら金がいる。そのためには手段は選んでいられないはずなのだが。


「神崎さ、大切なこと忘れてない? 僕、顔とか名前が売れたら困るんだけど」


「…………何で?」


 ちょっと考えたけど、さっぱり分からなかった。弓削は呆れたように、諦めたように溜息をつく。ちょっとさっきのじいさんの溜息に似てた。


「僕、家出中なんだけど」


「うん」


「僕んち有名な神社って言ったじゃん。結構金持ちとかそういう類の知り合いが多いんだ」


「あぁ、ここにいるのがバレるって? ってか、お前まだ探されてんのか? もう家出して半年以上だろ」


 学校も卒業してもう十五だ。十五の男子、しかも三男坊が家出したからってそんなむきになって探すとは思えない。跡継ぎならともかく。半年も探せば『まぁ、どっかでどうにかしてるだろう』程度に考えないだろうか? 少なくともうちは、俺が跡継ぎじゃなかったらそんなんなような気がする。むしろいつまでも家にいたら追い出されかねない。


「捕まったら冗談抜きで今度こそ抜け出せないよ。前回は相手の隙をついて力技で家出てきたけど、今度は向こうも油断しないだろうし……」


 何か、捕まるとか相手とか向こうとか、家族に向けられているとは思えない言葉だった。むしろ敵とか、そんな。


「お前の親ってそんな過保護なの?」


 俺はさっき考えたことからの当然の帰結として尋ねたが、弓削はそうは思わなかったらしく一瞬固まってから苦笑した。


「それのほうがよかったな。何十倍も何百倍もよかった。……と、マイナスに十や百かけても減るだけか」


「弓削……?」


 一瞬自虐的な笑みがひらめいたのを見て、俺は思わず声をかける。すると弓削はなんでもないような顔をして


「と、いうのは流石に言い過ぎかもしれないけど。せめて相手の名前教えてよ。聞いたことなかったら受ける。正直言うと今月真面目にきつい」


 と、いけしゃしゃあと言ってのけた。


「暇じゃなかったのかよ。働けよ」


「そういう気分じゃなかったんだよ」


「このプー太郎。俺もまだ名前聞いてないんだって。とりあえず会わないようにはしとくからうち来い」



    * * * *



「祓い屋をやっております弓削司と申します」


 弓削は愛想笑いを浮かべ、深々とお辞儀をした。礼儀にかなった動作を見ながら、俺だけはこいつの内心のとてつもない機嫌の悪さを看破していた。


 裏口から帰ってきたと同時にじいさんに条件を話す間もなく、客の前に押し出されたのだ。それもそのはず。相手はお得意客とかそうでないとか言う前にそこそこ階級の高いらしい軍人だった。そりゃあ機嫌を損ねちゃまずいし、確かこの人は刀の蒐集家で時折うちの店にも来るのでお得意さんではある。が、弓削は軍人が嫌いなので二重に機嫌が悪い。


「ここの店に関連した霊障は私が担当しております」


 おお。一人称が私になっている。流石に外面だけはいいことはある。と、いうか適当に相手が納得しやすそうな立場を勝手につくっているのが上手い。ぼろい長屋に住んでるとか辻占いと俺からのぼったくりで稼いでるとかは伏せる。


「長瀬八郎だ」


「はい。それで、その関係のあるものは持ってきてくださったんですか?」


「いや、家だ」


 弓削は相手に分からない程度に眉根を寄せた。流石に物がなくては、話を聞いただけじゃあ分からないからだ。弓削のは知識というよりも感覚に頼っている部分が多いらしいので、どうしてもそうなる。


「では、とりあえず、話をお聞きしてよろしいでしょうか?」


「その前に、その祓い屋というのが騙りではないという証拠を見せてもらいたい」


「……とは言っても、免許があるわけでもないですからね。どうやってお見せしましょう?」


 長瀬の不遜な言い分に弓削は当然というように頷いた。が、こんな偉そうな言い方をされて、弓削が怒っていないわけがない。


「ではコートのポケットの中身でも当てて見ましょうか」


 唐突にそんな風に申し出ている。そして長瀬の返事を聞く前に、目を閉じてすらすらと語りだした。


「右ポケットにきちんとプレスされたハンカチーフが入っていますね。紺色のです。それから内ポケットには万年筆が。なかなか細工がこっていて値打ち物のようです。あぁ、お父上から受け継いだ物ですか。どうりで少々古いと思いました。なかなか使い込んである」


 コートは部屋の隅にかけてあった。当然、弓削は中身を一回も見ていない。顔色はあまり変わらなかったものの、長瀬もかなり驚いたようだ。


「どうしてそれを……」


「見えるんですよ。信用していただけましたか? それとも他に何か言い当てましょうか?」


 弓削はそう言って、あまり人には見せない少々意地の悪そうな笑みを浮かべた。その態度に長瀬は不満を感じたようだが、信用はする気になったらしい。 


「いや結構。……最近の辻斬りのことは知っているかね?」


 説明の最初はこうだった。軍人らしく、淡々とした文語調だった。


「新聞に載っている程度でしたら、一応は」


 弓削はさらりと答えながらこちらに目配せしてきた。恐らくこいつは新聞に載っている程度のことも知らないのだろう。新聞を買う金なんかないのだろうから。


「その事件が始まった頃から、うちで奇妙なことが起きている。蒐集している日本刀を置いてある部屋に、床に血のような赤いシミができる。しかも決まって、辻斬りのあった翌日にだ。悪戯かとも思い使用人を全部入れ替えてみたが、おさまる気配がない。そもそもその部屋には厳重に鍵をかけているから、人が入れるはずがないのだ。大半の日本刀はここで買っているし、怪奇現象について詳しい者がいると聞いていたので、ここに来た」


 つまり密室での犯行。部屋が汚れるだけの何の害もないような話だが、確かに辻斬りと奇妙な符号ができているのでは気味が悪かろう。


 しかし、長瀬の蒐集している刀が辻斬りに関係あるということは、あの辻斬りは夜中に刀だけが浮いて、人を斬りまくっているのだろうか? ……こえー。


「これは怪奇現象だろうか?」


 そう尋ねられて、弓削は難しい表情をして目を閉じ、指を折った。


「恐らくそうでしょう。少々奇妙な卦が出ています」


 何の気負いもなさそうに、自然に断言した。八卦……というより占いは得意だったはずだから本当だろう。


「解決できるかどうかは流石に部屋を見てみないと分かりません。私一人じゃ無理なようでしたら、同業者を紹介します。とりあえず下見の出張費で」


 弓削は俺からそろばんをひったくって、素早くはじく。


「こんなところでどうでしょう? 成功報酬は先に相談しておきたいのですが、どれぐらい出す気がありますか?」


 声色だけは柔らかいが、ぐいぐいと報酬の契約を始める。下見の出張費とかもっともらしいことを言って、前金を取るのに成功した。弓削……お前商人になったほうがいいと思うぞ。多分向いてる。



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