第四章 彼岸花の海で(三)
「……おい! いい加減起きろ」
「痛っ!」
唐突に脇腹につま先がめり込み、俺は悲鳴を上げた。目を開ければ上のほうから俺を見下ろしている弓削の顔があった。どうやら今日二回目の蹴りを入れられた様子。
地面は畳、上は板張りの天井、横は障子。行燈には灯がついている。手元には蓋の開いている小物入れ。
「戻ってきた……?」
呆然と呟くと、寝転んでいる俺の横に弓削が座った。
「まったく……こんな簡単な事態をどうやったらこんなにややこしくできるんだ?」
「いや、全然簡単じゃねーし」
とりあえずそう返しながら身を起こす。あー……頭痛ぇ。腹も痛ぇ。
「えーっと……」
色々聞きたいことはあるけど、まず最初は……。
「何であんな無理矢理祓ったんだ? 何か……かわいそうじゃないか」
あんまりにもいつもの様子と違ったから、そう尋ねた。しかし弓削は何のことを言われたか分からないようにきょとんとしている。そうしてしばらく考えていたが、唐突に呆れたような顔をした。
「神崎って……甘いよね」
「は?」
説明一切なしの罵倒に俺は思わず目を剥いた。確かに夜中にこんなところまで来てもらったのには感謝してるし反省もしてるが……何故ここまで言われるんだ?
「殺されかけたのに」
「いつ?!」
そんな覚えはない。
「何か食べさせられそうになってただろ? あれ。聞いたことないかな? 彼岸花の別名」
「曼珠沙華?」
「他にもあるだろ?」
「死人花?」
「知ってんじゃん。死人花って呼ばれるのにはちょっとした由来がある。墓の周りに咲くことが多いって言うのもその一つだけど、他に毒があるからっていう理由もある。聞いたことない?」
俺はブンブンと勢いよく首を振った。そんなことはついぞ知らなかった。ただただ綺麗な花だと思っていた。
「毒があるから子供たちが近づかないようにって不気味な名前をつけたんだよ。っていってもそんなにたいした毒じゃなくて、含まれるのはアルカロイド……だったかな? 症状は中枢神経の麻痺と、血圧や血糖値の低下、嘔吐ってとこ。うん、やっぱり多少じゃ死なないから殺されかけたことにはならないか。そんな感じしただろ? こうぼーっとして、ふわふわーってして。小物入れに描いてあった彼岸花の暗示だね」
……食べなくてよかった。っていうか、何でこいつこんなことまで知ってんだよ。変な事に詳しい奴だとは思ってたけどここまでだとは……。
が、しかし、やはり無理矢理祓ってしまったのには気が引けた。それが分かったのか弓削は別の方向性で説明を再開する。
「とは言ってもね、あの人はまだ生きてるんだよ」
「……生霊?」
「いや違うって。あれは多分幸子さんの想像の産物。もしかしたら恨んでるんじゃないだろうか? 今でも諦めてないんじゃないだろうか? っていう不安や心配があの世界を作ってしまった」
「はー……」
「あの女の人は本物の明子さんじゃなくて、幸子さんが悪い方に想像していた姿。彼岸花は小物入れの模様とあと少し不気味な雰囲気。あと花言葉の『悲しい思い出』……明子さんにとったら紛れもなく悲しい思い出のはずだからね。葬列は……きっと幸子さん本人の葬列だね。死ぬ時までその事が心配だったって言う象徴。音のない世界っていうのはそれだけ不安が深かったってところかな?」
立て板に水な説明に思わず感心してしまう。まるで講義でも受けているような気分だ。思わず
「はーん。お前心理学やったら?」
などと冗談を言ったら、あっさりと頷かれてしまった。
「それもいいかもね」
「ところで……本当の明子さんは?」
「結局は破談になった二年後に別の人と結婚したらしい。男女一人ずつ子供にも恵まれて、そこそこ幸せみたいだよ」
「そりゃ良かった」
安心して返事をしてから、はたとおかしなことに気付いた。
「……なんでお前、そんな貴族の家の事情まで知ってるんだよ」
「調べたから」
あっさりと答えてくれるが、何で調べたんだ? 俺は今回こいつには……結局世話になったものの、依頼はしていない。当然調べてなんかないはずだ。それを考えるとこんな都合よく、しかも真夜中に俺の家に来るってのもおかしい。
「実はさー」
弓削が、何か悪戯でもする時のようなにやにや笑いを浮かべた。すごく……すっごく嫌な予感がする。
「あの相談、最初に史香ちゃんから受けたの僕なんだよね」
うぅ……聞かなきゃよかった。確かに史香さんからの認識なんて、俺の方が遥かに低いのは分かっているけど、分かっているけれども、やっぱり古い道具関係だし、ちょっと思い出して欲しかったかな、なんて。っていうか、頼まれたとき、頼ってもらえたのが嬉しかったから、ちょっとがっかりというか。
「で、やっぱりそういうのは神崎の専門じゃないかなって言っといた。見たときから僕の分野だって分かってたけどさ。ま、どうせ神崎も開けれなくて煮詰まって僕のところに来るだろうからいっかなって。ね? 友達思いだろ?」
「そーだね。どーもありがとー」
俺は棒読みで返事をした。きっと弓削本人も俺からの礼を期待したがためではなく、俺をからかうためにしたことだろう。特に、必死の形相で駆け込んできて弓削に頼み込んでるところ。しかも、こいつ、人の足元見て値段をつりり上げてきたかもしれない。
「ところで、今回の代金なんだけどさ」
「………」
「わざわざ真夜中に駆けつけてあげたんだから、相応に高くしてくれるよね?」
予想に違わずつり上げてきやがった。この、鬼!
* * * *
「わー……直ったんですか? 本当にありがとうございます」
史香さんは愛おしそうに蓋を撫でる。
「昔偉い職人さんに頼んでも直らなかったのに………本当に直せるなんて、神崎さん、すごいんですね」
邪気のない笑顔でそう微笑まれると非情に心苦しい。弓削には『今回はかなりふんだくったから、君が直したことにしといてもいいよ』と、言われていたが、こんなに感心されて黙っているのは気が引けた。
「実は……それ、俺が直したんじゃないんです」
俺が躊躇って小声で言うと、史香さんは何のことか分からないとでも言うように首を傾げた。
「結局、俺は何にもできなくって、実際直したのは弓削なんです」
言ってから、やっぱり言わなきゃ良かったと思った。別に黙っててもバレることでもないのに、と。
「でも、弓削さんは手伝っただけなんでしょう?」
「え?」
予想外の返答に、俺は頭の中が真っ白になった。そんな俺をお構いなしに史香さんは言葉を続ける。
「弓削さん、言ってらっしゃいましたよ? 『僕もちょーっとだけ手伝ったけど、主に直したのは神崎で、実際開けるきっかけを作ったのも神崎だよ』って………そうなんでしょ?」
…………………あの野郎ー。
何が『君が直しといたことにしといてもいい』だ。きっちし(多少俺へのフォローが入ってるものの)言ってんじゃねーか。あいつのことだから文句を言ったら、からからと笑いながら『だって神崎嘘つけないって分かってたもん』とか言い出しそうだが、実際嘘ついてたらどうするつもりだったんだ? 俺、嘘つきだと思われるじゃねーか。
「夜なべまでしてくれたって言ってましたよ。私のために無理をさせてすみませんでした。それから……ありがとうございます」
史香さんは鮮やかに微笑んだ。本当に嬉しそうで。
何かもう弓削なんかどうでもいいかと思った。
「どうぞ開けてみてください」
そっと、蓋を開ける。とたんに中から音が零れ落ちた。澄んだ音色が連なって、聴いたことのない異国の曲を紡ぎだす。聞いたことがないのにどこか懐かしいような旋律。澄んでいるのにどこかつたない音色。
驚いている史香さんに多少の説明を付け足す。
「俺も最初に聞いた時には驚きました。小物入れだとばっかり思ってたから。オルゴール、っていうんだそうです」
昨日弓削が帰ってから仮眠を取って、朝に気付いたのだ。やけに底が浅いことと、底についている穴に。じいさんは首を捻っていたが、俺は以前見た資料を思い出した。曰く、オルゴールという自動楽器のことを。それで穴に無理矢理棒を突っ込み螺子を回したら、予想通り曲が流れ出したのだ。
「これ、螺旋回しです。無くなってるかなと思って作って来ました」
「……不思議ですね。初めて聞く曲なのに何だか懐かしい」
「あ、俺も思いました」
そして、純和風意匠の小箱から響く異国の曲の違和感のなさも、不思議だった。
彼岸が過ぎ、ようやく涼しくなろうとしている秋の空に、異国の不思議と懐かしい曲が響いていた。
「第四章 彼岸花の海で」了
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