第四章 彼岸花の海で(一)

 暑さ寒さも彼岸まで。


 そんなことわざがある。が。


「あづい……」


 思わず濁点がついてしまうほど暑いお彼岸の前日、俺――神崎直人は全くそのことわざを信じてはいなかった。だって、暑いのだ。九月に入っても殺人的な日差しは一向に緩まず、ますます酷くなってるんじゃあないかと……は流石に思わないが、とりあえず全く涼しくならない。九月も既に下旬になっているのに。


「暑い……」


 ここまで暑いと、一日で一番暑くなる時間を指定してきた客を恨みたくもなる。


 現在は品物の配達の帰りなのだ。正しくただの雑用。しかし、それは依然未熟な俺の重要な仕事であり、重要な給料の元である。


 ……早く目利きができるようになろう。


 行きは重かった手が、帰りは風呂敷一枚だけ。なんとなく手持ち無沙汰。かといって懐に突っ込むとゴワゴワしてて暑い。


 道の脇、田んぼの近くに彼岸花が咲いていた。毎年毎年暑かろうが涼しかろうが律儀にお彼岸の時期に咲く花。別名を曼珠沙華、天蓋花、そして……死人花。そんな名前を聞いていると鮮やかな赤い色が血の色のようにも見えてくる。


 しかし何故、死人花なんていう気味の悪い名前がついたのだろう? 確かにあの赤は言われてみれば血の色を連想しないわけでもない。が、それにしたってあんまりな名前だろう。そう考えるとどんどん気になってきた。誰かに聞いてみようか。弓削とか……あいつ変なことに詳しいし……。


「ん?」


 しかしそんな考えは次の瞬間には吹き飛んだ。何故って……


「あれ? 古道具屋さんの……神崎さんですか?」


 ばったりと更級史香さんに出会ってしまったから。そうか。そういえば桜塚女学院ってこっち方向だったっけ? やけに冷静に分析する一方、俺はかなり焦っていた。だってこんなこと予想もしてなかったし。


「え? あ、はい。お久しぶりです」


 思わず、焦って早口で答えてしまう。あんまりにも素っ気無い返事だったので必死で付け足す言葉を考えた。うー、顔が熱い。きっと赤くなってる。


「……学校の帰りですか?」


 見れば分かるだろう質問だが、まともに頭の働いていない俺としては上出来だ。


「ええ。今日は昼までだったんで。そちらは?」


「俺は配達の帰りです」


「こんなに暑いのに大変ですね。今さっきまで一緒にいた友達と『暑さ寒さも彼岸まで』なんて絶対嘘だよって言ってたとこなんです」


「あ、俺もそう思ってました」


 渡りに船と、思わず心持ち大声で答えてしまった。史香さんはくすくすと面白そうに笑う。左の頬にだけ、えくぼがある。えくぼがあるのって子供だけじゃあないんだなと、妙なことに感心しつつかわいらしい笑顔に見惚れていると、史香さんは笑うのをやめて道の脇に咲く彼岸花を見つめた。


「あの……」


「なんですか?」


 彼女は言うのを躊躇うように目を泳がせた。ちょっと目線を下げてそうする姿でさえかわいいと思ってしまった俺は馬鹿ですか? 少なくとも弓削にバレたら馬鹿にされるな。


「相談したいことがあるんです」


 彼女は思いつめた…というよりは、困惑したような顔でそう言った。



    * * * *



「あんみつ二つお願いします」


 立ち話ができるような気温ではなかったから、という建前でものすんごくどきどきしながら甘味屋に誘ったら、存外あっさりと了承された。誘うまでは動悸がして死ぬかもとか『たらしの神様の弓削、俺に勇気をください、ってかよこせ』とか思ったけど、誘ってよかった……ちょっと、いやかなり幸せ。情報をありがとう弓削。でも俺甘い物あんまり好きじゃないんだよね。


「それで相談って……?」


 威張れることじゃあないが、俺は相談されるような柄じゃない。客観的に物事を見れるわけでもないし、特技もない。だからきっと仕事関係の相談だろう。○○を探したい。とかそんな相談。


「うちにある、小物入れ……についてなんですが……」


「どんな物ですか?」


 この言葉は今までと違ってするりと口に出た。自分で分析するのもあれだが、どうやら仕事関係のことなら楽に話せるらしい。……仕事関係でもすらすら喋れるってすばらしい。


「これ位の……」


 と、史香さんは手で大きさを示す。確かに小物入れにしか使えないような大きさで、ざっと見て……何の情緒もない表現だが、小振りのみかんが二つ入るぐらいか。


「蓋の掛け金を外せば、こう奥に向かって開くような形をしています。特に細工があるというわけではないんですが、漆塗りで蓋には彼岸花が描いてあります」


「中は?」


「それが……」


 俺が追加質問すると、彼女は困ったように言葉を濁した。


「相談……というのがそのことなんです」


 「どのことだ?」などと回答を急かすことはしなかった。未だ躊躇っているような彼女に任せる。……弓削の場合だったら間違いなく言葉を濁すときは俺をからかう時なので、容赦なく急かしていたのだが、今は違う。本当に言うかどうか迷っている。


「蓋が……開かないんです」


 その言葉を聞いて、まずは『壊れているのだろうか』という予想が出てきた。しかし話を聞いた限りでは掛け金と蝶番を用いた簡単な蓋だ。壊れてるならすぐ分かるし、修理に出せばあっという間に直ってくるはずだ。


「壊れてる……ってわけじゃないんですよね?」


「はい。それは母が若い時分に修理やさんに持って行ったそうですから」


 その次に浮かんだ予想が『元々開かないような仕掛けになっているのでは』という予想だった。元々小物入れの形をした置物でしかなかったということだ。


「それが開いているのを見たことはあるんですか?」


「私はないんですが、祖母の時は普通に使えていたそうです」


 と、いうことは開かない仕掛けというわけではなさそうだ。


「じゃあ……」


 …………なんも思いつかん。


 自分の頭の回転の鈍さを心底憎みつつも、必死で知識を漁る。じいさんにそんなことは聞いたことがなかっただろうか……?


 そうして俺が貧弱な頭で必死で考えていると、店員さんがあんみつを持ってやって来た。もっともそれに俺自身は気付かず、


「あんみつ……来ましたよ?」


 と、史香さんに言われて初めて気付いたような体たらくなのだが。


「やっぱり……無理ですよね」


 史香さんは匙を片手にあんみつを一口食べた後、そう溜息を漏らした。


「祖母と祖父の思い出の品だったらしいんです。うちの父と母もだったんですけど身分違いの恋ってやつだったらしいんです。なんでも祖父は幼い頃から親が決めた婚約者がいたんだそうですけど、祖母を見初めて親と相手の方に談判をしてようやく結婚したとか。その結婚相手が決まったときに最初に渡したのが、その小物入れだったらしいんです」


 まるで活動写真か小説のような話だ。どうやら更級家はそういう作り話めいた恋が好きらしい。嬉しい限りだ。


「だから……私も開いてみたくて、中を見てみたくて、使ってみたくて」


 目を伏せて、本当に残念そうにそう言う。長い睫毛が白い頬に影を落とす。その姿が儚げで、


「でも、仕方ないですよね。昔、母も腕のいい修理やさんに頼んでも原因が分からなかったんですから。どうも忙しいのにご迷惑おかけました。すみません」


 そう、落胆を隠して明るく振舞う姿が痛々しくて、


「大丈夫です」


 俺は全っ然大丈夫でもないのに言い切っていた。これ以上彼女を悲しませはしない。きっと直して、ちゃんと開けられる様にして、使えるようにして、渡してみせる。彼女の願いを叶えてみせる。


「きっと開くようにしてお返しします。だからとりあえず一週間でいいんでその小物入れを預けてください」


 突然俺が勢いよく言い出したんで驚いたのだろう。ただでさえ大きな目がさらに見開かれている。


「絶対直してきますから」


 絶対なんて思ってもいないのに言ってしまった。


「それじゃあ……」


 俺の変に必死な様子に呆れたのだろうか、史香さんの目元が和んだ。


「よろしくお願いします」


 深々と礼をしたのと共に、さらさらとした長い髪が肩口からこぼれ落ちた。



    * * * *

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