第三章 懐旧(三)
深夜の二時。半ば疑いつつ正門に行くと弓削はもう来ていた。この暑い盛りだというのに片手にマントを持って。
「遅い」
開口一番にそう言われるが、まだ約束の五分前である。そう抗議したが弓削は聞きもせず、音もなく校門を乗り越えて中に入っていった。俺もそれに続く。弓削とどう登り方が違うのかやたらとガシャンガシャンと音を立ててくれた。
「煩い」
「分かってるよ」
口の中で毒づきながら門の上から飛び降りた。
そのときは既に弓削は先に立って歩き出している。校庭を横切りまっすぐ旧校舎のほうへ。俺はそれに黙ってついていく。
旧校舎の廊下の窓の一つを弓削が開けようとする。鍵は開いているのだが、立て付けが悪いのか何度も乱暴に叩く。見かねて後ろから手伝った。
「何でここ開いてんの?」
「帰りに開けて帰ったから」
抜け目のない奴だ。犯罪とかしても計画をきっちり立てるから捕まらないタイプ。
「これ持っといて」
門の時と同じようなやり取りをしながら旧校舎に忍び込むと、弓削は俺に季節はずれのマントを押し付け、自分はその辺に落ちていた白墨をを拾って床に円を書いた。
「あー、そんなん残しといたら怒られるぞ」
「バレなきゃいいんだよ。変な所で小心者なんだから。早く帰りたいからここ入って」
円の中に手招きされておとなしく中に入る。
「何これ? ってか、何踊ってんの?」
円の外で弓削が珍妙な歩き方をしていた。俺の言葉に対して弓削は怒って答える。
「馬鹿。踊ってない。
「へぇー」
感嘆の声は上げてみるが、『うほ』って何? やっぱり踊ってるようにしか見えないんだけど。
弓削は一周すると俺と同じように中に入る。そこで大きく息を吸い込んで吐き出す。深呼吸を二、三回繰り返して、ようやく喋った。
「清信。いるんだろ? 出て来い」
「いねぇっつーの」
俺は思わず弓削の後頭部をはたいた。深夜の二時に弓削と物好きな俺と用務員のおっちゃん以外誰がわざわざ学校に来るというのだ。大体何でこの期に及んでボケをかます。
が
「あ、やっぱりバレてたんだ」
真後ろから声がした。
「ん? 逆だった。やっぱり結界通すと感覚が鈍るなぁ」
などと弓削は全く呑気なことをいっているが、俺はそれどころじゃなかった。何でこんなとこに清信がいるんだよ。
「いつから気付いてたんだ?」
「最初に会ったときから」
「おー、すごいねぇ。バレたの初めてだ」
清信はいつも通りおちゃらけた調子で喋っている。
「ちょっと、どういうことだよ?」
俺は弓削の背中をつついて説明を求めるが、面倒くさそうに一瞥されただけ。清信はそれを見て呆れている。
「まさか、全然説明なしで連れて来たのかよ?」
「うん。だって僕説明したくなかったし。自分で責任とって言いなよ」
「えー………えっとー。今回の一連の事件の犯人で、現在学生のフリして幽霊やってる清信樹です。…………こんなとこでいい?」
やっぱりいつも通り限りなく軽い調子で言う。手を上げて、軽薄な笑みを浮かべて。
「嘘……」
思わず呆然として呻いた。まさかそんな……。今まで教室で机を並べ、一緒に馬鹿やってた相手が幽霊でしかも神隠しの犯人だなんて、信じられるわけがない。
「言っただろ。失うことになるって」
混乱してる俺に、無常に冷水を浴びせるような口調で弓削は言った。あぁ、だからこいつはこの件に関わるのを避けてたのか。いなくなった顔もよく知らない学校の連中よりも、こいつがいる事を望んだのか。俺は、馬鹿だ。『見える』という苦しみも葛藤も知らず、ただただ弓削をたきつけた。そのことがどれだけこいつを傷つけたのだろう。
「初めて会った時は何も悪さはしないで、ちょっと場を歪ませて学校に憑いてただけだから、放っとこうと思ったけど、やっぱり今回のは頂けないよ。ま、神崎が何も言い出さなかったらやっぱり放っといたかも知んないけど」
「そーだろうな。お前ってそういう奴だもん。人当たりはいいけど、結構周りどうでもいいっての?」
あははー、と軽く笑い『俺ってば目いいから気付いてたの』と付け足す。まるで神隠しなんてものはなかったがごとく。
「どうしてこんなことしたんだよ?」
もししなかったら、きっと俺は何も知らずに卒業までこいつと友達やってて、弓削は知りながらも何も言わずにやっぱり卒業までこいつと友達やってたんだろう。
「いやぁ、一年生にバレちゃってさ。だからちょこちょこーっと空間いじってそこに閉じ込めたんだけどさー、そしたら見事に怪談になって野次馬がゴソゴソと。そいつらも全部閉じ込めていったんだけどさ………うん、やっぱり限界だわ」
「限界………?」
「うん、いっぱい閉じ込めんのって結構体力使うんだわ。昔はさ、もっと生きたかったんだよね。もっと生きて学校通って色んなことしてさ、就職したり結婚したりしたかったんだけどさ。根性でこの世に残ったけど、いつまでも卒業できないんだ。学校にいる皆の記憶いじって、卒業までは漕ぎ付けんのに、気付いたらまだ学生やってんだ。同級生は卒業すんのに俺だけできないの」
学校通って、卒業して、色んなことがしたかった。
何故命を亡くしてしまったのかは分からないが、その気持ちはよく分かった。『色んなこと』という言葉は、俺達学生にとっては無限の可能性を意味するのだった。その可能性をある日唐突に奪われて、それでも諦めきれずに現世に残ったのに、いつまでもいつまでも学校に縛り付けられて、仲良くしてきた同級生達が自分のことを忘れて卒業していく姿を見送るだけ。
何て……。
悲しいことなんだろう。
切ないことなんだろう。
虚しいことなんだろう。
「この前さー。ずっと年の離れた妹が結婚したって、風の便りに聞いて、そろそろ限界だなぁって思った」
自分のそんなやりきれない思いを、茶化して言う。茶化さないと言えないのかもしれない。
「だから今日お前らが来なくっても、誘拐した奴ら返して、いい加減成仏するつもりだったんだ」
「だったら来なかったらよかった」
弓削は即座にそんな身も蓋もないことを言う。しかし今ならそれが『そんなやりきれないことを聞くんだったら』という意味だと分かる。知るということが、全て幸せとは限らないことが。
「んなこと言うなって、友達甲斐のない奴だな。神崎もそう思うだろ?」
急に話を振られて驚いて、そのまま苦笑した。
「んーまぁ、こういう奴だし?」
最後まで続くおちゃらけた会話。清信にとっては一種の防衛手段だったのかもしれない。やりきれない状況で、ちゃんと顔を上げてる方法。
「墓………」
唐突に弓削がそう呟いた。
「墓?」
「墓の場所くらい教えとけよ。お盆の時に墓参りくらいしてやる」
照れたように、珍しくぶっきらぼうに弓削は言った。顔を覗き込むがすぐにそらされる。それを見て、俺と清信は顔を見合わせて苦笑した。
「坂の上には寺があるだろ? あそこ」
* * * *
『清信家』とだけ簡素に書かれた墓には、真新しい黄色の菊があった。それに弓削の持ってきた白い菊を足して、線香に火をつける。掃除は先にお参りに来た人――俺の勝手な想像だと、清信の年の離れた妹――がしてくれたので、省略。
「去年は来れなくてすみませんでした」
「清信のおかげで弓削の性格も大分丸くなりました」
墓前だというのにこのふざけた言葉。しかしまぁ清信だからいい気がする。それに……あの頃に比べれば、弓削の性格が丸くなったって言うのも事実だと思うし。何せあの頃には本当に世の中がどうでもいいような投げやりな態度だったし、今以上に酷薄だったように思える。
「神崎は相変わらずのお人よしで、面倒ばかり引きつけてます。どうにかしてください」
「別に引き付けてねぇし」
「今年何回怪奇現象に巻き込まれたと思ってるんだよ?」
「う」
線香の煙が蒼穹に立ち昇る。
あの夏は、俺が大切な友人を亡くし、弓削との腐れ縁が始まった夏だった。
「第三章 懐旧」 了
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