第三章 懐旧(一)
「暑い……」
容赦なく照り付けてくる真夏の日差しに、俺――神崎直人は思わず目を
俺は今縁側でなすびときゅうりにブスブスと棒を突き刺していた。こういう言い方をすると何の情緒もない破壊行為のようだが、一応お盆の用意である。ちゃんと仏壇も掃除して、あとは花を買いにいくだけだ。
「ごめんくださーい」
サクサクと野菜に棒を刺し終えて花を買いに行くかと立ち上がったとたん、表……つまり店の方から声が聞こえた。ちゃんと『盆休み』と、張り紙を貼っておいたはずなのだが……。とりあえず待たせちゃ悪いので廊下を走って店のほうに出る。
「やぁ」
「なんだ弓削か」
店の前で何故か白い菊の花束を手に立っていたのは、元同級生で未だに恐ろしい腐れ縁の続いている弓削司だった。
「何だってのはないんじゃない? ここ暑いからとりあえず中に入れて」
「はいはい」
身体を横にずらして、弓削が入れるように道を空けてやる。弓削は中に入ったとたん物珍しそうに陳列されている茶器など手に取った。頼むから、割らないでくれよ……。
「で、何しに来たんだよ、菊なんか持って。」
くれるんなら、すんごくありがたいな。ちょうど買いに行こうとしてきたところだし、この暑い中出かけずにすむ。
しかし俺がそう言うと、弓削は露骨に嫌そうな顔をする。
「男に花をやる趣味はない」
「……仏壇に供える花をくれと言ってるのに、何でそういうことになる?」
つまり、よく花をあげて女の子をひっかけてるわけですね。こいつは昔っからこういう奴だ。外面だけはやたらといいからもてるのだが、その実態はかなりかなり性格が悪い。
「神崎、今暇?」
「うん? 暇だけど何で?」
「墓参り行かない?」
墓参り。と聞いて最初に思いついたのは俺の親のことだった。両親は二人とも俺が小さい頃の死んでいる。買い出し途中の事故でらしい。その時の記憶も面影もほとんど残ってない。だから、墓参りと言われれば両親のことを真っ先に思い出す。墓参りをした時にしか会えない人として。
「清信のさ。去年はごたごたしててこっち来れなかったから」
「……あぁ」
俺は弓削の言葉から一拍置いて後、ようやく頷いた。
「……まさか忘れてたの?」
弓削のじとっとした視線がかなり痛い。
「いや、決して忘れてたわけじゃないんだけどね……去年はお彼岸の時に行ったんだ。お盆はその……えーっと……」
散々誤魔化そうと悩んだ末、結局上手い嘘が思いつかなくって正直に述べることにした。
「お盆って……言われたら、父さんと母さんのことしか思い出さなくって……正直忘れてた。ごめん」
「あぁ、そういうこと。じゃあ仕方ないね。俺も行けなかったし。一緒に謝りに行こっか」
「そうだな。鍵取ってくるからちょっと待ってて」
俺はそう言い置いて家の方に鍵を取りにいこうとし、ふと踵を返して弓削に念を押した。
「……手に取るまではともかく、割るなよ」
「努力はするから、僕が割る前に帰ってきてね」
口調は可愛らしいが中身が恐ろしい。しかもなんだかやりかねない響きを持っていた。俺は早足で鍵を取りに行く。
帰ってきた時まだ茶器が無事だったのに安堵の溜息を漏らしつつ、弓削に外に出るように促した。
「場所覚えてる?」
「ああ。近くの坂の上の寺だろ?」
刺すようにきつい日差しを防ぐため、手をかざしつつ空を見た。そうしてその頃のことを思い出す。弓削が転校して来たばかりで、まだ弓削との腐れ縁なんて想像もしていなかった日々。俺の友人を一人失った頃のことを。
* * * *
俺の弓削の第一印象は最悪だった。
弓削が転校してきたのは、中学二年生の五月のこと。綺麗な五月晴れの日だった。変な時期の転校生だったので来る前から大分噂になっていた。もっともそれは、『転校生は深窓の令嬢だ』などというとんでもないガセも混じっていたが。
弓削が黒板の前で自己紹介をしている間、俺は大して興味がなかったので隣の席の
「教科書、先生が用意してくるの忘れたらしいから今日だけ見せてくれない?」
にこりと人のいい笑みを浮かべてそう言ってきた。
「ああ、いいよ。……落書きは気にしないでくれ」
「どうもありがとう。……えーっと」
「俺、神崎直人っつーの」
「神崎君か。どうぞよろしく」
まぁ、この辺りまではごくごく普通だ。むしろ弓削の得意技である人のいい笑みの効果で、『ま、基本的に気持ちのいい奴っぽいな』という印象すらあった。今思うと鳥肌物である。だが、正体の一端は次の瞬間には現されることになる。
「……何かいっぱい憑けてるねぇ。しんどくない?」
唐突に弓削は俺の斜め上、肩の上や顔の横などを見て呟いた。当時そういうことに全く免疫のなかった俺は一瞬意味が分からず、
「ついてるって、ほこりか?」
授業の始まる前に清信などと共に教室で少々(注:かなり謙遜した表現)暴れたため、教師に怒られたことを思い出して聞き返した。
「違うよ。幽霊とか」
その言葉に俺はものの見事に絶句した。冗談だと笑い飛ばすには時を逸してしまい、それが故に弓削の何もないところを見ているにもかかわらず焦点のあった目を見てしまったので、更に絶句した。一応弓削の名誉のため言っておくと、俺には本当に幽霊が憑きやすいらしく、またそういう人には霊感のある人が多いので同類だと勘違いしたらしい。
だが、ごくごく一般人の俺は、思い込んでいるだけなのか、それとも本当に見えているのかは定かではないが、こいつとはなるべく関わらないでおきたいと思ったのであった。
が、他の連中にはそんな変人だってことはおくびにも出さず、しっかりとクラスに溶け込んでいっていた。
「なー神崎」
「なんだよ清信」
例にならって授業中。体育以外はこう、なんていうか適当に流していた俺達は教師の目を盗んでこそこそと喋っていた。
「何でお前弓削のこと避けてんの?」
そう訊かれた時俺はよっぽど嫌な顔をしたのだろう。清信は更に言い募ってきた。
「別に嫌な奴じゃないだろ? しかも誰とでも……っつっても坂田以外だけど、そこそこ仲良くやってるお前にしては珍しいよな。な、何かあったのか?」
そう、思い返せば当事は恐ろしいことに坂田とも同級生だったのだ。今思い出してもムカムカする。きっと相手もそうだろう。もしくは記憶から抹殺しているか。あいつは今上の学校に通っているのだが、その事について俺にわざわざ教えてくれた時も限りなく嫌味だった。卒業式に日に俺にその事を告げた後、こう付け足したのだ。『やっぱり今時、骨董店でも教養は必要だからね。あ、でも、君の場合は勉強しても仕方がないから、おじいさんの判断は正しかったと思うよ。もっとも、ただ単にお金がなかっただけかもしれないけど』と。死ね。心置きなく死ね。
話がずれた。
「んー…………まぁ色々とな」
説明するのの面倒くささからと、説明してもいまいち信じてもらえないよう気がするからと半々で、俺は返事を誤魔化した。今考えるとそれが悪かったのかもしれない。一ヶ月も経つ頃には、何故か何だかんだと清信と俺、それから弓削がつるむようになってしまっていた。
確かに、清信を含めて三人でいるときはいい奴だ。軽い悪戯をして一緒に怒られたり、軽口を叩きあったり、それでも決して嫌味でなく、むしろ気安さがあった。しかし、清信がいなくて俺と二人になったとたん、とたんに奴は嫌味になり、無愛想になる。まったく、何だかなぁ、俺悪いことしてないのに……とか、思ってた。
「旧校舎にさ、幽霊が出るんだって」
俺が同級生からそんな話を聞いたのは、七月に入るか入らないかの頃。梅雨が明けるか、まだかという頃。夏休みが始まるまで、一ヶ月をきった頃。もともと怪談の類は嫌いではなかったのだが、春に弓削に言われたことが蘇ってきて、あまり聞きたくなかったので、
「ふぅん………それより、俺宿題忘れてきちゃったんだけど、写させてくれ」
と、詳しい話を聞く前に流れてしまった。
だが、その二、三日後のことである。
旧校舎で、神隠しが起きた。
* * * *
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