第二章 懐中時計に刻まれていたのは(一)
桜の季節は終わり、まだ梅雨に入っていない現在。外では木々が青々とした葉をつけ、暑くも寒くもない爽やかな風が時折吹いている。青い空はどこまでも続いているかのように雲ひとつない。とてもすごしやすいし、一年で太陽の光が一番明るく見える季節なので(夏の光は明るいことは明るいが残酷なまでの暑さの方が印象的だ)俺はすごく好きな季節である。
そんな春と夏の狭間の季節の昼下がり。俺――神崎古道具店の跡継ぎである神埼直人は、店と家の間の廊下でかかってきた電話の相手をしていた。相手は別の骨董屋の丁稚である与吉だ。
「じゃあ、明日それを売りに行きゃあいいんだな?」
『そうそう。頼むよ』
「おう、任せろ」
ある有名な陶芸家の壺が手に入ったのだが、与吉が働いている店の顧客にその陶芸家の収集家がいたので、転売しようと言う相談だった。
『ところで、幽霊憑きの懐中時計の話聞いたか?』
仕事の話が一段落したとたん、いつも通り噂話に話が流れた。与吉はやけにそういう話に詳しい。しかしこの手の話は俺にとって、実のところ鬼門なのだ。関わるとろくなことにならない。が、だからと言って『こんな話がある』なんて中途半端に聞いてしまって我慢ができるわけもなく。
「……いや、聞いてない。どんな話だ?」
結局は自分から話を促していた。
『へぇ、まだ知らなかったんだ。古道具屋や骨董店では有名な話だぞ』
「どうせ俺は情報に疎いよ。ほっとけ」
『そう拗ねるなって。教えてやるから。実はな、古道具屋や骨董点を転々としてる懐中時計があるらしい』
「客の手には渡らずに?」
『うん。しかも何度も転売されているらしい』
おかしな話だ。
普通、店同士で商品を売るのは今回の与吉との電話の用件であったように『顧客の関係』である場合と、四月にあった雛人形のいざこざの時のように『なんとしてでもその商品を手に入れたい』場合だ。だが、その場合だと転売は一回きり。店を点々とすることはない。他の理由として考えられる、『商品に欠点がある場合』なら、それを理由にまず店同士だと売買される機会も少ない。
『それが〝物〟だけ見ればこの上ない出来なんだよ。時計の狂いは少ないし、蓋も外蓋だけでなく内蓋にも緻密な細工が施され、文字盤には上品且つさりげなく宝石が埋め込まれ、鎖紐のデザインのセンスも抜群』
「なんか見てきたような解説だな」
流れるような早口の解説に半ば気圧されながら口を挟む。そうしないといつまででも時計の解説が続きそうだったから……。
『まぁな。うちの店にも来たから。それより聞いてくれよー。いや本当のとこすごい出来だったなぁ。俺が今まで見てきた中でダントツで一番。あー。もしも俺に金があったら絶対に買ってたし。それでさ……』
「もしもーし。回想の美しい世界に浸るのは電話を切ってからにしてくれ。それでどうしてそんないい出来の物を客に売らねぇんだよ。客に売ったほうが値段交渉も甘いし儲けられるだろ?」
俺は壁をコツコツと指先で叩きながら、まだまだ銀時計について語り続けそうな与吉に呼びかける。よく考えたらこの電話はこっちからかけたものだった。つまり、与吉がどんだけ喋ろうとも電話代を持つのはこちらである。早々に重要な点だけ聞き出して電話を切りたい。
『……言っただろ。幽霊だ』
与吉は演説が打ち切られたためいささか不満そうに言うが、こっちはそんなこと聞いてはいなかった。何のことはない。与吉は最初から答えを言っていたわけだ。
出来がいい時計 → 思わず高値でも買っちゃう → でも幽霊が憑いてること発覚 → 手元に置いておきたくない → でも店の評判が悪くなっちゃ困るので客には売れない → 仕方ないから業界人にいい点だけ主張して高値で買わせる → 最初に戻る。……ってとこだろう。
『その時計を持っている店主の枕元に、夜な夜な丑三つ時になると女の人が立っているらしい。その人は酷く顔色が悪く、首には紐で首を絞めたような痣がある。そしてこう言うんだそうだ』
そこで雰囲気を出すために与吉は言葉を切った。その静寂のせいで家の中の音も外の音もよく聞こえるようになる。外で喋っている人の声、遊んでいる子供の声、そばにある掛け時計の秒針の音、風が窓を揺らす音。そして何より問題なのは……
「直人ー。今帰ったぞー。……おや、おらんのか。直人ー、店番サボるなと言ったじゃろ」
じいさんが帰ってきた!
『「私の時計、返してもらえませ……』
「悪ぃ。じいさんが帰ってきたから切る」
話は最後まで聞きたかったが、電話で無駄話をしていたのがバレるとまた酷く怒られるので、慌てて電話を切る。そして、床に置いていたバケツを引っつかむ。
「あ、おかえり」
さも今気が付いたとばかりに俺はじいさんに声をかける。ちょっと白々しすぎたかなぁと焦り、ついつい余計なことまで言ってしまう。じいさんの視線がバケツに注がれているのを見て、ついつい口を滑らせてしまった。
「なんか帳簿台の下が汚れててさ、暇だし掃除しよっかな……と、思って……」
後半歯切れが悪くなったのは余計なことだと気がついたためだ。こういうことは聞かれてから言わないと、嘘をついているとバレてしまうのに。
「それは気がつかなかったな……。だが、店をあまり空けんでくれよ」
あご鬚を撫でながら、さも気にしていないかのような返事に俺はバレなかったとほっとする。が。
「そうそう、それと」
部屋に出かけていた際の荷物を置きに行こうとしていたじいさんが振り向き、まるで好々爺のような穏やかな笑みを浮かべてきた。
「あんまり無駄な電話はするでないぞ。心苦しくもお前から電話代を取らなければならなくなるでな」
……思い切りバレていた。しかも全然心苦しそうじゃないし。
電話が高級品でしかも電話代も高く、仕事以外じゃ使える物じゃないとは分かっているが。分かっているけど。そこまで厳しくしなくたっていいじゃないか……なんて言える訳もなく。
「すんません、すんません!」
ただひたすら謝った。いまいち店の役に立っていないが故の薄給に、電話料金まで引かれたら、生きていけない。……と、いうのは冗談でも、遊ぶ金がなくなるのは確かだ。
とりあえずじいさんが家の方に消えるまで謝った後、帳簿台の下が汚れていたのは事実なので拭いていると、店に出るための格好に着替えたじいさんが出てきた。
「で、今日なんかいい物買えた?」
じいさんが買い出しに行った時恒例の質問をすると、機嫌よく返してきた。よっぽどいい物があったらしい。
「懐中時計だ。いやあ、業物だったぞ。儂が今まで見た中でもダントツじゃな」
その、どこかで聞いたような答えに俺は軽く眩暈を覚えた。
* * * *
ボーン……ボーン……。
店のほうにある柱時計が時を告げる音に、俺は目を覚ました。いつもはこんな時間に目を覚ますことなんかないのに……。と、ぼんやりとした頭で不思議に思い、頭を動かそうとした。
(あれ?)
首が動かない。寝違えたかとも思ったのだが、出したはずの間抜けな声が聞こえてこないことがその考えを裏切っていた。
「私の時計、返してもらえませんか……?」
今にも掠れて聞こえなくなってしまいそうな、か細い声が聞こえてきた。その声と共に俺の視界に女の人の顔が入ってくる。与吉の言っていた通り顔色は真っ青で今にも倒れてしまいそうで、首には縄の痕がある。
うわーっ、マジで出やがった。こんなことならじいさんに叱られてもいいから与吉に最後まで話を聞いとけばよかったし。っつーか俺は確かに跡継ぎ予定だけど、店主じゃないし。この時計買ってきたわけでもないし。なんでじいさんのところに出ねぇんだよ!
「返してください、返してくださいよぉ……。大切な物なんです。私、あれがないと……」
俺が何も言わないのを見てか(っつーか、言えないんだけど)ついには泣き出してしまった。感情が表に出てきた分、変に現実味が出て怖さは半減したが、人の枕元で泣かれても俺にはどうしようもない。と、いうか、幽霊が出てきてこれだけ冷静に分析してる俺って人間としてどうなの? とか、思ってしまったり。冷静なのかそうでないのか、自分でも分からなくなってしまった。
「あれがないと……。どうして私から取るんですか。返してください」
雰囲気は二転して今度は泣きながら怒ったように、白い手をのばしてくる。
(ちょっと待った! 何する気ですか?! ぎゃー、やめてー)
言おうとしてるのだが言葉にならない。そうやって成す術もなく焦っている間に細い手は俺の首に絡みつき、その細い手のどこにそんな力があるのだと問いたくなるような、物凄い力で締め上げてきた。幽霊は実体がないと思っていたのに、本当に苦しい。視界が霞み、意識がぼやける。意識を失う前、彼女は何か言ったようだったが、既に聞こえてはいなかった。
* * * *
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