半分にしたクッキーの大きい方

にこみざぼん

あるいは、2つで1セットの大きい方


家族というものは不思議な関係だ。

同じ血が通っているというだけで、法的にも精神的にも特別な存在になる。


では姉妹はどうか。

世間一般では、『家族』の枠組みでしかない。しかし、私にとっては、より複雑で不思議な関係。

同じ血を分け、特別に意思が通う。

好みの音楽も料理も趣味も違う。見目だって全然違う。

それなのに、意思が通う。

一般では、どうもそうとは限らないらしいけど、私はそう信じたい。




「お姉ちゃん、お弁当できたよ」


「ありがと~、いっつも助かるよ~」


我が家はあまり裕福とは言えなかった。

シングルマザーの母は私達姉妹が幼い頃からお仕事で忙しく、家事は自然と私たちの仕事になった。

そして、お姉ちゃんは高校生になった今年からアルバイトを始めて、家計を支えるようになった。

自然と、家事のほとんどは私の仕事となった。でも、未だにお姉ちゃんは家事の半分を肩代わりしようとする。

これは私の仕事なのに。


なんて考えても仕方がない。

私は作ったお弁当を姉のカバンに入れる。

何百回と行った手慣れた行為。昨日も、今日も、そして明日も続けていく仕事。


「お姉ちゃん、そろそろいつもの電車の時間だよ」


高校が電車通学の姉は私よりも早く家を出る。

中学生の私はまだ時間があるので、洗い物をする時間があるため、もう少しだけ家事を済ませてから通学するのが日課だった。


「もうそんな時間?めんどくさいなぁ…」


お姉ちゃんはいつものんびり屋。

そんなところも私は好きだったりする。

急いで着替える姉に制服を持っていき、急かすように着替えさせた。


「よし、今日も完璧っ」


そう言うと姉はわざとらしく、くるっと一回転して私に微笑みかけた。


「そういえば、お母さんが冷蔵庫にどら焼き入れてくれてたんだ。食べちゃおうよ」


姉はそのまま冷蔵庫に走っていくと、どら焼きを持ってくる。

どうやらどら焼きは一つらしい、別に珍しいことでもない。

お姉ちゃんはそのままどら焼きを半分に割り、2つを見比べる。

そして大きい方を私に渡す。

当たり前のように。


「もう…お姉ちゃん歯磨きしたんでしょ」


もう、大きい方をどっちが食べるかで揉めるのは飽きた。

いつもお姉ちゃんは大きい方を渡してきた。

その度に譲り合いになったりもしたが、今では黙って受け取ることにしている。

お姉ちゃんは、優しすぎる。


「美味しいね、美咲」


「……うん」



『私はお姉ちゃんだからね』

聞きすぎた言葉は、姉が黙っていても聞こえるようだった。

優しくて、優しくて、優しい姉は私の憧れで、憧れでしかない。

私はそんなに優しくなれないから。


私の記憶の奥に、今よりも生活が厳しかったころ、たった一枚のクッキーも半分こしたのを思い出す。

その時も大きい方は私に譲ってくれたっけ。

憧れとか、記憶とか、慕う気持ちとか、色々な感情を今はどら焼きの甘さと一緒に飲み込むことにした。


黙ってどら焼きを咀嚼していると、お姉ちゃんは『そういえば』と切り出してきた。


「美咲はさ、将来の夢ってあるの?」


いやさ、進路相談とかで聞かれちゃってね。


ズキリ、と胸が少しだけ締め付けられる。

それは幼い頃に見た夢。

子供心に憧れた看護師という仕事。でも、私達にはお金がない。

憧れはしたけど、看護師のなり方がわかるくらいの年頃になった時にはもう、諦めることが正解だってわかってしまっていた。


「……うーん、今は思いつかないかなぁ」


憧れ。

いつかは手にしたいと思いながらも、叶わないもの。叶えることを内心で諦めているもの。

もし諦めていないのなら、それは憧れなんかじゃなくって『目標』や『目的』、あるいは『欲』と呼ぶはずだから。


私にとって看護師はあくまで憧れの対象であり、口に出すものでもない。

口に出してしまえば、きっとこの優しい姉は自分のことも蔑《ないがし》ろにして、私の夢を優先してしまうだろうから。


様々な理由を飲み込んで、私は結局話を逸らすことを選択した。



「お姉ちゃんは…どうなの?」


「んーとね…素敵なお嫁さんとか?」


語尾にはカッコワライでも付きそうな声音。

それでも私にとっては好ましくない音の羅列だった。


ああ、なるほど。

私は失いたくないのか。

このどうしようもなく優しい姉が、いとおしくて仕方がないのか。


別に今初めて自覚したことでもない。

前から姉のことは慕っていた。憧れていた。

でも、同性だから、家族だから、血がつながっているから。諦めていた。

これが恐らく世間一般で言うところの姉妹愛とは異なることも、なんとなく察していたから。

でも、いざ、『明確にお姉ちゃんが私から離れていく』というイメージを押し付けられると、胸が締め付けられる以上の苦しみがあった。


「…ははっ、のんびり屋でゆるふわすぎるお姉ちゃんを貰ってくれる人がいるならね」


「ちょっと!酷くない!?」


強がりも、なんだかダサかった。

でも、そんなもの、表には出せなくて。

私は、また、自分の気持ちと姉に嘘をついて学校へ送り出す。


「それじゃ、私は学校行ってくるから、美咲も遅れないようにねー」


「うん、行ってらっしゃい」



結局、その日は学校も、家事も全く手につかなかった。


食器を片付けていれば、2人分の食器が家からなくなってしまう恐怖を感じた。


学校に行けば、今同じように勉強をしているであろう姉に焦がれた。


お昼のお弁当を食べていれば、私が作った同じものを姉が食べているという事実を噛み締めた。


帰り道では、早く帰ってきてくれないかと願った。


生活のあらゆる部分に姉は居た。

居ないけれど、間違いなく私の中に存在した。


そして、私は姉がいなくなったら生きていけないことを悟った。




「ただいま~」


リビングで一人、仮眠をとっていた時に姉の声が耳に届いた。

なんだか、意識はすっきりした気がする。悩みも不安も消え去り、勇気が生まれた。

そして、私の中に、一つの『言い訳』が生まれた。


そうだ、私達は昔からいろんなものを半分こしてきた。

そんな私たちは、2人で1つ。


「おかえり、お姉ちゃん」


私から離れていかないでよ。

約束してよ。

今だけじゃなくって、明日も1年後も10年後も20年後も50年後も死ぬまで。

絶対に私から離れないって約束してよ。


口に出ていただろうか。でもどうでもいいか。


「み、美咲…?顔が怖くなってるよー…ほら、スマイルスマイル」


うん、わかってるよ、私の笑顔がかわいいって言ってくれるお姉ちゃんが好きだから。


「疲れてるところごめん、ちょっと大事な話があるから座って?」


ソファに誘導し、座らせる。

まだスペース自体はあるのにお姉ちゃんは私のすぐ隣、触れるほどの距離に座る。

お姉ちゃんはすぐにそうやって…


私は、そのまま憧れ『ていた』姉に覆いかぶさる。

優しいお姉ちゃんは私を、絶対に、拒絶しない。

自信があった。


たしかに私はまだ幼い、中学生でしかない。

でも、性だの愛だの、もう理解してしまっていた。

だから私は、そのまま姉の唇を貪った。

1分くらいそうしていただろうか。最初は弱々しく、遠慮がちに抵抗していたお姉ちゃんが私を受け入れた時、初めて私は上体を起こした。


普通なら、私を突き飛ばせばいいのに。

お姉ちゃんは、優しすぎる。


これは、憧れだけじゃ終わらせたくない。


「み、美咲…?」


「黙って」



いっつもお姉ちゃんは、私に『大きい方』をくれた。

2つに割ったクッキーの大きい方。

2人でお買い物に行った時の買い物袋の重たい方。

2人それぞれの自由な時間。

色んなものを分けては、私に大きい方をくれた


だから。


私とお姉ちゃんの姉妹は、2人で1つ。


だから。



『これ』も大きい方は私が欲しいよ。



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