こぼれ話 休日のベーグル

 星原音子の休日は、それなりだ。

 緩急をつけた休日を過ごすのは、星原の人生での信条のひとつだ。


 まれぼし菓子店は小さな店である。ただその仕事が楽かと言えば、決してそういうわけではない。

 接客はもちろん、店舗経営だって仕事のうちだし、店は不定休で休みはそれほど多くない。

 この業種にはありがちだけど、なかなか忙しい方だと思う。


 そして何より星原も人間なので、疲れがたまることだって当然ある。


 だから休日は、全力投球することもあればゆっくりと体を休めるのに集中することもある。

 そういうメリハリを大事にしているのだ。



 さて、そんな今日は――。

 全力投球の日だ。


「……よし、やってみるか」


 ひとりでそう気合いを入れた。

 ややゆとりある間取りの自室のキッチンに立って、エプロンを身につけ腕まくりをする。


 星原は飲食業をやっているからというだけでなく、もともと結構料理が好きだ。自炊はもとより、パンや菓子まで幅広く作る。

 本職の木森や手嶌にはさすがに及ばないけれど、なかなかの腕だと自負しているくらいだ。

 そんな星原のキッチンにはそれなりの用具が整っているし、一人暮らしの割にまあまあ良いオーブンレンジも置いてある。




 今日は、かねてから気になっていたものを作るつもりだ。

 それは――。



「やるぞ、ベーグル!」


 そう。ベーグルである。

 一度自宅で作ってみたいと思っていたのだ。


 ベーグルは乳製品も卵も使わずに作るパンだ。

 十六世紀頃に東ヨーロッパで作られたのが起源だと言う。


 外側はパリッと、中はもちもちとしていて食べごたえがあるが、カロリーはやや控えめなのが特徴だ。

 ナッツやドライフルーツなどでトッピングをしたり、サンドイッチのように色々な具を挟んで食べたりする。最近ではそこそこポピュラーな食べ物である。



 星原は慣れた手つきで調理に取りかかっていく。

 生地をこねて発酵させるのは他のパンとそう変わらないが、一風変わっていると感じるのはこの後だ。


 オーブンを余熱し終えたあとに、鍋にお湯を沸かしハチミツをいれる。

 そしてくるっと丸く成形しておいた生地を、お湯の中に投入するのだ。


 最後に茹で終えた生地をオーブンに入れれば、焼き上がるのを待つばかりとなる。


「上手く焼けるかな?」


 オーブンの扉から中を覗き込みながらつぶやく。

 初挑戦する料理。

 焼けるのを待つ間のちょっとした緊張感も心地よいものだ。




 星原がベーグルを作ってみようと思ったのは、ある日の木森との会話が発端だった。


「試作品なんだが、食ってみてくれるか?」

「あら。ベーグル?」

「モーニングに悪くないんじゃねえかと思って」


 差し出されたベーグルを見て、星原は懐かしさを感じた。

 店を開く前に働いていたカフェでは、ベーグルにサーモンとクリームチーズだとか、ベーコンとレタスだとかを挟んでサンドイッチとして供していたのだ。

 まかないに食べることも結構多かった、食べ慣れたメニューだった。



「でもどういう風の吹き回し? いつもの思いつき?」

「いや、結構ベーグルが好きで……あの、茹でるのがさ」

「茹で……?」

「? ああ。茹でてから焼くんだよ。ベーグルって」


 言われて思わずハッとした。

 前の仕事先ではベーグルは他店から仕入れていたので、なんとも思っていなかった。

 作り方も由来も知らないことに気づいたのはこの日が初めてだったのだ。


「……恥ずかしい。知らなかったわ。パンって焼くものだとばかり思ってたけど、ベーグルは茹でるのねえ……」

「そんな難しくないぜ。星原、家でパンも焼くんだろ。今度やってみれば?」

「うん、そうしてみるわ」



 とまあ、そんな顛末だったのである。


 数十分後に焼き上がったベーグルは、シワもよらずツルッとした表面がピカピカと綺麗に輝いていた。

 こんがりとしたきつね色は、いかにも美味しそうである。


「よしっ!」


 これはなかなかの出来なのではないか。

 思わず小さくガッツポーズをした星原だった。



 星原は新しいことを学び、挑戦するのが好きだ。

 もちろんいつもそうできるわけではない。

 体力気力がなくて現状維持に甘んじることだってある。現状維持をするのも相当立派なことだと思う。


 ただ、まれぼし菓子店で一緒に働く二人の仲間を思うと――。


(なんか負けてられないって気持ちが湧き上がってくるのよね)


 木森も手嶌も、常にひたむきに仕事に取り組み、ずっと進歩し続けている。

 納得が行くまでやり続ける二人のストイックさには、本当に感心してしまう。


 ならば自分もと、自然と思うようになっていた。 彼らに恥じない自分でありたいから。

 それはつまり、星原は良い仲間を持ったということを意味するのだろう。



 粗熱の取れたベーグルを皿の上に並べると、スマホを取り出して写真を撮った。


 明日になったらあの二人に見てもらおう。

 木森よりは出来が良くないかもしれないが、手嶌なんてあっさりもっと上手に焼いてしまいそうだが、きっと二人は笑顔で星原のベーグルを褒めてくれることだろう。



 ちょっとしたきっかけで学べるのがこんなにも楽しい。

 成長できることが、こんなにも嬉しい。


 星原のそれなりに楽しい休日は、こうして過ぎていく。

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