こぼれ話
こぼれ話 神のみぞ知る大福の味
夕暮れをすぎ
皆、家路を急いでいるのだろう。ある者は今日の疲弊を抱え、ある者は今日の喜びを抱え。悲喜こもごもの感情は色とりどりに人間たちの魂を彩っている。
ジンは大きなあくびをしながら、ゆったりと窓の外を眺めていた。
短い時間の中であくせく生きる者の気持ちは彼にはよく分からない。また、分かろうとする気もなかった。
ただ、人間を見ていると退屈しない。
暇を持て余している彼は、時折住処を出てまれぼし菓子店へやって来、いつも同じこの窓際の席で外の人間を眺めることにしていた。
「お待たせいたしました! 〝 雪中の一墨〟豆大福と、煎茶をどうぞ」
ジンの興味の対象は、もちろん窓外ばかりではない。店にやってくる客や店の人間も面白い。
注文の品を運んできたのは、この店の主だ。若い娘だが仕事さばきは鮮やかだし、立ち居振る舞いも堂々として板に付いている。名前は忘れたが、ひと際強いきらめきを放つような彼女は、まさにこの店の顔と言えるだろうとジンは思っている。
おう、ありがとよと受け取る。馴染みになったので、たまには世間話のようなものをすることもあった。
「フルーツ大福はもう出さんのか?」
「あー、あれなんですけど手嶌からなかなかオーケーが出なくてですね。ちょっと難しいかもしれませんねえ」
「あれも良かったんだがなあ」
「いつもありがとうございます」
明るい笑顔を向けて彼女はまたカウンターに戻っていった。
一気にみっつも頼んだ豆大福のうち一つをつまみながら、店内に視線を向ければ、バックヤードから少しだけ顔を見せている青年の姿。
あれもこの店の一員で洋菓子を作っている職人だ。店主とは対照的に寡黙な職人肌の男は、たまに接客に出てきてもぎこちない。ただ仕事に対するひたむきな真剣さは傍から見てもすぐ分かる。これもまた今の世では貴重なタイプの人間だろう。
店員たちの尽力あってか、店内の客たちはいつも皆気分よく茶を喫しているようだ。老いも若きも人も人外も。
ドロドロとした感情に塗れて溺れるような人間の姿もそれはそれで面白い。とはいえ人々がただ無邪気に楽しむ様子というのも、見ていて清々しい気持ちになり良いものだ。
甘く、少し塩っけもある豆大福をつまみにして見るのにちょうど良い。
二つめの大福に手を伸ばしたところで、新たな客がやってきた。
ああ、あれはポチ公じゃないか。
ポチ公と言っても犬ではない。が、まあ犬のようなものか。子犬のような娘である。
極めつけに素直でありながら、それゆえか体質かそれとも他に何かあるのか、あやふやな現との境界を超えてくるうっかり者。それでいて思いもかけぬ大胆な選択をしてのける。面白い娘なのだ。
目が合うとにこっと笑って会釈してきたので、鷹揚に片手を上げて応じた。
人間にも色々な種類があるが、この店にはどうも面白い者が集まる。
ジンの目を楽しませるに足るものだ。それが彼がこの店を贔屓にする理由の一つだ。
別の理由は、というと……。
夕食の時間に差し掛かりつつあるので、少し前にはやや混んでいた店内も人がはけつつある。
ジンがみっつめの大福に手を伸ばしたところで、彼の席の前に静かにやってきた人物がいる。
「よう、叶芽」
「お持ち帰り用の大福の準備ができましたので」
嫌そうな顔をして大福の包みを渡す昔馴染みには、ニヤニヤ笑いを返す。
ジンがまれぼし菓子店にまつわる人物で名前を覚えているのは、この男だけかもしれない。
そしてジンにこれだけ冷たく当たってくるのも、今の世では彼だけだろう。
「さっさと帰れって? 客に対してなかなかだねえ、お前は。もっとあの娘っ子のように愛想良くはならねえのか」
「星原と違って、僕はあなたのことが嫌いですからね」
「あーあ、すっかり嫌われちまってぇ」
彼、手嶌はこの店で主に和菓子作りを担当する菓子職人であり、店の仕事を何でもカバーする器用なオールラウンダーである。
それが今の彼の顔だが、ジンは手嶌がそうなるずっとずっと昔からの付き合いだ。
だから、小さな菓子屋で大人しく親切な店員をやっている姿が面白くて、面白くて。
どうしてか手嶌は昔から人に寄り添い、同じ場所に立って人と関わろうとする節がある。
ジンには、そのことが不思議でならなかった。
どうしてそんなことをする必要があるのか、本当にわからないのだ。
何をどうしたとしても人間とは違うというのに、何を求めて一途にともに生きようとするのだろう。期待するものは返っては来ない。挙句良いように利用されるのが関の山で、実際そんな目にばかりあってきたことを知っている。
それを指摘すれば彼は怒った猫のように毛を逆立てるので、時々意地悪を言ってからかいたい気分の時にしか言わない。
そんなジンのからかいたがりのことは知っているので、半眼になって手嶌がぼやく。
「全く……何をしに店に来ているのやら。お好きな人間観察は他所でやって下さい。そして僕をからかうつもりならよして下さい」
文句は言いつつも、手嶌は空いたグラスに水を注いでくれる。
みっつめの大福を飲み下し、あんこの余韻が残るうちにジンは言った。
「別にからかうためにだけ来てるわけじゃねえよ。うまいからさ。初めてお前の大福を食べてからもういくら経つか数えてねえが、やはりうまいな。いくら食べても飽きねえし」
「ありがとうございます。この店の味を積み重ねてきた甲斐がありますね」
「今の味は間違いなく日の本一だと思うぜ。お前の大福を一番食べてきた俺が言うんだから、間違いない」
手嶌は菓子や店のことを褒められた時だけは、ジン相手でも素直な笑みを見せる。
それほどまでに大事にできるものなのだろう。
そんなモノを持っている今の手嶌の姿は、案外良いものだとジンは思っている。口には出さないが。
そうしたモノを持ちたいがゆえに、彼はわざわざ人間の中に溶け込んでいるのかもしれないとも思う。
とっぷりと日が暮れる頃に、菓子屋を出た。
外を歩く人々の足取りは重く、背中に重苦しい夜の闇を背負った者の姿もちらほらと見える。
そんな人間をみれば、願いを叶えてやろうか? とそそのかしてやりたい気にもなる。
人間はどんな顔をするだろうか。
ああ、これだから人の世は面白い、と思えるような答えをよこすだろうか。あのポチ公のように。
約束と縁と選択を重んじる手嶌に比べると、ジンはずっと気まぐれだ。面白ければそれで良い。
ただ今は、手元の豆大福に咎められる気がするから。
だからちょっかいは出さずに、まっすぐに寝ぐらへ帰ってやろうかと思う。
思うや否や、ジンの姿は掻き消える。
ふわりと夜風に乗るように。
彼自身が風であるかのように。
数個の豆大福が今夜の人々の平穏に一役買ったということは、誰も予想だにしないことだろう。
三日月が笑っている。
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