最終話 とっておきの宝物をあなたに
「うーん! よく寝た!」
わたしはぐぐーっと背伸びした。年に何度かしかないくらいに気持ちの良い目覚め。
枕元に陣取るアナログな目覚まし時計の針は、まだ早朝を示している。
うん、幸先の良い出だし。
良い気分で顔を洗い、軽い朝食を終えるところまで一気にやってしまう。
今日は休日。
それもちょっと特別な休日なのだ。
朝食の片付けを終えたあと、スマホに目を落とせば、メッセージの通知。
開いてみると、家族から、それに友達からも。
『お誕生日おめでとう!』
可愛いスタンプとともに、そんなメッセージが表示されている。
思わず頬が緩んでひとりだけどにっこり、ご機嫌な笑顔がこぼれる。
――そう、今日はなんと!
わたしの誕生日なのだった。
メッセージを返信して、お出かけの時間までは少しゆっくりすごす。
そのあと、わたしの持っている中で一番可愛いワンピースを選び、少し気合を入れておめかしをする。バッグと靴もお気に入りのものを用意して。
さあ出かけよう。
目的地はいつもどおりといえばいつもどおり。
まれぼし菓子店だ。
ただ、今回はいつもとちょっとだけ違う。
わたしは自分の手元を見た。手の中にあるのは、箔押しされた白くてきれいな封筒。その中身なんだけど……。
――『招待状』。
中の
招待状はわたし宛。そして署名はちょっと達筆すぎて読めない英語の……、いつかも見た覚えがある。それは「奥様」からのものなのだ。
奥様とは以前まれぼし菓子店でシュークリームを譲り合ったことがきっかけで知り合った。通称が奥様なので本名のことは知らないのだが、その後も色々よくしてくれて、わたしはその旦那さんである「旦那様」にもお世話になっている。
手紙によると奥様がわたしの誕生日パーティーを開いてくれる、ということのようだった。
可愛くおめかししてきてねと書いてあるからには、やはり気合いが入るというもの。
シュークリームふたつから始まったご縁になんだか不思議な気持ちになりながらも、嬉しくもなってしまうのだった。
お天気はよし。ちょっと日差しが強くて、風は穏やか。
まれぼし菓子店の扉のステンドグラスも、ぶら下げられた可愛いランプも、太陽の光を弾いて輝いている。
お店の前には貸切の看板が出ているけれど、中はなんだかもう賑わっている雰囲気かな?
わたしはちょっと緊張しながら、木製の扉を開いた。ベルがしゃらしゃらと音を立てて鳴る。
「いらっしゃいませ」
迎えてくれたのは手嶌さん。
「こんにちは、手嶌さん!」
「今日もありがとうございます。お待ちしておりましたよ。お席に案内しますのでどうぞこちらへ」
わたしを見るといつもの優しい笑顔で、すぐに席へと案内してくれる。
お店の中はいつもとレイアウトも飾り付けも違っている。リボンやお花が多く配置されて華やかな感じだ。わたしはもうドキドキわくわくである。
パーテーションで仕切られた向こう側に顔を出すと、わっと拍手が迎えてくれた。
飾り付けられ食器のセッティングがされたテーブルが並べられていて、席には本当に色んな人が座っている。
まず奥様と旦那様。
「いらっしゃい、本日の主役さん」
「誕生日おめでとう、お嬢さん」
優雅な二人がなんとも華やかに出迎えてくれる。二人が一緒にいるととても絵になるなあ。良い意味でこの世の人とは思えないような美男美女カップルなのだ。
それに桜庭先輩に綾瀬さんの、私と同じ会社の二人組。
「おめでとう。素敵な誕生日ね」
「先輩、おめでとうございます。でもその、このパーティーの面子なんかこう……ヤバくないですか?」
桜庭先輩は穏やかな笑顔で祝ってくれる。
一方少し挙動不審な綾瀬さん、不思議な人揃いのまれぼしの常連さんは、幽霊とか見えちゃう彼女としては何か思うところがあるのだろうか?
草団子の時の黒須さんと、リーフパイを分けっこした少年くん。
「お嬢ちゃん、めでたいねえ、飴ちゃんお食べ」
「おねえちゃん、おめでとう!」
こんな席でもちゃんと飴ちゃんをくれるいつもどおりの黒須さんに笑ってしまった。
坊やも手作りのメッセージカードをわたしに手渡してくれる。渾身の出来なのかな、得意顔が可愛い。
「おめでとう!」
「おめでとうございます」
奥様のお知り合いで、前にアフターヌーンティもご一緒した
それにあえて名乗りあったことはないけど、いつもこの店で見かける常連さんたち。
みんな笑顔で祝ってくれて、わたしは照れっぱなしだ。
「おーう、ポチ公」
……あ、ジンさんがふんぞり返って座っている。
でも彼までわざわざこのお祝いの席に出向いて来てくれたのかと思うと、なんだか嬉しい。
「バースデーカードも届いていますよ」
席につくと手嶌さんがカードを持ってきてくれた。中身を読めば、以前大雪の日に一緒にアイスクリームを食べた子だということがわかった。彼女がくれた手袋は大事に使わせてもらっている。
一拍を置いたところで、奥様が乾杯の音頭を取ってくれる。
「では主役が席についたところで、彼女のお誕生日を祝して。これからのみなさまの益々の幸せを祈って。乾杯しましょう」
みんなが立ち上がって、「乾杯」の声に合わせてそれぞれのグラスを掲げた。
もちろんわたしも。照れくささと嬉しさで、顔が赤くなっていたかもしれないけど、お構いなしに元気に乾杯の声を上げた。
それからはみんなと話したり、そんな中でも食事に舌鼓を打ったりと、もう忙しかった。
でもそんな忙しさなら歓迎かもと思えるくらいには楽しい時間でもあった。
わたしたち以上の忙しさの隙間を縫って、星原さんが声をかけてくれる。
「おめでとうございます!」
今日はパーティーで貸切なので、木森さんだけでなく星原さんや手嶌さんもフード作りからやっているらしい。本当に忙しそうに立ち回っていたけれど、彼女は相変わらずはつらつとした様子で笑いかけてくれた。
「楽しそうでよかった。素敵な一日をすごすお手伝いをうちの店がさせてもらえるの、すごく嬉しいですよ!」
「えへへ。本当に嬉しくてその、なんだかもう、言葉にならないくらいで……ありがとうございます」
「ちゃんと伝わってるよ、大丈夫大丈夫!」
星原さんの笑顔にはいつも元気と勇気をもらえる。今日だってもちろんそうだ。
星原さんと入れ替わりにこちらに近づいてきたのは、バックヤードから出てきた木森さん。
手に持っているのは大きなケーキ。いちごのたくさんのったショートケーキのホールだ。
「……おめでとう」
「木森さん! ありがとうございますー!」
「ケーキ、何にしようか色々迷ったんだが……王道なのがいいかもしれないと思ってな」
「大好きですよ、ショートケーキ。まれぼし菓子店のも何度も頂いてます!」
「良かった、喜んでくれて。良い誕生日をすごしてくれ」
そう言うとわたしの目を見て笑ってくれた。この店に来たばかりの頃とは驚くほど違う表情に、ドキリとするけど嬉しくもなる。
忙しい彼はすぐにバックヤードにとんぼがえりになっていたが、今度またゆっくり話をしよう。
そしてこれまた入れ替わりにやってきた手嶌さんが、仕上げとばかりにホールケーキにキャンドルを立ててくれる。
スティック型の色とりどりのキャンドルは、ケーキの上に咲いたお花みたいだ。
「〝あなたの幸福を願う歌〟バースデーケーキです。お待たせしました。準備ができましたら、火をともしますので。そうしたら一気に吹き消してください」
「わあ……。こんなの子どもの時以来かも! 緊張しますね、意外と」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。何しろ今日の主賓はあなたなんですから」
わたしを安心させてくれるように手嶌さんが笑う。
思い返せば手嶌さんはいつでもそう。初めてこの店の前であった時からとても優しく、少し不思議だ。
まだ火のついていないキャンドルを見つめると感慨深さがあふれてくる。
みんながみんな、わたしのことを祝ってくれているのだもの。
同時に思いもする。わたしはまれぼし菓子店を通して、なんてたくさんの人に出会って来たのだろうって。
初めてこの店に出会った時は、後ろ向きな気持ちだけ抱えて、本当にちっぽけで。そのことで更に煤けていたわたし。
今でもちっぽけなところは別に変わらない。
けれど、変わったのは心持ちだ。
わたしにはわたしで、良いところがあるのだと思えたのだ。短所と表裏一体だとしても、逆に言えば裏返したら長所になるわけで。
そしていちばん大きいことは、自分が人と人との関係で繋がった、大きな輪の中にいるということを実感できたことかもしれない。
手嶌さんがこないだ話してくれた、ご縁の話に通じるところがある。
だからこそ、わたしは誰かとの繋がりを大事にしたいし、誰かと触れ合う時に後悔のない自分でありたいと心から思っている。
「よしっ。キャンドル、いけますっ! 手嶌さん、よろしくお願いします!」
「かしこまりました。では……」
点火されたキャンドル、少し明かりを落とした店内。見守ってくれるたくさんの人たちの気配。結構緊張する。
わたしは大きく息を吸い込んで、ふうっと火を吹き消した。
「おめでとう!」
ひと際大きな拍手とともに、みんなが口々にお祝いを告げてくれる。
ただの平凡な人間である自分が、こんなに大勢の人に祝ってもらえる日が来るなんて、考えてみたこともなかった。
なんだか嬉しくて目の奥が熱くなってきてしまった。
元通りにパッと明かりがついた時には、目の縁からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
そんなだから、周りの人たちを少し慌てさせてしまったけど、今日はちゃんと言える。
「嬉しくって、ついつい……。みなさん、本当に素敵なお誕生日会を開いてくれてありがとうございました。子どもの頃の誕生日の楽しい気持ちを思い出したみたいです。とても、とても幸せです」
いつもは小さくてもちゃんと幸せ。
今日は飛びっきり特別な幸せ。
幸せだって思える気持ちを大事に、大事にしていきたい。
誰かがくれた優しさや好意に気づいて、自分もそれを誰かにまた渡してあげられるようになりたい。
「これからもこの場所で……まれぼし菓子店でまた会いましょうね」
つたないけれど、わたしはわたしの言葉でみんなに伝えたいことを伝えた。
それからみんなで食べたショートケーキは、ふわふわで夢見心地になるような優しい甘さで。それでいてとても懐かしい味をしていて。
いちごを最後までとっておいて、みんなにちょっと笑われたりもして。
この素敵な時間こそ。素敵な出会いこそ――。
ああ、本当に。わたしは、とっておきの宝物をもらったのだ。
きっと心のアルバムの中でいつまでもいつまでも輝いていてくれる、そんなとっておきの宝物だ。
そうそう、そのアルバムにはこのショップカードも一緒に挟んでおかなくちゃ。
カードにはこう書かれている。
美味しいお菓子をつくっております。
皆様のおもいでによせて。
食後のひとくちに。
夜食のお楽しみに。
お気軽にお立ち寄りください。
――まれぼし菓子店。
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ここまでお読み下さりありがとうございます。
まれぼし菓子店は、ついにこのお話で最終回を迎えました。
2020年2月21日に連載を始めまして、途中長い休止、短い休止を挟みながらここまでやってきました。
他の作家さんよりもずいぶん遅い歩みではありましたが、それも「わたし」と歩むこの作品らしかったのではないかなと思います。
この作品は私のカクヨムでの初めての長編であり、いつの間にか大変思い入れも深いものになっていました。たくさんの読者さまとのありがたいご縁も感じられました。おかげで完走することが出来たと言っても過言ではありません。
作品としてはここで完結印をつけ、ひと区切りとなりますが、この後も時折「こぼれ話」としてお話を更新していく予定です。宜しければそちらにもお付き合いくださいませ。
また、この作品でも、それ以外の作品でも、再びお会いできれば幸いです。
改めまして、みなさままれぼし菓子店を訪れてくだり、大変ありがとうございました。
2024年4月19日 夕雪えいより皆様へ、愛を込めて
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