第81話 恋のいちごの甘酸っぱさ

 どこまでも柔和で、穏やかな物腰。

 色素の薄い瞳にかかる、長いまつ毛。

 綺麗なさらさらの髪の毛、透明感のある肌。

 人並みをはるかに外れるくらい整った顔かたち。

 すらりと伸びた手足は、男の人にしてはかなり華奢な方と言ってもいいかもしれない。

 手嶌さんは、ちょっと普通には見かけないくらいの中性的な美青年だ。


 そしてそんな手嶌さんに釘付けになっているのが、最近の綾瀬さん。かぶっていた特大の猫を、わたしの前では外してくれるようになった可愛い後輩だ。

 彼女と会社上がりに一緒にまれぼし菓子店に来ると、以前から手嶌さんのことを目で追いがちだったのだけど、ここのところは特によく見ている気がする。

 ちょっとうわの空で、まさに恋する乙女……という感じ。

 そんなだから、綾瀬さんにたずねてみたことがある。


「手嶌さんのどんなところが好きなの?」

「顔ですね……ってあっ、引かないで下さいよ先輩! 嘘です嘘! まあ半分はホントですよ、初めて見た時すっごくかっこいい、イケメンだーってテンション上がったし。でもそうじゃなくて……」


 彼女はちょっと考えているようだった。それから言葉を選ぶようにして話し出す。


「目、ですかね……。手嶌さんの。なんか全部見通してるみたいじゃないですか」

「あ、わかるかも。ときどきドキッとするよね」

「そうなんです、あの目が好きで……。お店に出てるときもよく周りのこと見てるし、たまにいる幽霊のお客さんのことも見逃さないし……それでいて、厳しいとかじゃなくて優しい感じだし。そう、不思議なところ、ですかね、好きなところは」


 綾瀬さんは納得したようにうなずいた。そうだね、とわたしもうなずく。

 手嶌さんがまとっている空気というのは、一言では言い切れない部分がある。でももし無理やり一言にまとめるとしたら、その時は『不思議』ということになるのかもしれない。


「あたし、オバケとか見えるから小さい頃はそれで人と揉めたりして。今だって、そのことは話したりしてないですよ、先輩以外には。でも手嶌さんだったらそういうあたしの変なとこ含めて、優しく見てくれそうっていうか……」

 綾瀬さんは珍しく照れくさそうにそう語ってくれた。

 彼女には彼女なりの悩みや経験があり、それで今の彼女の姿があるのだろう。

 だから好きなんですよ。と結んだ綾瀬さんの顔からは、この恋にしっかり真剣に向き合っていることが伝わってきた。

 何ができるわけでもないけど、応援したくなるような表情だったのだ。




 それから何日か後、土曜日の朝。春特有の気温差激しい気候で、まだ冷たい空気があちこちにわだかまっている時間。

 わたしは休日を満喫しようとまれぼし菓子店に向かっていた。

 しかしいつもより早足だったのだろうか、開店時間の少し前に着いてしまった。お店の前にはまだ閉店中クローズドの看板が置いてある。


 困ったな。どこかで暇をつぶすにも、なんだか半端な時間だし……。

 そう思ってなんとはなしに辺りをぶらつく。ちょうどお店の裏手に来たところで、綾瀬さんの姿が目にとまった。

 奇遇だなと声をかけようとして、慌てて口をつぐんだ。

 綾瀬さんの視線の先には、手嶌さんがいて、何やらお話中の様子だったのだ。


「あたしじゃダメなのは、あたしじゃ手嶌さんに釣り合わないからですか?」


 綾瀬さんがそう問う口調には、いつものふわふわした感じはない。

 あっ……これは……。

 すごく申し訳ない瞬間に出くわしてしまったのでは?

 わたしは慌てて物陰に引っ込んだ。


「いいえ。綾瀬さんは、とても素敵でいらっしゃる」

「素敵とか……意味ないんです、手嶌さんに好きになってもらえないなら。お世辞を言われても嬉しくないですよ」

「お世辞ではありませんよ。あなたが日頃、常に努力してらっしゃること。お店でお見かけするあなたの姿を見ていても分かります。だから素敵な方だと申し上げた」

「じゃあどうして……」


 食い下がって詰め寄りかけた綾瀬さんに、手嶌さんはとても優しい眼差しを向ける。


「僕では間違いなくあなたが望むような関係を築けないからです。ですから、お断りさせて頂きました」

「あたしがお店のお客だからですか?手嶌さんのこと何も知らないから?」

「いいえ。強いて言うとしたら、僕という存在モノ……それ自体に問題があるんです。それは、どうにもできない」


 手嶌さんは静かに首を横に振った。

 言葉が意味するところはよくわからなかったが、踏み込むのが難しいくらいの深い隔たりがあることだけが伝わってきた。

 その後彼が綾瀬さんに向けたのは、見つめられるとどうしてか何も言えなくなるような、優しいけど壁を感じさせる目だった。


「事情を説明したり、納得して頂いたりするのは難しいのですが……。だから、ごめんなさい。でも一つだけ確かに言えることは、あなたは本当に素敵な人だということですよ」

「そんなこと言われたら、どんな顔していいかわからないです……。振られたのに……慰めっていうより、本当に褒めてくれてるみたいで……」

「本当に褒めていますから」


 綾瀬さんが困った顔をしている間に、お店のオープン時間の直前になっていた。

 手嶌さんは彼女に断ってその場を後にし、もちろん彼女だって仕事のある人を引き止めたりはしない。


 ……とんでもない場面をのぞき見してしまった。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたところへ、


「……先輩。いますよね?」

「わあっ!?はっ、ハイ」


 綾瀬さんからまさかの声がかかって、わたしは飛び上がった。

 飛び上がったものの、もう出ていかないわけにもいかなくて、ショボショボと背中を丸めて彼女の前に姿を現すことになった。あああ。


「やっぱりいた……。なんかさっき見えた気がしたんですよ。恥ずかしいとこ見られちゃったぁ……」

「綾瀬さん、ごめんね……そんなつもりはなかったんだけど……」

「いいんですよう……こんなところでしか手嶌さんをつかまえられなかったあたしが悪いんでぇ……。……なんかこのまま帰るのもアレなんで、先輩、まれぼしでお茶に付き合ってくれませんか?」

「……大丈夫なの?綾瀬さん……」

「甘い物食べたら色々吹っ飛ぶと思いますからぁ……ちょっと、手嶌さんのことは見れないかもしれないけど」



 かくしてわたしたちは二人でまれぼし菓子店の扉を開いたのだった。

 手嶌さんが話を通しているのか、なんとなく空気を察したのかはわからないけど、今日は星原さんがテーブルを担当してくれた。

 わたしはショートケーキを頼み、綾瀬さんはタルトフレーズを頼む。


 しかし綾瀬さんはというと黙々とタルトを口に運んでいて、心ここにあらずという感じ。大好きないちごがたくさん乗っているのに……。

 手を止めるのは違う気がして、わたしもショートケーキを食べ進める。

 ふわふわのスポンジは優しい味をしていて、生クリームも甘すぎずたっぷりしている。間に挟まれたいちごは甘酸っぱくて、いつもながらにおいしいショートケーキ。でも……。

 でも、綾瀬さんの晴れない顔を見ていると何とかしてあげたくなる。無理もないこととはいえ、どうしたらいいんだろう……。


 気づけばお皿の上のケーキとしばらくにらめっこ状態になっていた。

 そこで最後まで大事に取っておいたいちごが目に入り、ふと思いついた。


「綾瀬さん、はい、あーん」

「な、なんですかぁ、……いちご?」


 不可解そうな顔をしながらも大人しくあーんされた後、たっぷり三十秒は考え込んで、綾瀬さんは目を丸くした。


「あっ!? 先輩のショートケーキのいちごじゃないですか!」

「おいしい? いちご、好きでしょ。今までボーッと食べてたみたいだから、しっかり味わえたらと思って」

「……先輩もいちご好きだからって最後まで取っておいたんじゃないんですか?」

「〝天辺の星〟ショートケーキの、一番明るい一等星を、綾瀬さんにあげたくなっちゃってね」


 確かにわたしはいちごが好きで、好きなものは最後に取っておくタイプなのだけど(そして綾瀬さんもそうだ)、今日この瞬間の綾瀬さんにはとっておいたいちごを食べてほしくなってしまったのだ。小さな宝物を彼女にあげたいような、そんな気持ちだった。


「ショートケーキのいちごって……子どもじゃないんですから、もうー……」

「あはは、ごめんね、変なお節介して」

「ううん、でもありがとうございます。なんだか元気出てきました。先輩の素朴なお人好し加減に」


 褒められているのか、どうなのか……?

 ともあれそれから急激に元気を取り戻した綾瀬さんは、タルトをおかわりして、あれやこれやわたしとおしゃべりして土曜の午前を満喫していた。空元気なのだとしても、すっかり黙ってしまっていたさっきよりは良いのかなと思う、たぶん。



 そして帰り際。

 わたしたちを見送ってくれたのは意外にも手嶌さんだった。

「今日もありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 穏やかな佇まいでそう礼をする手嶌さんに、綾瀬さんが弾かれたように言う。


「手嶌さん。もう避けられちゃうのかと思いました。それに朝も……本当は、誤魔化されるのかと思ってました。それか、いつもみたいに流されちゃうか」

「そんなことはしませんよ」


 ゆっくり首を横に振った後に、少しの沈黙。彼にしては珍しく、言葉を選んでいる様子が伺えた。


「……嘘はつきたくないんです。それにあの場で流してしまったら、僕に正面から向き合ってくれている綾瀬さんに対して失礼でしょう? ですから、僕も真剣にお話させて頂きました」

「……うん。なんか……たぶん、そういうところが好きになったんだと思います。そんな風にちゃんとしてるとこが」


 綾瀬さんはじーっと、ただじーっと手嶌さんを見つめた後に、

「あたし、やっぱり手嶌さんのこと好きです。当分、手嶌さんのこと好きだと思います」

 まっすぐ、まっすぐにそう言った。

 手嶌さんはちょっと目を丸くした後に、「はい」とうなずいた。優しく微笑んで。





「あーあ……あーあ!」


 帰路、背伸びしながら綾瀬さん。


「振られちゃいましたよお、先輩!」

「そうだねえ……」

「甘かったです。さっきもらったいちご。でも、ちょっぴり酸っぱかった……。月並みですけど、今のあたしの気持ちみたいです」

「うん、そうだね……綾瀬さん。そうだね」

「あーあ!」


 そうして背伸びする綾瀬さんは、どこか清々しいような顔をしていて。わたしはそんな彼女の姿を、綺麗だなと思った。

 朝方のピリリと冷たい空気はもうどこにも残っていない。暖かな昼ひなかの日差しに照らされながら、わたしたちはゆっくりと、長い土手を歩いていくのだった。


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