第72話 逢魔が時と豆大福

 赤い、赤い、夕日。

 ざわざわ、風に揺れる白い穂先のすすきの群れが、朱色に染め上げられている。

 そのただなかにわたしは一人で立っていて。

 遠くで、わらべうたが聞こえている。

 かごめかごめ。かごのなかのとりは。


 秋の夕暮れのことだった。



 たそがれ時を、逢魔が時とも言う。

 魔と出逢う。わたしは結構能天気な方だと思うけれど、これまで少しだけ不思議な体験をしてきたので、ちょっと考えてしまうような言葉だ。

 魔というのは悪いモノのことだろう。そういうモノに出会ったことはないとは思う。でももしも出会ってしまったら……それはたまに聞く都市伝説や怖い話を通してのわたしの妄想だけれど。

 どうなってしまうのだろうか。

 時々、考えることがあるのだった。


 今日もまさにそんなことを考えていた日だった。

 仕事からの直帰で、夕暮れ前に家への道をのんびりと歩んでいた。

 最初に気づいたのは、歌だ。聞き覚えのある曲だった。かごめかごめだ。昔からある歌だけど、寂しいようなメロディラインが少し苦手なのだ。

 遠くで微かに聞こえている気がする。

 それにふと気を取られ、ハッと気づくと、わたしはすすきの原の真ん中にいたのだ。


 ここは何処だろう。そもそも、自分の家の近くにこんな場所があっただろうか。

 ざあ。

 ざあ。

 風が吹いてすすきを揺らす。夕日も一緒に揺れている。歌が、やんだ。


「また来たのか、お前」

 突然声がかかる。

 黒いシャツを着たジンさんが、気配もなくわたしのすぐそばにいた。切れ長の目が悪戯な光を宿してこちらを見ている。

 本当に綺麗な男の人だ。しかし前と同じで、やはりまとっている威圧感みたいなものは隠す気がないようだ。


 それにしても、また来た。ってどこに?……ここ、だろうか。見覚えはないけれど。


「え、えっと……ジンさん……?」

「ようポチ公」

「ポチじゃないですってば! ここは、何処なんですか? わたしさっきまで家のそばを歩いていたと思うんですけど……」


 クックとのどを鳴らすように笑って、ジンさんはわたしを見下ろす。この人は長身だから、見下ろされると余計に圧迫感を覚える。

 わかっているはずなのにそれをやめる気がないところは、多分性格の問題なんだろうと思う。


「そんなにむっとした顔しなくても。おかしい奴だ、迷子のポチ公」

 非難の態度がうっかり顔に出ていたのだろうか。でもジンさんは面白そうにしている。やっぱりつかめない人だ……。


「ここか。何処だと思う?」

「うーん知らない場所です。というか質問を質問で返すのは失礼ですよ」

「じゃあ仕方ないから答えてやるか。ここはお前の知る何処でもないよ。しかし、気をつけろと言ったのにお前はまた迷子か。何度目だよ」


 呆れたようなおかしそうな口調。

 ふと気づくことがある。わたしは、いくらか前にもこの人に夢で会ったことがある。どうして忘れていたんだろう……。


 考え込んでいるうちに、かごめかごめの声が近づいていることに気づく。まるで取り巻く輪が狭められるかのように。

 夕暮れのせいだけではなくて、辺りの気温が急に下がった気がした。

 背筋が、ぞわりと粟立つ。


「ポチ公の迷子は何度目だ、三度か、四度か。そろそろ、ちとこちらに馴染みすぎちまうぞ」

 ジンさんは歌うように言う。

 かごめかごめは、いよいよ近い。

 かごのなかのとりは、いついつでやる。


 ジンさんが、指をパチンと鳴らした。

 ざあ。

 ざあ。

 わたしを取り巻いていた何かが遠のいていくのを感じる。


「本当はそうそう人間を助けてやる理由もないんだが、お前は色んな奴らの気に入りだものなあ」

 それに、と言継ぐ。

「鬼よりこわい叶芽は、それこそ数百年でも根に持つような奴だからな。ここで俺がいるのにお前が連れていかれたのを知ったら、もう大福をよこさんかもしれん」


 なんだか、手嶌さんもジンさんも人間じゃないみたいな口ぶりだ。比喩? それとも……。なんて、まさか。

 それにしても、そんなにまれぼし菓子店の大福が好きなのか。見かけによらず食いしん坊なんだな、ジンさん。思わずのんきに考えてしまう。

 そうできるくらいには、わたしの周りのこわい気配はなくなっていたし、ジンさんはまるで守るようにわたしの前に立ってくれていた。


「あの……ありがとうございます……?」

「なに、大福のためだ。どうせ迷うなら今度、大福を持ってこちらにこいよ。そうしたらまた茶でも振舞ってやろう」

「は、はい……良いですよ! なんだかよく分からないけど、助けて貰ったみたいですから」

「いいぜ。なら、ほらお守りだ」

「っわ!?」


 急に抱きとめられて思わず声を上げてしまった。

 こんな至近距離に男の人がいることは、お父さんやおじいちゃん以外まずない。

 心臓が跳ね上がる。


「ちょっ……ジンさん!」

 戸惑いで声を上げかけた時だった。

「じゃあ、またな」

 笑い声。

 途端に、放り出された浮遊感。その後、一瞬目の前が暗くなったかと思うと、わたしの目の前にはまれぼし菓子店があった。



 よろめいたわたしを抱きとめてくれた人がいる……もちろんそれは手嶌さんだった。

 わっ! ジンさんと違う意味でドキドキする……。

 申し訳ないような恥ずかしいような気持ちになり、慌てて離れる。


「あ、ありがとうございます手嶌さん。すみません、ふらふらしちゃって」

「いえいえ。おけがはありませんか?」

「はい、けがはないです、大丈夫」

 手嶌さんはいつものような優しい笑顔だったが、すぐに表情から笑みが消える。


「……ジンに会いましたね。匂いがする」

 断定的に手嶌さんが言う。

 匂い。さっきまでのことを思い出し、青ざめていいやら、赤くなっていいやら。

「ええと、助けてもらいました……たぶん、なんですけど」

「はい。おそらくそうなのでしょう。ご無事で何よりです。ひとまず、お茶はいかがですか」

「あ、はい。ありがとうございます! あ、あと豆大福を……」

「豆大福」

「なんだか食べたくなっちゃって」


 ジンさんが連呼していたせいかもしれない。

 目を丸くしながらも、手嶌さんはわたしを席に案内してくれて、煎茶をいれてくれた。


 “雪中の一墨”豆大福。

 水墨画の世界のような風景が思い浮かぶ。

 白と黒の、ぽってりとした見た目が、愛らしささえ感じさせる豆大福、今日はそのままかぶりついてしまう。

 もちもち。もちの皮がしっかりとした歯ごたえとともによく伸びる。

 中はつぶあんで、甘みは揺るぎなく存在するのだが、全体の塩味もちゃんときいていて甘すぎない。

 そして豆大福の特色たる豆。これが絶妙なバランスなのだ。柔らかすぎず固すぎない。豆の味も力強く残っており、食べていて楽しい。


 一連の騒動で疲れていたのかもしれない。大福の甘さとお茶のあたたかさが体に染みて、ひどくほっとした。


 そのあと、ふと思い出したことを手嶌さんに尋ねる。


「手嶌さん。ジンさんって、何処にいるか、ご存知ですか?」

「ジンが何処にいるかと、そう仰るんですか? ……私に?」

 問い返されてしまった。これまで見てきた感じの、犬猿の仲、という雰囲気はもちろんわかっていた。でも聞かずにはいられなかったのだ。


「はい、どうしても……お礼がしたくて」

「他ならぬあなたがどうしてもそうしたいと言うなら仕方ないですね」

 今度は手嶌さんを苦笑させてしまった。強情を張ってしまったが、わたしなりに筋は通したい。


「ただし、ひとりで行かせるのは心配なんです。勝手ながら私もおともしてもよろしいですか」

「えっ、わざわざ……いいんですか!?」

「はい。むしろお気遣いをいただいて申し訳ないのですが。明日の朝に御付き合いを願っても?」

「大丈夫です!明日の朝ですね」

「ええ。夕方以降に行くと、多分あなたにも良くないでしょうから」


 言っている意味はよく分からなかったが、手嶌さんがそう言うならそうなんだろうと言う説得力がある。

 わたしは明朝、彼とジンさんのところに行くことになった――それはここからほど近い『神社』だった。


「ジンとこちらは、この神社からつながっている、と言ったら信じますか?」

「信じますよ。手嶌さんの言うことですから」

「そんなに私を信じて良いのですか? 海のものとも山のものとも知れないモノですよ。誤魔化そうとしているかもしれない」

「大丈夫です……手嶌さんはとっても良い人ですから。これは、わたしのカンなんですけど」


 まっすぐ手嶌さんの目を見る。

 最初にあった時は彼のことをこんな風に見ることは出来なかったけど、今は違う。

 この人やまれぼし菓子店で出会った人たちが、わたしにそうするちからをくれたんだから。

 だからこそ、信じることが出来る、と思っているのだ。

 そう伝えると、手嶌さんは何も言わなかったけれど目を細めて、微笑んだ。

 わたしは、それだけで十分な気がした。



 わたしたちは神社に足を踏み入れた。

 手土産はもちろん、豆大福だ。

 神社のお供物に豆大福を備えると、

「お人好し」

 そう笑う声が聞こえた気がした。


 空は澄み、透き通ってとても高い。

 夏が過ぎ去っていった。

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