番外 真夜中のおはぎ
りー、りー、と窓の外で寂しげに虫が鳴いている。
空気は少し肌寒く感じるくらいで。近いのか遠いのか、風に運ばれて
時刻も相まって街の灯りは少ない。秋の夜長、という言葉の通りの、漆黒に塗りつぶされた深夜だ。
手嶌は閉店の準備をするべく、店の外に出してあるメニューボードを回収しに来ていた。
今夜は手嶌ひとりのシフトだ。すでに店の中にも人の気配はなく、BGMも落としてある。
静かな秋の夜長。
その視線の先には、何処からわいたか生じたか、男が一人席について片手を上げて笑っていた。
「ジン……」
「よう」
「今日はもう閉店ですよ」
「わかってるよ。固いこと言うなって」
肩をすくめた男は、目鼻立ちの整った大柄な美男子である。顔に張り付いた性格の悪そうなニヤニヤ笑いだけがもったいない。
彼の出現によって手嶌は毛を逆立てた猫のような雰囲気になっているのだが、当の本人は至って気楽なものである。
そして、彼らは決して仲が良いとは言い難いが、その会話には長い付き合いを感じさせるもの慣れたところがある。
「あなたのようなモノには、居場所というものがあるんですから。そうそう出歩かれちゃ困ります。それにあなたときたら、どんな害をなすかわかったものではない」
「本当にお前は頭が固いやつだな。この街の奴は夜に参りになんてこないから暇じゃないか。それに別に疫病神じゃないよ俺は。仕返しやちょっかいだって、相手の態度に応じて正しくやってるさ」
「どうだか。それで――」
今日は大福はおしまいですけど。と取り尽くしまもない手嶌。
そこをなんとか。と両手を合わせて笑うジン。
少し考えて、手嶌はショーケースから何かを運んできた。小豆色のまるっこい形。それは。
「“豊穣のしあわせ”おはぎですね。煎茶をいれますから、少し待ってください。食べたら帰ってください」
「叶芽ちゃーんの甘いもの好きなやつにはちょっとだけ甘いところ好きよー」
「食べずに帰りますか?」
「食べる」
小豆色の粒を身にまとったおはぎは、ある種の愛おしささえ感じるような整った形をしている。
皿の上にのせられたそれを一口、口に運ぶと、小豆の甘みと香り、舌触りが同時に口の中に広がる。小豆の皮の部分も柔らかく、これぞつぶあんといわんがばかりの美味さとなって引き立っている。
それがはんごろしにされたこめの部分とよく絡んでいくらでもいけてしまうような感覚になる。
そして甘いだけではない、ほんの少しだけ効いている塩味が良いアクセントになっていた。
「美味いな」
大口で頬張ると、みるみるうちにおはぎはなくなる。
「まだ茶もはいっていませんに」
おかわりのおはぎを出しながら、呆れ顔の手嶌に、まったくもって傍らに人無きが如しのジンである。
「さすがに美味いな、これも気に入ったぜ。餡子がうまいんだもんなあまれぼしは。お前は態度は悪いが腕は確かだよ。まあ、」
ふと、階上への階段を見上げながらジンが笑う。
「洋菓子も店も若いやつにしちゃよくやってるかな」
「木森や星原に失礼なことを言うなら、おはぎはなしですよ」
「へいへい。この店はなかなかですよーっと」
「まああなたに本気でそう言われるのであれば悪い気はしないです」
「素直じゃないやつだな……。おい、残りのおはぎ全部持ってくから詰めろ」
「ええ、わかりました」
少しだけ口の端に微笑みを乗せて、手嶌は持ち帰りのおはぎを容器に包むのだった。
「あれ?もう客はみんな帰ったのか?」
「ああ、木森さん。はい。今日は皆さん早く帰られましたからね」
木森が二階から降りてきた時、その場には手嶌以外誰もいなかった。
確かに今の今まで話し声がしていたと思ったのだが……。
木森がテーブルを見ると、まだ半分ほど残されたお茶は湯気を立てていたので、さらにはてなと首を傾げる羽目になる。
「おはぎも完売か。今日はよく売れたなあ」
「ええ。先程……」
ふとそこで言葉を切り、そのまま外を見た手嶌が言う。
「気まぐれな神様の来訪は本当に困りますね」
「え?おう」
「さ。店は私が片付けますので、木森さんは早く休んでください」
「お、おう」
顔に疑問符をたくさん浮かべながら、窓から入り込む外気の寒さのためか身震いし、木森は再び自室に引っ込んでいく。
手嶌は――もう一度夜の闇を覗き込んでから窓を閉めた。
虫の音が少し遠くなる。金木犀の香り。
秋の夜はまだまだ長い。
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