第65話 センチメンタル、いちごミルク

 夕焼けの帰り道は、なんだか心がそわつくものだ。

 言い表すなら、ノスタルジーとか、センチメンタルとか、そういう言葉が相応しいのかも。

 この時期ならではの、薄ピンクの花びらでトンネルのようになった桜並木を抜けている最中となれば、なおさらだ。満開の桜並木。日本に住んでいて良かったなあとまで思う。


 おっと、今日のわたしは後輩の綾瀬さんと一緒だった。ぼんやりしている場合ではない。

「先輩? 今、ちょっとセンチメンタルジャーニーに出てましたよねっ?」

「あ、顔に出てたかな……?」

「お見通しなんですう」

「でも、綾瀬さんもなんだかちょっと寂しそうだった気がするよ?」

「そうですねぇ。あんまり桜が綺麗で、夕日も綺麗だから浸っちゃいましたね」

 得意顔で言った後に、少しの寂しさを浮かべる。綾瀬さんは色々変わったところもある子だけど、結局可愛くて憎めない。


 夕焼けと桜のコラボレーション。

 あまり優秀とは言えないわたしは、新人時代はこの時間にはとても帰れなくて、ほとんど見てなかったかもしれない。

 でもやっと少し仕事が出来るようになった時に見られた。その風景は、今と同じで何処か懐かしく、輝いていたと思う。

 春の匂いとともに、思い出の景色だった。


 と。

 たわいない話をしながら歩いていると、不意に見覚えのある姿に気づいた。

 並木の先。二人連れで歩く老夫婦。

 わたしはあの人たちに会ったことがある。まれぼし菓子店で。

 そしてあの二人は一見普通に見えるけど、いつもタルトフレーズを二人分買って、その後消えてしまうという幽霊なのだ。

 幽霊と言って、何をする訳でもない。ただ彼らは彼らの時間を楽しんでいるだけに、私には見えているが。


 それにしてもお店で見ることはあっても、こんな所にいるのを見るのは初めてだ。二人は仲良さそうに桜を見ていたが、やがて歩き出した。

 方角はわたしたちと一緒。まれぼし菓子店の方へである。


「……先輩ってぇ幽霊とか信じます?」

「えっ!? 急にどうしたの?」

「あたしが見えるタイプの人って言っても、先輩なら笑いませんよね」

 急に綾瀬さんが真剣な顔をして、真剣な声でそう呟いた。

 もしやと思ったが、その視線の先はあの二人だ。

 それきり彼女は押し黙ってしまった。わたしたちも二人でまれぼし菓子店へと足を向ける。


 まれぼし菓子店の入口のランプの下まで来た所で、綾瀬さんが立ち止まった。

「すみませぇん、先輩、さっきの話なんですけど、あたしたちの秘密にしておいてもらえませんか?」

「うん、いいけど」

「変な子って思われちゃう……」

 そう言った綾瀬さんの顔は珍しく明らかに浮かなくて、彼女にも色々あったんだろうか……と思ってしまうものだった。

「大丈夫だよ。それよりほら、今日も綾瀬さんの大好きなイチゴのスイーツ食べるんでしょ。それに今日は手嶌さんもいるはずの日だし!」

「ん、そうですね。ふふ、先輩、ありがとうございます」

 彼女は再びご機嫌になってスキップするようにお店の中に入っていった。


 お店の中にはわたしたちより先に着いた幽霊の二人組と手嶌さんがいた。

「いらっしゃいませ。今日も、ありがとうございます」

 わたしと綾瀬さんに笑いかける手嶌さん。綾瀬さんも、もうすっかり常連になってるなあ。


「今日は特別なメニューがあるんですよ」

「特別? 気になります!」

「イチゴですかぁ?!」


 俄然食いついたわたしたちに、手嶌さんはおかしそうにわらいながら答えてくれる。


「はい。〝思い出の〟いちごミルクです」

「思い出……」


 わたしと綾瀬さんはなんとなく顔を見合せた。

 そして視線はつい、先客であるあの二人のテーブルに行ってしまう。彼らのテーブルには、タルトフレーズ。それと優しいピンクの液体……いちごミルクがおかれていたのだ。


 誰の思い出なんだろう?

 何の思い出なんだろう?

 たくさんの疑問符を浮かべながら、わたしたちはいちごミルクを注文するのだった。


 ほどなくして、丸いフォルムの可愛いグラスにストローをさして、縁にはいちごが飾られたいちごミルクが運ばれてくる。

 ころんとして可愛くて、ピンクがまた良い。上に生クリームが少し乗せられているのも可愛らしい。


「可愛いですう!」

「うんうん……美味しそうでもあるよね」


 見た目からしてテンションがあがってくる。

 少し混ぜてやってから、ストローに口をつけて、ひとすすり。

 すると……思ったより甘くない。いちごの風合いを生かして、甘酸っぱさがすごく強調されている。

 だからといって飲みにくい訳では無い。ミルクと生クリームが、柔らかく酸味を包み込んでいる。

 時折いちごの果実のつぶつぶ感。この食感が楽しいのだ。


「うーん、おいしいです!」

「ドリンクも美味しいのってこの店の良さだねー」


 後輩と二人て舌鼓をうっていたときにふと気づいた。

 あ。先客のおふたり様の姿が消えている。

 手嶌さんがその視線に気づいて、お水のおかわりをつぎながら、話してくれる。

 先程のわたしの疑問に答えてくれるように。


「一番最初にあのお二人が当店にいらしてくださった際に、召し上がられたのがタルトフレーズといちごミルクだったんです。当店、最初の常連のお客様となりました」

 優しい眼差しで。懐かしむ……という言葉が本当に相応しい表情だった。

「いちごが本当にお好きな、大の甘党でいらして。それで……今でも、時々こうしていらっしゃるんですよ。お店の中で召し上がるのは悪いっておっしゃるんですけど、今日はあの方々の結婚記念日なので。アニバーサリーのプレートで出させていただいたんです。仲の良いお二人でいらっしゃいました」


 窓からは夕焼けが射し込んで、席に残されたグラスを照らし出している。

 夕焼けの欠片が店内にちらばっているようだった。

 手嶌さんはにっこりとわたしたちに笑いかけて言った。


「様々なお客様がいらっしゃいます。当店には。ありがたいことです」

「そこがまれぼし菓子店のすごいところだと、思います……それをありがたいって言えるのも」

「そっかあ……あたしみたいないちご好きな幽霊さんもいるんですね……」


 当たり前のように幽霊のことを話す手嶌さんに、綾瀬さんは少なからず驚いたようだが、その後はしきりに納得している様子だった。



 帰り道。

 綾瀬さんはうーんと背伸びをするとぼやいた。


「また、手嶌さんのぉ、謎が増えました……」

「そうだねえ……あの人の謎はほんとに解けないね」

「それに、先輩の謎も」

「わたし?」

「先輩も幽霊見えてるし……それになんか先輩って、不思議と皆のこと安心させてくれるじゃないですかぁ。普通なのに普通じゃない感じ、謎です」

「わたしが幽霊とか見えるのは、まれぼし菓子店にいるとき限定だと思うよ」

「そうかなあ。まあ、それはおいておいても、手嶌さんのこともっと好きになりましたよ。……先輩のことも」

「ありがとう」


 改めて面と向かって好きって言われると照れるな。でも手嶌さんだったら多分しれってしてるんだろうなあ。

 しかし普通なのに普通じゃない。というのはわたしにはどうもピンと来なかった。いたって普通なのがある種わたしの取り柄だとも思っていたからだ。


 夜桜。

 夕焼けがひいた後の朧月に照らされて、少し白く見える桜の花。いよいよ美しい。

 ふと、老夫婦のことを思い出す。

 わたしは、あの二人みたいにまれぼし菓子店にとっての思い出になっているだろうか?

 そして、まれぼし菓子店はわたしにとって……。


 色んなことがあった気がする。

 たくさんの人と知り合いもした。

 わたしにとってまれぼし菓子店は掛け替えのない場所だ。今も、そしてこれからも。


「先輩~。またセンチメンタルジャーニーに旅立ってますよぉ」

「あっ! ごめん!」

「も~! ほら行きますよぉ」


 綾瀬さんに手を引かれて、わたしは歩き出した。

 今くらい、センチメンタルに浸ってやれ! と思いながら。

 ザワ、と春の風が吹いて桜の木を揺らす。

 花びらがひとひら、風に吹かれて空に舞い上がって行った。

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