第59話 日常とパウンドケーキ
「雪が溶けるとどうなると思います?」
「水になります!」
手嶌さんがそう問うので、わたしはすかさず答えた。
正解。そう言って彼は笑う。わたしも笑い返す。
でも突然なんのことだろう。と首を傾げてしまう。
「春になる、という答えもあるんですって」
わたしの様子を見てか、彼も小首を傾げつつそう続けた。さらさらとした髪が軽くこぼれて、なるほど改めて言うまでもなくイケメンだ……じゃなくて。
春になる、か。
素直に、一本取られた気持ちになった。全然視点というか、角度の違う答えだ。もしかすると頭の柔らかい子ども時代の方が、こんな答えにはたどり着きやすかったかもしれない。
今のわたし。頑固とは言えないけど、ちょっぴり頭は固くなった。
そうだ、もうすぐ春がやってくる。
職場に新人さんも来るという話なのに、わたしはこんなで大丈夫かな? いやな先輩、気が利かない先輩にならないだろうか。ふと、心配になったりして。
「大丈夫ですよ?」
「えっ……あっ、はい!わたし、また何か顔に出てました?」
「ええ。ご心配事があるのかなと……。でも、大丈夫だと思います。それは、取り越し苦労ですから」
「そう……かな?」
そう、かも。
手嶌さん。彼の言葉はいつも不思議とわたしを勇気づけてくれるのだ。
決して強引ではない。弱気になった部分に、添え木をしてくれるような優しさだ。
柔和だけど、頼もしいのだ。
「さて、お待たせしました。〝まれぼしの日常〟パウンドケーキです。このメニューは通年で、見た目は地味かもしれないです。それもあって、少しだけ他のケーキ類よりはお得なんですよ。単純でも味わい深い味、ぜひお楽しみ下さい」
レシピも割とシンプルなパウンドケーキは、私も作ったことがあって、家にも型がある。
ただプロのお菓子屋さんのパウンドケーキはやっぱり形がいい。綺麗に焼き目がついているし、変なところが引っ付いて剥がれていたりもしないし。比べちゃうと失礼だけど。
お皿の上のパウンドケーキは中にドライフルーツが入っているのと、プレーンなのと、二種類があった。
プレーンなものからフォークで刺して口に入れてみる。卵と、バターの濃厚な風味。外側はさっくりこんがり、中がしっとり。こういう焼き菓子、外側のザクザク感と香ばしさが好きだ。
うん、美味しい……。素朴だけど、それがいいのだ。そんなストレートな気持ちが湧き上がってくる。
ドライフルーツの入っている方は、少し大人の味だ。フルーツ、洋酒漬けなんだろうと思う。これが楽しめるから、大人になったことにも良いことがあるのだ。芳醇な香りの余韻にちょっと優雅な気分になる。
コーヒーでリセットしてまた少しずつ食べ進めていく。今日は星原さんがお休みなので、手嶌さんがいれてくれたみたい。二人のいれるコーヒーやお茶の味の違いも、少しずつわかるようになってきた。
ゆったりとした時間。
まれぼし菓子店の日常……それはわたしの日常寄り、ちょっとだけ贅沢でゆっくりと時が流れているようだ。
「春、きますね」
「ええ、春が来ます。今年も穏やかな春が楽しめると良いですね」
「はい!また、お団子食べたりとか、うぐいす餅食べたりとか」
「花より団子ですか?」
手嶌さんに小さく吹き出されて、ちょっと恥ずかしくなってしまった。
でもそうかも、花より団子。まあわたしなりの春を、しっかり楽しみに迎えよう。
雪解け。
北国はきっとまだ春は遠いのだろうけれど。
わたしの日常は、もうすぐやってくる春の色につつまれようとしている。
春が来るのだ。
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