第55話 雪の女王のアイスクリーム

 降る雪、積もる雪。白、白。

 家の屋根、ビルの上、道路からしてもう白い。

 数年ぶりの大雪だった。

 街はそれはもう蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。電車は相次いで運休、道路は渋滞。人々は家の前の雪をどうにかするのに、頭を抱えている。

 そんなにも降ったのに、まだ降り足りないように、ちらちらと小雪がチラつく空。


 こんな日なのに。

 こんな日だから。

 週末家に引こもらざるをえない人も多い中、わたしは思い切って外に踏み出した。

 自分の家にあるなかでは、比較的滑りにくいブーツを選んで、敢然と。ペンギン歩きで外へ突撃だ。


 空気がヒリヒリと頬に痛い。

 風もひゅうひゅうと吹きすさぶ。

 心なしか雪が強くなってきた気がする。

 ニット帽と、マフラー。それに新品のイヤーマフを身につけてきて正解だった。それでいてお気に入りの手袋を忘れてきたのが悔やまれる。うっかり会社に置いてきてしまったのだ。

 手が真っ赤になって、指先までツンとした痛みが走っている。


 思えば子供の頃って、雪が降ったらそれはもう大騒ぎになっていた。大人たちとは違う意味で。

 わたしたちの街ではかまくらは無理にしても、雪だるま、雪うさぎ、雪合戦。遊びが無限に浮かんできて、いくらだって外にいられる気持ちになったものだ。

 今じゃ、とってもそうはいかない。

 寒いし困るし。そんな考えばっかり浮かんでくる。大人になるって、不思議なことに楽しむのが下手になってしまうみたいだ。


 そんなことを考えながら歩くうちに、着いたのはいつもの灯り、いつもの窓。

 まれぼし菓子店。

 お店の前は雪が除けてあって、代わりにというばかりに雪だるまが二人……二つ。並んでいた。ちょっと不細工な顔しているのが逆にかわいい。星原さんが作ったのだとしたら、なかなかの腕前だ。


 そしてだ。

 雪だるまの前に誰か立っているのに、何故か一拍遅れて気づいた。というのは、そのあまりの白さとはかなさのせいだったのかもしれない。

 ファーのついた真っ白なコート。その下にはこの寒いのに白いドレスのようなものを着ていて、手袋もしていないし、白い華奢でかかとの高い靴を履いているけど危うげもない。なんというか超然とした雰囲気。そして何より、とんでもない美少女だった。


「……」

「……」

「もし」

「わっ」


 鈴を転がすような声で話しかけられたのでビックリしてしまった。相手も目を丸くしている、すみません……。でもますます驚いてしまった。

 こちらを向くといよいよ妖精のように美しいのだ。

 少し考えてから、彼女は、


「そなた、これなる店へともをしてくれぬかえ」


 と首を傾げた。真っ白な髪の毛が風に流れて美しい。冬の空のような青灰色の目がわたしを見た。

 さらにビックリする。時代劇の奥方様みたいな口調なんだもの。


「ここにくるのは初めてでのう」

「あ、そうなんですね。じゃ、一緒に入りましょう」


 外国の人? みたいだし、困っちゃっているのかもしれない。

 人助けできるのなら何よりだ。

 そんなわけで、わたしは頭に積もった雪をはらい落とし、白い同行者とともにまれぼし菓子店に入ったのだった。前もこんなようなことがあった気がする。

 もっともこの店を通して不思議な縁が出来ていくのを、今は楽しみに思っているのだが。


「いらっしゃいませ」

 と開口一番言ったあと、手嶌さんが目を丸くしていた。その視線の先は少女に行っている。

 少女はにんまりと笑って、

「くるしうない」

 また時代劇みたいなことを言うのだった。


 ともあれわたしは早速メニューを広げる。あんなに寒かったのに、暖かい店内に入ると贅沢にも冷たいものを食べたくなるんだから、人間というのは現金だ。

 いつかのようにアイスクリームを選ぼうか、なんて考えていると、少女がわたしをのぞきこんできた。


「そなたはいかにするのじゃ」

「わたしはですねえ……寒い中でもここはあったかいので、贅沢にアイスクリームを頼んでみようかと思います」

「ほう」

 ふと、外にいた雪だるまたちの姿が脳裏を過ぎる。

「それも盛り合わせで!」

「盛り合わせで!」

 よかろう、わらわもそれにするぞ、と彼女も何故かふんぞり返って言うのだった。

 手嶌さんははいはい、と笑いながら、うやうやしくメニューを引き取って店の奥にさがっていった。


 暖かい店内にいると、さきほどまで凍えきっていた手に血が巡って燃えるように熱くなってくる。

「寒いのに素手で外へ出たのかえ」

「わすれちゃったんです、手袋」

「痛そうじゃのう……」

「大丈夫です、こうしてるとすぐあったかくなるんですよ!」


 冷めないようにティーコゼに包まれたポットが運ばれてきたら、両手でそれを包み込む。優しい柔らかさのキルトの布ごしに、少し伝わってくる温かさで、ほっとする。

「そうかや。なかなか可愛らしいことをするの」

 笑うと、少女も微笑み返してくれた。黙っていると氷のような美貌だけど、笑うと幼さも見えて親しみを感じさせてくれる。

 二人でティーコゼを両手で包んでいたら、アイスクリームを運んできた手嶌さんが小さく吹き出していた。


「お待たせ致しました。〝雪の女王のための〟アイスクリーム盛り合わせです」

 まさに。雪の日にふさわしい名前をしている。

 少女もご機嫌で綺麗にデコレーションされたガラスの器を見つめている。


 アイスクリームは三種のせられていて、ウエハースとミントの葉がついているのがちょっとしたアクセント。

 まず、バニラからスプーンにすくう。慣れ親しんだ味だけど、バニラビーンズがよく効いているのがこの店のアイスクリームの嬉しいところなのだ。香りの良さに、にこにこになってしまう。

 次はストロベリー。このアイスクリームはほんのりピンク色で、いちごの果肉がアイスの中に含まれていて食感も楽しい。オーソドックスなのはバニラだけど、わたしはいちご味ってなんだかんだすきかもしれない。甘酸っぱい幸せの味だ。

 そして最後に抹茶のアイスクリーム。やや苦味のある大人の味なのだけれど、コクがあって、癖になる。ほかの2種のアイスを味わったあとだと、口の中の雰囲気をガラリと変えてくれる渋い役者だ。


 途中でふと少女のことを見ると、わたしの真似をするようにして順々に食べていた。

 ウエハースをかじる時に目があい、お互いふっと笑ってしまう。


 アイスで甘く冷たくなった口と体を、ダージリンティで温め直して、デザートの饗宴は終わる。

 わたしも彼女も、小さく一息。


 そこでタイミングを見計らったのか、手嶌さんが話しかけてきた。

「お口にあいましたか?」

「うむ、よろしい。まっちゃはちょっと苦かったが、そこがまた良くてのう」

「光栄でございます」

 わたしの方も伺うように視線を向けてくれるので、もちろん! と大きく頷く。


「それにしても、あなたのようなお方が東の果てまでよくいらっしゃいましたね」

「噂を聞いてのう。はるばるやって来たのじゃ。今年は良い具合に冷気も気を張っており、南下するのも易かった。ま、手土産に、ちと、降らせすぎてしもうたかな……」

「街は大変ですよ、お手柔らかにお願いいたします」

 なんだか彼女が雪をふらせているみたいで、不思議な話だ。

 そう思いながら聞いていると、ふと彼女の青灰色の瞳がこちらを向いた。

 ぴょんと椅子から飛び降りると、ひらりとドレスの裾をひるがえして立ち上がり、コートのポケットからなにか取り出す。

 そしてわたしの手にそれを握らせて……。


「娘よ、供、ご苦労であるぞ。これを授けよう」

「これ……って、手袋ですか? いや、悪いですよ!」

 それは手袋だった。しかもとびっきり手触りがよい。まるでびろうどのようで、あったかくて、艶やかで……。絶対良いものだと分かる。

 小さい彼女の物のはずだが、奇妙なことにサイズはわたしの手にぴったりそうに思えた。


「良いのじゃ。くるしうない。そなたに礼にとつかわすのじゃ、とるがよい」

「でも……」

「ご好意ですから、甘えてはいかがでしょう」

「そうじゃ。あんなに赤い手をしておってはいかん、若い娘なのじゃからな」

 困ってしまい手嶌さんを見ると、あっさりとそう言われた。彼女も大きく頷いているし。

「ありがとうございます……」

 恐縮しつつ、手袋を頂いたのだった。

「うむ、素直なのは良いことぞ。然ればわらわはそろそろ戻らねばならぬゆえな、行くが、そなたはゆるりとくつろぐが宜しい」


 そう言って彼女は去っていった。

「嵐のような人でしたねえ」

 手嶌さんに言うと、

「そうですねえ。気まぐれな吹雪のような方でした」

「とっても可愛くて変わった子だったけど……また会えるかなあ?」

「会えますよ。きっとまた、雪が降った時には」

 そう答えが返ってきた。


 店を出ると、あれだけ降っていた雪はすっかりやんでいて、かわりに、雲の隙間から星空が覗いていた。

 凍てつく空のさえざえとした星の輝きに、少女のふたつの美しい瞳を思い出す。

 手袋があたたかい。

 星々に、少女にも見送られるような気持ちになりつつ、わたしは家路へとつくのだった。

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