第56話 まほろば、幻、フルーツ大福

 原風景。

 それは、里山に囲まれた田舎だったりとか、麦畑や稲穂のそよぐ光景だったりとか……。誰の心にも不思議と息づいているものだ。

 美しいところ、住みやすいところ、そんなところを表すちょうど良い言葉が日本語にはあって、まほろばと言うそうだ。


「ああ、こういうのが……」

 多分そういうものなんだろう。

 背の低い家がポツリポツリと。豊かな自然と、隣り合わせに青々とした水田。

 どこからか子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 そしてわたしの目の前には、鮮やかで深い緑をたたえた鎮守ちんじゅの森があって、年季の入っていそうな鳥居がそびえている。


 ああ、これは、夢なんだな。

 何故かそう確信できた。明晰夢っていうんだっけ。


 夢の中のわたしの足は、何故か鳥居の方に向かっていった。

 古い石造りの階段が長く続いている。階段をのぼっていけば、思ったより朱い鳥居の下をくぐり。

 そのままどのくらい歩いたか、夢の中だからわからなかったが、気がつけば目の前にはお社があった。

 静謐せいひつな雰囲気。誰もいないけど、なんだか強い力のようなものを感じて……これがパワースポットというものだろうか。


「おい」

 きょろきょろしていると、不意に声がかかった。

 不意打ちなものだから、わたしは多分十センチは飛び上がったと思う。

 声は一拍の間を置いたあと、ゲラゲラとひとしきり笑って、それから、

「そんなにびっくりする奴があるかよ。小動物じゃあるまいし」

 社の影の方から、ゆっくりとその人はやってきた。

 長身に黒いハイネックの美形さん……声にも姿にも覚えがある。


「……ジンさん?」

「おや? お前に名前を教えたことがあったかな? 迷子よ」

「むっ……」

 迷子はないだろうと思う。夢の中なんだし。

 でも否定しなかったということは、彼はジンさん、で間違いないらしい。


「こんな所まで迷ってくるのが本当にとぼけててなかなかかわいいじゃねえか。どうだい、こっちくるかい?」

「行きませんよ! ナンパですか?」

「ナンパじゃないよ、むしろポチだな」

「むむーっ……!」

 ポチはないだろうと思う! 確かに、どっちかと言うと犬科とは言われるが。


「ま、そう怒りなすんなって。折角こんな所までやってきたんだから、茶の一杯でも振る舞いますよってことだ。鬼の居ぬ間に洗濯ということだな」

 鬼……そういえば、手嶌さんはこの人に対してはものすごく塩対応なんだっけ、と思い出す。

 仲が悪いんだろうか。聞いてみたいけど、なんとなく怖い気もする。


「ほれ、ポチ公」

「ポチじゃないですってば!」

 しばらく苔むした石に座っていると、ジンさんが振る舞ってくれたのは、不遜な態度とは打って変わった、小洒落こじゃれた器のほうじ茶だった。

 夢の中なら良いだろう。それにせっかく出したくれたものに口をつけないのも気が引ける。


「…………いただきます。」

 一口含む。美味しい。香ばしくて、ほうじ茶の甘い香りがふわっとして。

「俺がほうじたんだよ。」

 ……顔に出ていたんだろうか? ジンさんは得意げににやついていた。しかし自分でほうじ茶を……マメな人なんだろうか。見た目によらず。


「ほい、これが主役」

 そう言ってまた洒落た焼き物のお皿に載せたお菓子をよこす。それは……。


「大福ですね?」

「好きか? こないだはいちごだったが、今回はみかんの大福と……」

「と?」

「キウイとブドウのもある」

「えっ……そんなに?」

「あいつの試作でまだ店にも出てないそうだ。一個だけ分けてやろう。どれにする?」

 口ぶりに、惜しんでいる様がわかる。

 ジンさん……。

 ジンさんも好きなんですね、大福が。わたしも好きです。大好きです。

 しかしこれはゆゆしき問題だ。わたしはたっぷりと悩まされた後、

「ええっと……キウイのにします」

 変わり種を選んでみた。

「意外な選択だったな」

 とまたケラケラ笑いながら、ジンさんはお茶をすすり、自分の大福をぱくりといくのだった。


 これはわたしも遠慮している場合ではない。

 キウイ大福を大きな口であーんと食べる。まず、ものすごいジューシィさが来た。果汁がこぼれないか心配するくらいの。上品なキウイの甘み、これは果物そのものがとてもおいしい。

 それでいて、甘ったるすぎない。酸味が残されていることで、あんこと絶妙なバランスが成り立っているのだ。種のプチプチ感も楽しい。

 それにもちもちの皮がよく伸びて。はたかれた粉がちょっと口元についちゃったりするのだけど、夢の中だからそれも気にしない。


「美味いだろ?」

「おいひいです」

「〝考え中の〟フルーツ大福だそうだ。」

 なるほど……。

 これはお店で出されるのが楽しみだけど、コストも大きそうで、限定品になるのかも、とか余計なことを考えてしまう。

 ジンさんが食べていた方も気になるなあ。


「さて……あんまり長いこと引き止めとくと、カンカンになった鬼が駆け込んできそうだから、この辺でお前を帰しとかないとな。」

「えっ?」

「まあ今回はあんまり面白かったから見逃してやろう。迷子には気をつけろよ、ポチ公」


 だからポチ公じゃないですって。

 でも、ご馳走してくれてありがとうございます。


 そのどちらも伝えられないでいるうちに、背中をドンと押され、わたしは急激な落下感に襲われる。

 そして……。



「……?」

 朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。

 いつもの、チュンチュン鳴くスズメの声。あと少しの雑踏の音。

「……。なんだっけ」

 変な夢を見た気がする。誰かにポチ公って呼ばれたような。それにすごくおいしいものを食べたような……夢なのが残念なくらい。

 でも夢ってどうしておきたらすぐ忘れてしまうんだろう。ままならないものだ。


 そうしてなんだかしゃっきりしないわたしの休日は始まったのだった。

 こんな日はやはりまれぼし菓子店にいこう。そう思いながら。

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