第29話 キャラメルラテと雨上がり

 夕立。突然降り出した雨が上がった。

 雨上がりなので空気が清涼になるのかと思いきや、そうでもない。

 暑さはそのまま。もわっとした水蒸気が地面から吹き上がる感じが、暑さと苦しさを増大させる。

 たまったものではない。

 八月を超えても、まだまだ暑さがそこここにわだかまっている気がする。

 もちろんその日も、わたしはまれぼし菓子店に飛び込んだ。


「残暑ってレベルの暑さでもないですよね。台風もまだまだやってくるし」

 と、星原さん。

 夏の間(暦ではもうとっくに秋だけど)も彼女は溌剌はつらつとしていて、元気を分けてくれるような接客をしてくれている。

「今年もまだまだ、夏の名残は長そうですねえ」

 わたしもうなずく。下手をすると十月くらいまで暑くても不思議ではない気さえするし、台風だって列島にどんどこ当たってきそうである。


「いっそう、ぐーっと涼しくなるものが食べたくなりますね。こうなると」

「おっ。そう来ましたか」

 なんだか嬉しそうに言う星原さんには、ちょっとした企みがありそうだ。

 こういう時の彼女の茶目っ気のある表情が、わたしは大好きなのである。

「おまかせにしてくれます?」

「もちろん。じゃあとびきり素敵なのでお願いしますよ!」

「はあい。では少々お待ちくださいますか」

「待ってまーす」


 何が出てくるんだろう。そんなことを考えつつ。

 星原さんがカウンターに引っ込んでいる間に、わたしはうーんと背伸びをしながら窓の外を見た。

 スコールみたいに降り出した雨はもう気配すら残っていない夕焼け空だ。


 あの酷い雨の痕跡はもうほとんどない。ちょっと湿ったわたしの靴先と、たたんだ傘のしずく。それに外にある水たまりくらいのものだろう。

 年々夏が暑くなっている気がするし、世間では温暖化というのも唱えられて久しい。ゲリラ豪雨という言葉だって、もう完全に定着した。


 わたしがもっと歳をとる頃には、夏と冬……乾季と雨季しかない世界になってるんじゃないか……なんて妄想したりもする。それはちょっと四季のある国に暮らしている日本人としては寂しい。

 そんなとりとめのないことを考えていると、星原さんがトレイを手にやってきた。


「お待たせしました“冬の雲”アイスキャラメルラテです」

 冬の雲。確かにそんな見た目だ。

 ふわっとした白いクリームの層が上に、そしてその下はキャラメル味のラテの層。二層にわかれている飲み物。二種類の色合いが透明なグラスにちょこんと収まっている。

 丸っこいグラスを手に取るとひんやりとして、手のひらから熱を奪っていく。


「あ、今すごく涼しい気持ちになった!」

「飲んでからが本番ですよ」

 それもそうだ。

 グラスに口をつけて飲むと、ふわふわの雲みたいなクリームとともに、冷たさが体の中に満ち溢れる。同時に冷たい甘さも!

 キャラメルのちょっとくどいかなと思う甘さも、清涼感込みで摂取されることによって快さへと変わる。グイグイ飲めてしまう。

 エスプレッソとキャラメルシロップの混合が、程よい苦味と、とびきり涼しい甘味を作り出している。

 グラスを傾ける時にコロコロとなる氷の音まで涼しげだ。ちょっと風鈴を思い出した。


 そうしてくいくいと飲み続け、最後の一口を飲み干してしまった時、

「ああ……なくなっちゃった」

 思わずそう思ってしまうような美味しさだった。

 さすがの星原さんオススメである。その時その時のわたしの気分にぴったりあったものを出してくれる。その信頼感といったら。

 ここまれぼし菓子店のそういう所が好きだから、ついつい通いつめてしまうのかもしれない。


「ぐっと涼しくなったでしょう?」

「ええ、本当に!」

 体の中の温度が一回り下がれば、手持ちの文庫本を優雅に読み進めようという気分にもなるというものだ。

 すっかりくつろいだ気持ちになって、わたしは文庫本を開いたのだった。


 外に出る。

 蒸し暑さが通り過ぎて、ちょうど快い風が吹き始めた頃合だった。

 靴先は乾いたし、傘の水はもう切れている。その辺の水たまりも乾き始めている。

 夜の風は独特の匂いがしてもう湿気もなく、少し気持ちのいいくらい。

 その時ふと思ったのだ。

 目には見えなくて、肌にも感じにくいけど、段々と秋が近づいてきているということ。

 季節の移り変わりに、何となく、感傷的な気分になりながら、水たまりをぴょんと飛び越える。

 空にはまあるい月が浮かんでいた。


 秋がやってくる。

 今年の秋はどんなだろう?

 きっとわたしの場合は食欲の秋なんだろうけど。

 そんなことを考えながら、わたしは家路に着くのだった。

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