第28話 夏の夜のシュークリーム
まれぼし菓子店のお菓子人気、不動の一位はシュークリームなのだそうだ。
意外と言うか、王道ゆえの納得感というか。
「幅広い年齢のお客様、それに男女問わずに支持されていますね」
と手嶌さんが説明してくれた。
ここのシュークリームは、カスタードとホイップの二層重ねである。大きさはと言うと、それほど大きくはない。でも生地の中にはたっぷりクリームが詰まっていて余るところがない。そこがほかの店やコンビニと違うところだ。
バニラビーンズの香る、舌触りの良い滑らかなクリームは、シュークリームにかみつくとあふれだしてきそうになっていつも慌ててしまう。
かみつくなって? そう言われてもついつい勢いよく食べたくなってしまう、そんなお菓子なのだ。
シュークリームの生地はというと、パリサクというよりはシトフワという感じの食感だ。柔らかな生地に包まれた、柔らかなクリームたち。
甘すぎない。 でも何処までも何処までも優しい。
いつか……。
いつか結婚式や、派手なパーティーをすることがあったら、ここのシュー生地でクロカンブッシュ……シュークリームのツリーみたいなやつにしてもらい、飴細工までやってもらおうと、わたしは叶いそうにもない夢を思い描いているところである。
さて、そんな人気のシュークリームなので、夜にお店にやってくると品切れになっていることもしばしばある。
今日は
これではのんびりしていたら持ち帰り用のシュークリームが売り切れてしまう。
店内には、わたしともうひとり。
妙齢の、髪の長いとても美しい女性が窓際の席にかけている。我ながら
そんな彼女とわたし。
シュークリームの残りは二つ。
わたしはお持ち帰りするなら二つ欲しい。
もし万が一だけど、彼女も同じことを考えていたら……と思い、先に声を上げておくことにした。
「あの」
が。2人が声を上げるのは本当に寸分たがわず同時だった。
その瞬間、多分お互いにお互いの考えがはっきりわかってしまったと思う。
……シュークリームだっ……!と……。
「申し訳ないですが、シュークリームはもう残りが二点しかありませんので……」
二人の考えを読んだように手嶌さんが、申し訳なさそうにそう言った。
女性とわたしの間になんともいえない空気が流れる。
「そ、そう……」
「そうですよね、あと二個……」
「困ったわね」
「困りました」
わたしと女性は顔を見合わせて苦笑しあった。
おそらく彼女も常連さんなのだろう。それにしても心なしかことさら丁寧な口調で手嶌さんが彼女に話しかける。
「奥様は、旦那様の分もお求めですよね?」
「ええ、彼もここのシュークリームは好んでいるから。それに砂糖菓子も。今日は砂糖菓子で妥協しようかしら」
「申し訳ないことです。せっかく奥様御自ら、足を運んでくださったのに……」
次に手嶌さんはわたしにも謝りに来る。
「いつもありがとうございます。今日はシュークリームがよく出てしまっていて……」
「いえいえ、よく売れてるのはすごい良いことだと思いますよ! 人気って聞いたばかりだしそれも納得です」
「ご迷惑をおかけしております……」
恐縮仕切りの手嶌さん。わたしと奥様は顔を見合せた。
「あなた、お持ちになってもよろしくってよ。せっかくだから年寄りは若い人に譲りましょう」
「いえ、旦那さんとおふたりで食べるんですよね? だったらきっと奥様が持ち帰った方が!」
それは正直な感想で、わたし一人でカロリーを増やす儀式をおこなうよりは、この綺麗な人と、同じくらいきっと素敵であろう旦那さんに仲良く食べてもらった方が、シュークリームも嬉しいのではないのかと思ったのだ。
「おふたりで楽しく美味しく召し上がってください!」
とわたしは強めに辞退した。
フフ、と彼女は愉快そうに笑って、
「手嶌、わたくし、譲られてしまったわ」
「の、ようでございますね。では――」
手嶌さんが本当に良いのですね? と眼差しで訴えてくるのを、わたしは首肯する。
「奥様にシュークリームを二点お包みしますね」
「ええ。あなた、ありがとうね」
奥様はわたしにお礼を言ってくれた。ニコッと微笑みかけられると、何だか赤面してしまうような物凄く魅力的な笑顔だった。
結局ベイクドチーズケーキを持ち帰ることにしたわたしは、蒸し暑い夏の夜の帰り道を一人で歩いていた。
静かな夜だ。
信号が青になったので、横断歩道を渡る。
と――。
その時轟音を上げてトラックが迫ってきた。信号無視!? まばゆいライト。クラクションの音。
あとは、覚えていない。
気がつくと、奥様がわたしの手を繋いで道路に立っていた。横断歩道を渡った先である。
トラックは、大きく道をそれて電柱に激突していた。
真夏なのにひんやりした奥様の手が妙に印象的だった。あくまで悠然と彼女は尋ねてくる、
「お怪我はありません?」
「だ、大丈夫です」
「宜しい……あとは一人でおうちまで帰れるわね?」
「は、はい! あの……一体何が 」
腰が砕けそうになるのをなんとか堪えながら、わたしは奥様に尋ねた。
「夏の夜の悪い夢を避けたと思いなさいな」
彼女はそれだけ言って微笑むと、シュークリームの包みをぶら下げて去っていった。
パトカーと救急車ののサイレンが近づいてくる音がした。
わたしは、どうやら命拾いしたようだった。
「あの、ありがとうございます!」
遠くなる背中に、わたしはそう声をかけた。
彼女は遠くで軽くシュークリームの袋を振って見せたのだった。
後日。手嶌さんにその事を話すと、
「それは……災難でしたね」
ご無事で何よりでしたと前置いたあと、しばらく考えてから更にこう言った。
「そしてそれは、シュークリーム二個分の、奥様の好意の気まぐれですね」
「奥様はその……」
「あの方はあの方なんですよ。ちょっと不思議な……シュークリームと砂糖菓子の好きな。そう思っておくといいです」
奥様、また会うこともあるだろうか。
夏の夜の夢……シェイクスピアだっけ。
とにかくとびきり不思議な気持ちになりながら、わたしは今日こそはとシュークリームを注文したのだった。
夏の終わりも、もうすぐそこまで来ている。
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