第26話 ベイクドチーズケーキと休憩

 仕事が立て込む日が続いていた。

 夏バテからは無事に復活したわたしだったが、このままではまたバテてしまいそうな、目の回るような忙しさだった。

 わたしは桜庭先輩の指示の元で、黙々と仕事を片付ける一週間。桜庭先輩も元々寡黙なのが、あまりの忙しさからさらに無口になっている。

 忙しいから部長も課長も小言を言う暇がないことだけが幸いだった。


 そうして怒涛の一週間を駆け抜けた夜に、思ったのだ。

 あー、休憩が必要だ! って。

 うちの会社の夏休みは他の会社よりも少し遅いのでこのままだと体力と気力が持たないと思ったのだ。

 わたしは思い切って先輩に声をかけた。


「桜庭先輩!」

「なにかしら?」

「今日……行きません?」

 ケーキを食べるジェスチャーをしてみせると、すぐに伝わったらしい。

 先輩はぶんぶんと首を縦に振った。

 どうやらわたしと先輩の気持ちは同じだったようだ。

 もわもわとした夏の夜気の中、わたしたちはまれぼし菓子店に向かったのだった。

 オフィスをぬけて、緑の多い住宅街に入っていくとまだしも涼しさがあるような気がする。


「あの店、ちょくちょく通ってるの?」

「ええ、相変わらず」

「実は……」

 とちょっと照れたように髪をかきあげて先輩が言う。

「私もあれから、時々あの店に通うようになったの。教えてもらえてよかったわ」

 そう言われると、もうわたしはたまらなくなってニコニコしてしまう。

「また先輩と来れて嬉しいです。これからもよかったら時々来ましょう!」

「ええ。あなたさえ良ければ……。……その、わたし、ちょっと話しにくいでしょう?」

「そんなことないですよ。一緒にスイーツの話題で楽しくお話できます!」


 確かに本当に最初の頃は何を考えているかわからなくて苦手だった先輩だが、今は答えた通りなのだ。

 表情に出にくいだけで、先輩が本当は親切で優しく、可愛らしい人なのも知っている。

 そんな本当のところを告げると、先輩ははにかみながら、

「ありがとう……」

 と言ってくれた。


 そうして歩くうちに、風鈴の音が聞こえてくる。わたしたちはまれぼし菓子店にたどり着いていた。

 扉を開けると落とし目の照明に、涼しい空気、落ち着いた雰囲気が嬉しい。

「いらっしゃいませ」

 今日は星原さんが迎えてくれた。冷たいお水が身に染み入るように美味しい。

 早速メニューを広げてみる。今日も今日とて、ケーキも和菓子も種類があって目移りしてしまう。

 と、ふと目に止まったのが……。


「ベイクドチーズケーキ」


 わたしと先輩の声が揃った。

 あら、と星原さんが笑顔になる。

 ベイクドチーズケーキは通年のメニューなのだけれど、何故か今日は心が惹かれた。

 疲れていたから、少しこってりしたものが食べたかったのだろうか。

 それと一緒にブレンドを注文する。これも、気持ちをシャッキリさせたかったからで、ブラックで飲もうと思って頼んだ。


「二人とも同じ気分でしたね~」

「ね。奇遇だわ」

「ちょっと嬉しいです」

「そうね」

 二人で顔を見合わせて笑った。


 やがてコーヒーの香しい匂いが漂ってきて、ベイクドチーズケーキが運ばれてくる。

「お待たせしました。“美味協奏”ベイクドチーズケーキです」

 プレーンで飾り気がなく見慣れた、ちょっと安心感のあるシルエット。それでいてこんがりとした焼き目があり、食欲をそそってくれる。迷った時はこれを頼んでおけば間違いないだろうという気持ちが起こりそうな一品だ。


 いただきますと手をあわせて口に運ぶ。

 まず感じるのは甘さ。チーズケーキならではのこってりとした甘みだ。

 そして微かな酸味が口に残る。これもチーズが入っているがゆえの独特のものだろう。

 その二つを、ひとつの円の中に丸く収めるような、包容力のある旨みと濃厚さ。

 一口食べるともう一口が欲しくなる香ばしさ。

 それらが渾然一体となって味わい深さを醸し出している。そこまで食べてはたと思い至る。なるほど、これが美味協奏ということか。


 ケーキで口の中がこってりした所に、熱々のブレンドを少しすする。

 今回のブレンドはやや苦味が強くて酸味は弱い。ハッキリとした味で、それがまたチーズケーキに負けない強さを出していて美味しい。


 さっぱりしたところでまた濃厚チーズケーキを口に運んでいく。

 涼しいところで最高に美味しいケーキを食べながら、熱々のコーヒーを飲む。仕事で疲れた体にこれほど染み渡ることがあるだろうか。


「お二人共、お疲れ様です」

「!  ありがとうございます 」

「顔に出てました? 」

「雰囲気がなんだかそんな感じで」

 星原さんに労われながら、わたしたちはチーズケーキを完食した。

 それからしばらく雑談に花を咲かせて、身も心も洗われた気持ちになって。


 帰路。

「これでまたひと頑張りできそうね」

「そうですね。夏休みまであと少し、頑張りましょう」

「はー! 来週も頑張るぞっ」

 そう言って背伸びする先輩がなんとも可愛い。

 わたしも先輩の真似をして、うーんと背伸びをした。

 遠くで風鈴が鳴っている。残暑はまだまだ厳しいようだ。

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