第25話 夏バテと牛乳かんてん
暑い日が続いている。日本の夏の何がつらいかと言うと、やっぱり湿度だろう。
高い湿度に強い日差し。むしむし、モワッとした空気に体を包まれると、それなりに丈夫だと自負するわたしも、段々体が暑さに蝕まれてくる感じがする。
夏の終わりにこそ夏バテが来ると言うけど、今年のわたしはいち早く夏バテしてしまったようで、目に見えて食欲が落ちてしまった。
確かにダイエットにはなるかもしれないけど、夏痩せというのは不摂生というか、よくない痩せ方であると思う。
だから何とか食欲を元通り取り戻したいところだった。
とはいえ、今回はまれぼし菓子店を訪れても冷たい紅茶だけ頼んで飲んでいた。わたしがお菓子を頼まないなんて! と自分で言うのもなんなのだが。それくらいバテていたのである。
本当は冷たいものだけ取るのも胃腸が弱ってしまって良くないのは知っていたのだが、この猛暑の中ではとても熱いものを飲んだり食べたりする気がしない。
まあ正に夏バテそのものの体というわけだ。
「今日は何も召し上がらないんですか?」
声をかけてきたのは手嶌さんだった。
最近は基本的にお菓子と飲み物のセットを頼んでいたのに、ちびちびアイスティだけ飲んでるからそう尋ねてくれたのだろう。
「実は……」
とわたしは切り出す。
「なんだか夏バテしちゃったみたいで……。食欲がないんですよね」
「おや……そうでしたか。しかしこの暑さ続きでは無理もないですね」
「暑いですよねえほんとに」
答えたあと彼はしばらく考えてから、
「……良かったら、サービスの一品を召し上がりませんか」
と小首を傾げたまま言った。
サービスの。
現金だけどそういう言葉にはついつい惹かれてしまう。反射的に、
「あっ、ぜひ!」
と食いついてしまってから赤面した。
さもしい奴だと思われなかったろうか……。
「大丈夫ですよ。ではご用意しますので少々お待ちいただけますか」
心の中を読んだような回答といつもの微笑みをくれると、手嶌さんはバックヤードに下がっていった。
しばらくして戻ってきた手嶌さんは、涼し気なガラスの容器に入った白い何かを手に持っていた。
「お待たせしました。“ 天の川の切れ端”……という名のまかないなのですが。牛乳かんてんです」
牛乳かんてん。
ミルクかんとも言うあれか。
確かに夏バテで食欲がなくたってするっと入りそうなデザートだ。
白いかんてんがガラスの器の中ではかない感じにほろほろ揺れている。かんてんにはシロップ漬けのみかんも入っていて、彩りも鮮やかだ。
星型に形抜かれたかんてんも添えてあり、まかないとは言っていたものの流石にお店が出してくれたデザートである。
「お店に出すようなものでもありませんが、よろしければ……」
「喜んでいただきます!」
小さい頃に母に作ってもらったこともあるお菓子だ。夏のおやつにはよく目にしたもので、当時のわたしの好物のうちに入るものだった。プール帰りなどに食べた記憶がある。
そこはかとなく懐かしい気持ちになりながら、頂くことにする。
まずはスプーンでひとすくい。
感触は実家の牛乳かんてんより柔らかくて、はかない印象だ。そして口に運ぶとほろりとあっさり崩れるくらい。これが心地よい。
きっと作る人によって牛乳とかんてんの割合が違い、硬さも微妙に違うのだろう。それもなんだか、各ご家庭の味を垣間見ているみたいで楽しい気がする。
これは手嶌さんの味というわけ。
甘みとコクのある牛乳の優しい味が、夏の干からびたのどにも、疲れた胃にも軽やかに触れ合って落ちていく。
かんてんのつるりとした面の感触がとても好きだったことを思い出しながら、すいすいとスプーンで食べ進めていく。
時折入っているシロップ漬けのみかんが、しっかりとした甘さと存在を主張してくるのも嬉しい。
器の中はあっという間に四分の三に。そして半分になる。
それほどに滑らかな舌触りであり、柔らかな甘さなのだ。くどくなくて、いくらでも食べられそう。
すっかり食べ終わったところで、にこにこしている手嶌さんに尋ねてみた。
「ところで……なんで天の川の切れ端なんですか?」
「天の川って、英語でミルキーウェイって言うんですよ」
と言って手嶌さんが微笑む。
林間学校に行った時、一度だけ見た事のある天の川を思い出した。真っ暗な森の空に浮かぶそれは、白くぼやけたたくさんの星々が集まった、なんだか不思議なものだった記憶がある。
「なるほど!」
なかなか大きなものをおなかに収めた気持ちになった。
少し力も出ただろうか。
「ご馳走様でした 」
「少しでも元気が出ると良いのですが」
「結構、出ました! 元気」
笑って言うと、手嶌さんも笑い返してくれた。
どこかで風鈴がなる音がしている。
「素敵なサービス、ありがとうございます」
「いえいえ」
天の川の切れ端に元気をもらって、わたしは何とか夏バテを乗り切れる気がしていた。
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